「挿入」とはこういう状態の言葉である


近頃、国道を走っていてインターチェンジ近くに来ると「ETCカード挿入確認」という電光掲示板を見ます。私はくれぐれこの言葉に 恥ずかしさを感じております。言葉は時代という波の中に浮かんだり沈んだりするものでしょうが・・・、
私にとって「挿入」は、そういう?時というか、状態の言葉であって欲しいのですが?

「割れ鍋に綴じ蓋」ーというが、男女の関係も相互依存的ではある。ものの本に拠れば、南米のクモザルにはペニスの先から根元に かけて角質の棘(とげ)を逆さまに生やしているのがいるそうだ。 挿入にあたってはペニスはするりと入る。が、引き抜く時は棘が引っかかるわけだ。雌はさぞ痛いだろう〜なぁ・・・と我々はつ い同情したくなるが、なに、心配する事もない。雌の膣にはそんな棘に刺されても怪我しないように、硬いいぼで防御されている というのだ。

と、こういう風な場合に「挿入」という言葉を使用したいものです!

話は戻り、パプアニューギニアのある種族には、男が自分のペニスを木の枝で叩いて鍛える習慣があるそうだ。それに対して女性 の方はというと、大きなヤマアリを捕まえてきてあそこに噛み付かせタコを作って丈夫にしておくという・・・。まさに盾と矛の 関係であるが、ではいったい何のためにペニスを鍛えるのであろうか?
女の方にタコさえなけりゃ、ごく普通のペニスでいいであろうに?

「挿入」にあたって、古代インドのバラモンの性典「カーマスートラ」は男女の組合せの学問的体系化を試みていた。

同書によると、男性性器(リンガ)を小さい順に兎男・牛男・馬男と順番化していた。
そして女性性器(ヨニ)も小さい順に鹿女・馬女・象女と其々三種に分類た。

かくてその三種と三種を組合わせると九種の結合が出来るのである。では理想の結合はと謂われれば、誰が考えても等結合であろう。 すなわち兎男鹿女、牛男馬女、馬男象女ということになる。 

じゃあ、不等結合は六種類あって余りよくないのであるが、中でも二段階違う不等結合は最悪というもの。兎男と象女・馬男と鹿女 であるが、そのどちらが最も良くないか!というと、それは兎男と象女であると「カーマスートラ」は記していた。

つまり、要するに、太平洋に牛蒡はよくない!ということであった。永年連れ添った象女と別れるわけにもいかないところが兎男 の悩みであったのだ・・・(泣)。




芭蕉と蛙

『古池や 蛙とびこむ 水のをと』これぞ、ザ・俳句と呼ぶべき代表的な句。春ともなれば水温む頃、生き物の活動が観察されます。 俳聖・松尾芭蕉のこの句、想像するにわからないことが多々あるのだそうで?たとえば、蛙は単数か複数か?、はてさて古池とはどんな池なのであろうとか?

「広辞苑」では古池を、「古くからあった池、古びた池」と解説しておりますが、まあたいていの池は古くからあると思うのだが?・・・

実は芭蕉、最初に「蛙とびこむ水のをと」という七五を得た。そして上五をつけあぐねていたらしいのである。平安以後歌人の常識で あった蛙と山吹の組み合わせを嫌って、古池としたらしいのである。そして蛙が歌に詠まれたのはその美しい泣き声によってであるそ うだ。芭蕉は鳴き声を捨てて水音とした。その斬新さがこの句の魅力となったらしい。

ともあれ、蛙は水辺にくる。それは産卵に集まって来るのだ。雄は鳴き声をあげて雌を呼ぶのである。雄の体には動いているものに飛 びつく習性があるので寄ってきた雌に飛びつくのである。そして雄が雌の上に馬乗りになって抱接するのである。

ではこの飛びつく習性で、雌と間違って雄に抱きつくと一体どうなるか? 抱きつかれた雄は『ギャ〜ッ』という声を発し、あわてて 雄が離れるのだそうだ。これこそ自然があたえたもうた見事なまでなホモ防止策であると思いますが・・・。


《 妖怪変化 》

中国人も、女性に対しては相当ひどい差別をしておりますね。ある資料に拠れば・・…女性が死んだ場合、年齢によって次のように区別 するそうだ。


10歳未満の死は『夭(ヨウ)』、20歳までは『正(セイ)』、女性は20歳までに死ぬのが正しいのである。
30歳までの死は『甚(ジン)』、はなはだよく生きた、生きすぎた・…ということらしい。
40歳代の死は『変(ヘン)』という。「変化(バケモノ)」の変だ。
50歳代の女性が死ぬと『禍』これはもうわざわいという事だ。
60歳代の死は『魅』これも「魑魅魍魎」の魅、決して魅力の魅では無いことに注意!
70歳代の死は『妖(ヨウ)』。そして・…
80歳以上のおばあちゃんの死は『怪』。妖怪とは凄い!

