天上栄花湯開酒玉茎


季節も初夏を感じる頃となり、自然と足が屋外へ向くというもの。連休などどこも観光客であふれていたそうですね。貴方は何処へお 出かけされたんでしょうか?最近はちょっと郊外いくと温泉施設がありますし、旅館などで温泉だけでも利用することが出来ますね。 街でもスーパー銭湯が大流行だそうで・・・。日本人は本当に温泉や銭湯が好きなんですね。

京都洛北比叡山の麓、八瀬という村には竈(かま)風呂があります。天武天皇が背に矢を射られ、その傷を治したと謂われる湯場です。 竈の中で薬草などを入れて中で焚きます、それを水で消し蒸気になったところへもぐり込むというもの、現在のサウナですが、風呂の 始まりとも言います。

話を少し艶っぽく!今回は貴方の理解力に任せて詳細な解説は無しで・・・

『天上栄花湯開酒玉茎』という言葉があります。「てんじょうえいがゆかいしゅぎょくけい」と詠みます。初夏の汗を流して、湯上 りの上気した女の様子に、男は魅了するんでしょうなぁ。

「女房を 湯にやり亭主 酒を飲み」
今夜を期待してる亭主の思惑でしょう、これは男の健全な好色心の発露でもある。

「湯上りの 味は古語にも 誉めて有り」
昔からそんな言い伝えがあるんでしょうな!互いに絶佳を感じるという庶民の知恵のしからしむる処でもあるんでしょう。

「松茸は 酒、蛤は 湯で風味」
こうなると出色ですね!酒と湯でよい風味が出るんです!

「いい寝酒 肴に実の つまみもの」
酒の肴に、床入りしてから探春しているんですなあ〜、ところがですよ!酒が過ぎると役にたたなくなるっていうもの。

「酒茎も 程があるよと 女房ぢれ」
「湯開はきしみ 酒茎はぢれったい」 ともあった。こうして色道指南書『閨中紀聞枕文庫』の中に「湯陰酒茎の説」として事細かに 書いてある。

さぁ〜さぁ〜以上、貴方はどれだけ理解できましたか?だいたい字面で解りますよね。所詮「万菊てすさび」、ろくな話ではない事は 確かですからね!(ご無礼しました!!)




自慰の文化論か?


性の機会という事では江戸時代は非常に発達した期間で遊郭・岡場所の文化としてよく知られている。江戸の吉原、京の島原、大阪 の新地、長崎の丸山などは様々なエキサイティングな美的、文学的形式を育んでいったのであろう。

ところでそんな中、江戸が自慰の文化としても発達していたということはよく知られていない。(まぁ、そんな事知らなくてもいいで すが…)

「当入」とは女性の自慰の事、男の場合は「当掻」「当挊」と書いて「あてがき」と謂った。
ちょっと国語的にいえば、それら表現の語彙の多さを調べると判る。当入、当掻の他にも、「皮つるみ」、五本の指を使うので「五 人組」「千摺」「万摺」といろいろ。千摺は「弄」の俗字である「挊」の字を当てるとも。手を上下させるというわけで面白い。

『千摺は 隅田の川の 渡し守り 棹を片手に 川(皮)をあちこち』…

挊は音読みして“ろう”という事で挊手(ろうしゅ)の語としたという。その挊手の為の道具も、女性用は張形、 男性用は吾妻形として知られている。

張形は前回少し書いたから、今回は吾妻形について。吾妻形は「陰門の形をこしらえたるもの也、ひとり寝のおとこたちの楽しむの 具也」とある。温めたる蒟蒻がそうか…、高級品は羽二重などで女性器のまがいを作るのだが、面白いのはこの男性自慰の具が東(吾 妻)の名で呼ばれている。

東で最大な都市である江戸は、西鶴に謂わせれば直截に独身男たちの都でもあったようだ。参勤交代に伴って男たちがあふれた。人口 の三人のうち二人は男という按配だからこそ遊郭稼業も栄えたわけだが、当然のことながら手淫文化も多いに栄えたという。