本当にひどいことを言うものです。では男はというと・…

男の場合は、50歳未満の死は『夭』、夭折というのは惜しまれてゆく死である。 女性の場合は10歳未満であるが、男性の場合、 惜しまれる期間が長い…
50歳から60歳代にかけての死は『正』。私はこれから死ぬのが正しい訳だ。女性の正しい死は20歳まで・…
70歳以上の死は『福』、80歳からは『寿』、90歳代は『祥』100歳を超えると『大慶』という。赤飯を炊いて祝うべき死 であるというのです・…

男に生まれて良かったと、こんなところで思ってみても仕方ないかもしれませんがネ・…
女性の方、『妖怪』と言われてもいいから、長生きすべきである。どうか『妖怪』になってください!

それにしてもですね、『はなはだ』『バケモノ』『わざわい』『まどわす』『妖怪』と決して間違っていないから?不思議でもあ るのですな。






『年賀欠礼の葉書とは』

師走とはいっても、今や坊主も走らず、年中走りまわっているようでせわしない毎日が続きます。

そしてこの時期、頭の痛いのが年賀状の準備!ですね。毎年のことながら少々うんざりしますね。(もう止めてしまったほうが いいのにね…)
年賀状は、本来一月二日の書き始めの日に書くべきものであったそうだ。年賀とは、新年のお祝いであるから、新年になって述 べるのが当たり前と云えば当たり前のこと。

いやそもそも、新年を迎えれば父母や上司、師匠などに挨拶に出向くのが当然で、それが遠くて行けない場合に年賀状を発送す るのである。昭和24年に「お年玉年賀葉書」が発行されブームを作ったといわれます。 年末になると「喪中に付き年賀欠礼」の通知が来たりしますが、あれは喪中の意味を間違えていると思いますがね。“喪中”とい うのは喪に服することであって、その期間は自分が勝手に決めるというのである。
未亡人が一生(亡くなるまで)夫の喪に服していいのである。その姿なるや、美しいの一言につきるというのであって、そこに我 等凡夫は惹きつけられるのである。(ただし、惹きつけられるだけで、それ以上の雑念はいだかれませんように、くれぐれも)

年賀は社会的儀礼であって、個人の勝手で欠くことは許されません。しかし、喪中につき町内会の会費は納めませんよ、また喪中 につき先生には挨拶には伺いませんよ、と言ってよいかどうか。その点を勘違いされませんように。

一方、忌中というのは、近親者の死によって穢れのある人が強制的に隔離状態に置かれることである。この場合は確かに年賀状は 欠礼すべきであろうが、それは父母の死の場合でも50日間である。





『立ちづめ』(プリアピズム)・…ん

インド・クシナガラは釈尊が入滅された聖地である。そこでは今でも絶対に腰をおろさない修行者がいるそうだ。全てを立った ままの姿勢で、もちろん眠ることさえも板に手を枕にして立ったまま眠るというのである。ギネスによれば、18年間ののの時 を立ったままの苦行を続けたというのである。

立ちづめ」といえば、プリアピズム(priapism)という症例があるそうです。

まあ、要するに、早く言えば、プリアピズムは「持続勃起症」とでも訳されましょうか?。ペニスが長時間にわたって勃起したまま でいる病的状態である。大体二・三日で収まるのだそうだが、二年間も勃起が続いたというケースも報告されているとのことです。

羨ましい〜…!なんて思っている方、とんでもない!。

女性と淫事をしても収まりがつかず、ズボンをはいても格好がつかず?、又、悪いことに、勃起している本人に全然性欲がないの だから始末が悪い。だからこれは一種のインポテンス(性的不能者)なのでもあるのです。本人は死んでしまいたい、と思うほど苦 しむというのである。(笑)