比較すればわかるが、十八世紀の京は逆に三人に二人は女であったという。京で美人画や春画が余り栄えなかったのもその辺りに拠る のではなかろか。

歴史もこうして角度を変えて(?)みると楽しいですよね。学校で教えてくれたら国語も歴史も“良”は取れていたのにねえ〜。




佛教は仏陀の教えである


佛教は佛陀の教えである。実はこの“ブッダ(buddha)”という語はサンスクリット語であって、本来は「目が覚める」といった意味で ある。そこで「真理に目覚めた人」即ち「覚者」を“ブッダ”と呼んだ訳なんですね。

その“ブッダ”を中国人は“佛陀”といった漢字でもって音写した。この漢字はよく考えられて作られているです。

“佛”の旁(つくり)の“弗”は「あらず」といった打ち消しを表す言葉であって、例えば“沸騰”は水が蒸気になって水でなくなること をいう。同様に、“佛”は人(人偏)が真理に目覚めて人でなくなった状態だとする。そんな意味であります。

ところが現在、この“佛”の代わりに使われている“仏”は旁の“ム”は我が国では「ござる」といった具合に使われてきた。従って、

“佛”…人にあらず、“仏”…人でござる、となっている。

万菊に掲げてある額『一切衆生 悉有佛性』の“佛性”は真理とか経典の中のホトケであって、すべて生きとし生けるものは悉くホトケ の真理を持っていると解釈します。“仏”になってしまったというのは…、人が亡くなって仏になってしまったとでも。

いやいや今月も心気な話で始まってしまいましたね、これでは読んだ甲斐がないと言われる貴方にほんのちょっぴり色香を味わっていた だこうかな…(笑)

“死にますと言うは行きます時の声”死ぬという忌む言葉も、こんな語呂合わせの趣向を凝らせば…ニヤッとしますね。

もう一つ
“死にますと言うは女房の夜病也”叫春の死ぬという言葉を発するのは女房の閨独特の病であると医者は言うとか言わぬとか?

最後にこんな破礼句(ばれく)解りますかな??

“気遣りの 声は祭りの 渡る頃”





白魚と素魚はどう違うのか?


この季節、寿司の種に白魚が出始めます。また、懐石料理の吸い物に椀種として真っ白な白魚が入り、木の芽が浮かんでいたりすると 新春の香りが部屋にただよいますね。三月頃までが白魚の季節ですか。

ところで、シラウオとシロウオが違うのをご存知でしょうか?漢字で“白魚”と書けば、シロウオと読みそうですが…、“白魚”はシ ラウオで、シロウロは“素魚”と書くんですね。????

シラウオ(白魚)はサケ目シラウオ科の魚で体長約10センチであって、シロウオ(素魚)はスズキ目ハゼ科の魚で体長は約5センチとある。

素魚は美味しい魚であるが鮮度が問題で、死ぬとたちまち味が落ちるので生きたまま三杯酢をかけて飲み込む「踊り食い」で食べる。 昔、熊本天草の旅館で食べたことがあるが、これは乙なものではあるが余り好きにはなれなかった思い出がある。

歌舞伎「三人吉三廓初買・(さんにんきちざくるわのはつがい)」で有 名な名せりふ・・・

「月もおぼろに白魚の、かがりもかすむ春の空」はもちろん白魚!そしてまた、俳句などにも詠まれている。
「美しや 春は白魚 かいわり菜」「白魚や さながら動く 水の色」

そしてあの有名な形容詞! 〜白魚のような指〜も、白魚の知名度を高めているのではないか…。もっともこの形容詞のような指を最近 はなかなかお目にかかれない(泣…)

白魚は生のままでも食べられるが、生でなくても食べられる。脂肪が少なく味が淡白で、吸い物などは上品な味を楽しめる。

これだけの話ではな〜んにも面白くない!と思われる方に…ちょっと。

『白魚の 力帆柱 引き起こし』の句をおくります。解説必要ですか??

小股が切れあがった女の白く細い手で刺激をあたえて硬直させた、その有意義な力を驚嘆している句であろう、情景が浮かびますなぁ〜。




異常気象とはいうものの


暖冬だ、異常気象だ…と喧しい昨今ですが、自然だけは人類がどううなっ てみても簡単に都合よく整理できるものじゃないですよね。

ここで云う異常という語義とはなんであろうか?「平常・普通とは異なっていること」「普通の場合と比べて変わっていること」と、 国語辞書にはのっている。

先日も異常乾燥注意報がでた。ひと月に26日異常乾燥で、普通が4日だ ったという??どうもこれはオカシイ…26日異常乾燥が 普通で4日の普通が異常乾燥だ。

セックスの体位に「正常位」といわれるものがある。仰向けに臥した女性の 上に男性が重なる形で、『医心方』で云われる燕同心(え んどうしん)がそれ にあたる。最もポピュラーな体位というところから「正常位」と言うのであろうが、セックスにおいて「異常位」なんて言葉は聞いた こともない。

その昔、イザナギとイザナミとはセックスをして神や国ぐにを生んだという。先日読んだ日本書紀には、その時の体位が記載してあっ た。

〜ついにまぐはひせむとして、その術を知らず、時に鶺鴒(せきれい)あり、 飛び来たりてその首尾を動かしき、二の神(ふたはしら) 見そなはしてこれに 学びて、まぐわひの道を得たまひき。

とあった。方法を鳥から知ったというのだ。とすると、体位はどうしても後 背位としか考えられない。正常位、いつの時代からそれ が「正常位」になったのであろうか…?




錦秋の京都は何処へ


そうだ京都へ行こう!・・・何処かで聞いたキャッチフレーズですね。

紅葉の時期でもある、古都といわれる京都をのんびりと歩いてみては如何ですか?

僕のお勧めは、洛北三千院を過ぎて北に足を伸ばすと鯖街道沿いに古知谷がある。古木に囲まれた参道をいくと阿弥陀寺の門前にある 樹齢八百年の古知谷楓が今が最も色鮮やかに秋を見せているであろう。

周山街道は高雄(尾)・槇尾(まきのお)・栂尾(とがのお)と三尾へと導いてくれる。それぞれ神護寺・西明寺・高山寺と山深いところ でもある、左右に北山杉が見え始める頃、清滝川を渡り石階段を登ると神護寺であるが、門前は京都でも屈指の紅葉撮影のポジション でもありますね。

平安京への遷都は「うぐいす鳴くよ平安京」と憶えた794年(延暦14年)である。中国の都城制を真似て首都建設がなされたが、この とき南北を貫通する幅85bの朱雀大路を軸に東西に二つの区域を設定された。左京と右京である。

唐風の呼び名で、左京は「洛陽城」右京は「長安城」とも称された。平安後期ともなると右京の衰退は目に余るほどだったという。左 京と比べると湿潤な低地で沼や泥地がそこかしこにあり、元の農地に戻ってしまったという。

京都が洛中・洛外などという風に「洛」で表されるのは、都の中心が「洛陽城」になったからである。後、平安京は左京を中心に、北 、東へと延びて細長い形に整備されたが、応仁の乱などずたずたに破壊された。豊臣秀吉による都大改造などで東西の区分けから二条 大路を分岐線とする上京・下京の南北区分けに変化していった。

京都は古いものがある町で、古い町ではない。千年の都というけれど、町中には歴史的建造物は余り残されていない。先の戦災を免れた せいで明治・大正の家並みが残っているから古いと感じるだけである。

また、京都はこれまで、いつも新しいものにチャレンジする町でもあった。それは芸術・哲学・織物・染め・建造物、そして近代には 精密機械から電子機器に至るまで常に時代の先を歩んできたといっても過言ではないだろう。 最近では町の玄関である京都駅がそうであるし、駅前の蝋燭風の塔に見られる。

話が逸れてしまったが、紅葉の秋極め付きは比叡山延暦寺横川(よかわ)であろう、朱塗りの懸崖造りの横川中堂・四季講堂(元三大師 堂)から恵心堂を巡る元三大師道は落ち葉を踏みながらの散歩には秋を十分に堪能することができますよ。




称徳天皇と弓削道鏡のこと


秋≠アの季節、美味しいものに里芋がありますね。ジャガイモやサツマイモは江戸時代に伝わったものですが、里芋は我が国本来 の芋といえます。 でも、里芋はどちらかといえば限られた料理にしか使われないだけに、季節感のある食べ物といえるでしょうね。

お月見には欠かせない供物ですし、今の季節山形地方では、大鍋の中に里芋や蒟蒻、人参、肉等を入れて川原で一緒に食べる「芋煮 会」と称して楽しむ行事がありますね。里芋こそ日本人の食生活に密接な関係があるのです。