我々は、好奇心で例の?アメリカの錠剤を飲んでいる位がいのかもね。

ところが、嘘か本当か知りませんが、日本では腎虚で死んだ男のペニスは勃起したままというのである。腎虚とは、即ち房事過度 ?のためにおきる衰弱症である。いわゆる「やり過ぎ」というものである。

川柳子はそんな男のあわれな末路を、

『 湯かん場の 笑い腎虚で 死んだやつ 』

と詠んでいる。痩せ衰えた仏の男根だけが雄々しく立っているのだからクスクスと笑いが聞えてくるのも無理ないですよね。






『ナイルの姿勢』とは

『立ちづめ(プリアピズム)』なる誠に不幸な話があるものですが、世界にはまたまた不思議な姿勢があるものですね。

『ニロッテンシュテルク』と呼ばれる姿勢がある。「ナイルの姿勢」といった意味であるそうだ。ナイル地方ではじめて観察されたの でその名称があるというのだが、佐藤放彦氏の「人はなぜヒトか」によれば、ナイル地方に限らず広くアフリカ、インド、オーストラ リアなどの原住民のあいだで、この姿勢がみられるというのである。

これは片足立ちである。杖か槍を持ち、片方の足の裏を他方の膝の内側にあてて片足で立つわけだ。疲れたら、もちろん足を交代さ せるのである。

一本足で立つなんて疲れはしないか…と思うが、二本足でずーっと立ってると継続して同じ筋が働くからかえって疲れるものらしい。 時々足を交代させたほうが疲れないのである。遊牧民達はそんな姿勢を考案したのである。

ところで鶴が一本足で立っているのは、この「ナイルの姿勢」ではないようだ。あれは体温の無駄な発散を防いでいるのであるそうだ。
すなわち、一本の足は羽毛の中にしまい込んでしまう。そとに出てる足のほうは、足の付け根に一種の熱交換装置があって、足先 から冷やされて帰った静脈血が、ここで体内から送られてきた熱い動脈血の熱を奪って、温められた状態で体内に戻ってゆく。
動脈血のほうは、熱を奪われて冷たい状態で足先に向う。だから鶴は足の温度によって氷に穴があいたり、足指にシモヤケが出来な いのである。

それにしても、鶴にせよ、遊牧民にせよ器用なものですね。ま、どちらにせよ、何?にせよ、立つってことはつらいものですな。御 同輩!





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不可解な計算?


達磨の絵があって「七転八起」の賛がありますね。あれは少しヘンと思いませんか? どう考えても、計算があいません!


「七転八起」は「ななころびやおき」と読んで、(七たび転んで八たび起きる意)
@ 人生の浮き沈みが甚だしいことのたとえ
  A 度重なる失敗にも屈せず奮起することのたとえ
 
と『広辞苑』には解説されている。でも、一度転べば一度しか起きられない。七度転べば七起きである。どうして、八起きが出来る のでしょうか……・!?

まさか、達磨人形についていえば、あれは最初から横にして(倒した状態で)作る。作られた途端起き上がる!したがって最初は「零 転び一起き」と解釈する訳にもいきませんよね


どう解釈したら良いのでしょうか?教えてください!




中日五連勝!…・?


朝起きて新聞のスポーツ欄に『中日五連勝!』とあります。そう!中日が5日間続けて勝ったのである!(この場合巨人でも阪神で もいいが…)

でも、ちょっと考えると・…“連勝”という語が問題である。


五回勝ち続けると、「五連勝」である。その前の状態〜つまり四回勝った時〜は「四連勝」である。
その前に状態〜つまり三回勝った時〜は「三連勝」ですね。
その前の状態〜つまり二回勝った時〜は「二連勝」なわけだ。・・…?

では、その前(一回勝った時)は「一連勝」だろうか・…。「一連勝」はおかしい!


“連勝”は二つ続けて勝つことだ。ということであれば、“二連勝”は四つ続けて勝つことになりませんか?何故なら、連勝(二勝) を二回やっているのだから。

そうすると、「三連勝」は6連続勝、「五連勝」は十連続勝になる……ん?



もっとややこしいのが“倍”である。

「三倍」は、ある数量を三つ合わせた数量である。これは問題無いね。
「二倍」は、ある数量を二つ合わせた数量であだ。これもいだろう。
では「一倍」は……・

『広辞苑』の解説では
《いちばい〔一倍〕@ある数量と同じ数量 Aある数量を二つ合わせた 数量。倍。二倍。 B(副詞的に)いっそう、ひとしお》と なっている。

これによると、「一倍」には二つの意味があって、一つは「かける1」の意味、もう一つは「かける2」である。

もともと、“倍”という漢字の意味は「二つに離れる」の意がる。“倍”そのものが「二倍」であるから、“一倍”が「二倍」の意味となる。 そうなると、“二倍”が「四倍」になりそうだ。“連勝”と同じである。

だから、「二倍」の意味がある“一倍”を止めてしまって“一倍”はあくまで「一倍」(すなわち「かける1」)だとする。そういう考え方も なりたつが、そうすれば、入社試験で・・…

「私は人一倍働きます。だから私を採用してください」といったところで、他人と同じ程度にしか働かないことになってしまう。

日常慣用句としても“一倍”(人一倍)には「二倍」(他人の二人分)の意味があるわけだ。
……?何を言ってるか、分らなくなってきた……????




アリバイ“現場不在証明”

推理小説では必ず出てくる“アリバイ”!であるが、日本語では「現場不在証明」と訳されています。犯罪などの事件が発生した時刻には、 被疑者がその現場にいなかったことを証明するのである。


しかし、よくよく考えてみれば、被疑者がその現場ににいなかったことを証明するのである。(居ないのであるから証明できませんよね!)

実際問題としては、彼が別の場所に居たことをもって、彼が現場に居なかったことの証明とするわけです。その意味では、“アリバイ” を「不在証明・般・垢里呂・・靴l・ァ帖・lt;BR> むしろ「他在証明」と訳すべきではないでしょうか。


もっとも、アリバイの目的は「他在」を証明するのではなく、「他在」によって「(現場)不在」を証明するのだから、目的的には「不在証明」 で良いのかも・…


借金取りがやって来て、居留守を使った親父が、子供に不在を告げさせる借金取りは「嘘だろう…」という。
すると子供が、
「お父さんが留守だと言っているのですから、間違いありません!」と答えた


これも一つの「不在証明」であるのでしょうか……?



蛤の吸物

三月になって水が温んでくる頃になりますと貝類の美味しい季節となります。お雛様の時季、一番美味しいのが『蛤』、蛤とくれば…・


蛤は栗の実に似ているから「浜栗」と呼ぶのだそうです。美味な貝で、古代の貝塚からも貝殻が出土する事からも分るように古くから 食用にされてきたようです。しかし美味しいのは雛祭り頃までで、水温が上昇するにつれて蛤は子を持ち、煮ても焼いても食えなく なる??
水温が上がると遠くへ出かける習性もある。夏の蛤は遠くへ出かけるるし、不味いばかりか時には中毒を起こすので『夏の蛤』という と江戸川柳では『浮気女』なのだそうだ。

しかし、蛤そのものは貞女の意だそうですね。理由は、蛤の貝殻は他の貝殻と絶対に会わないからである。そこで「貞女、両夫 にまみえず」の意味で江戸時代から婚礼の料理に供されてきたのである。
尤も婚礼の披露宴に出される蛤の吸い物は、蛤の貝肉は新婦の象徴だから食べてはいけない。ただ汁を飲むだけである。

《蛤は 吸ふばかりと 母訓え》《蛤は 初手赤貝は 夜中なり》

江戸川柳はそう言っている。お解りになりますか…・?
蛤は吸うばかりというのは、婚礼に招かれた客は蛤の汁を飲むだけである。しかし、新婦も初夜の作法として吸うだけにして、自分の 舌を夫に入れてはいけない!という母親の訓えであるのです。
バレ句における貝類は女陰ですからこれだけでニヤリとしますね。そしてくれぐれも蛤のほうは陰部でなくして、あくまでも『吸い物』? であると…・
昔の人はいいことを教えますね、赤貝は女の異称、披露宴の蛤が終われば次は寝室に入って赤貝を食するのである…・??

蛤・浅蜊などの吸い物は水から煮る、出汁は少なめにすること。独特な風味を落さないコツは火を止める寸前に塩で味を調えること でしょうか。

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