里芋は一メートル以上にも伸びた葉柄の先に大きな盾のような葉を付けます。この葉の上に玉のような露を結んでいる風景が見られ ますが、秋の朝にはなかなか味わい深いものですね。

地方にっては「芋」というと山芋をさす場合もあるのですが、東北地方の山村などがそうで、里の芋に対して、山の芋となります。自 然薯ともいいますが、それを栽培したものがナガイモです。

自然薯やナガイモには、葉の付け根に肉芽が出ます。むかごと言って茹でて塩味で食べると素朴な風味があります。近年、里芋も山芋 もいつの間にか食卓から遠くなってしまいましたね。やはり秋を味わうには欲しい食材です。

里芋の子芋を皮のまま茹でて食べるのが「衣被ぎ・きぬかつぎ」で居酒屋のお通しによく使います。葉柄は「芋茎・ずいき」といっ て、乾燥させた後にこれも煮て食べます。

衣被ぎ・・・? 芋茎・・・?? ずいき!!

こうした言葉を聞いてしまうと黙っておれないのが万菊てすさび。 衣被ぎ(きぬかつぎ)とは、割礼前の男性器に隠語。その姿から何 となく想像できる。そして芋茎は張形に使う材料、晒して白くした芋茎は見事なまでに男性器の姿に編みこんで使用するという。

日本書紀に拠れば、考謙天皇が重疎して称徳天皇となるが、女帝は弓削道鏡という僧を利用して政務を執行した。道鏡は怪僧とも云わ れ、称徳天皇に寵愛を受けたそうだ。
何分、ものの本に拠れば道鏡が風呂に入ったら膝が三つに見えたとか、天皇はその道鏡にすっかり生気を失ったとも云われる。
法皇になった道鏡も結局は失脚し流されるが、称徳天皇は道鏡のモノが忘れられない!

そこで例の芋茎を遣ったというのだ。芋の成分はかゆみを伴うと言うからいいのだろう。しかし、女帝は下の病気で崩御したという から…、そんな所に原因があったと思われる。

江戸の川柳子は 「道鏡は崩御崩御とみことのり」と、かく詠ったという。





呂律があわないと・・・


呂律を合せる、呂律が合わないという成語がある、

京都大原天台宗門跡寺院三千院を挟んで、呂川と律川の両川が流れている。 京都の北部に位置する三千院は花を売る大原女(おおは らめ)や、さば街道や すぐき等お漬物で有名なのですが、この大原は中国の大原(たいげん)を理想 に天台宗の教義を教える道場でもあったのです。

中でもすぐ隣に位置する勝林院は浄土宗を開いた法然の大原問答で有名です。
そして、奥に位置する来迎院と同じくして声明の勉強でも知られており、浄 土思想の発祥の地でもあります。(三千院往生極楽院の 阿弥陀三尊像や来迎院 の薬師・阿弥陀・釈迦三如来像は一見ですね)

声明とは読経に節をつけて唱えるものですが、この声明が後に浄瑠璃や浪曲 など庶民の文化へと変化していくのです。特に天台声 明はイタリアのグレゴ リア聖歌と比べられるほど美しいと云われるほどです。

さてさて、この声明の音階に呂音と律音があるそうですが、なかなか微妙な 違いで合せるのが非常に難しいというのです。来迎院 ではその練習の声にす ぐ近くの滝の音が聞こえないと言われ、音なしの滝として今に伝えられてい ます。
しかしその呂音と律音がぴったりと合った時の声明はどれ程美しく聞こえる か想像だになりません。(何度も聞きましたが、本当に 美しいものです)

そんなことから「調子を合致」出来ないことを呂律(ろれつ)が回らない、な どとして使われております。


ここで一句、『行くぞ行きますと 呂の音律の音』

もう言わずもがな!ご理解いただけると思いますが…、ちょっとご説明を。 「行くぞ」は男、「行きます」は女の声、呂律を合せ るという言葉を借りて 「調子を合致」させるという趣向の句である。




天の川を見て想う


七月といえば「七夕」、夜空を見ながら天の川を探す。この頃星を見ることもないなぁ〜と嘆く前に梅雨の晴れ間一度夜空を見上 げてみては?

天の川の東に、天帝の息女の織姫が住んでいた。仕事熱心な女性で、朝から晩まで休まず天衣を織っていた。そこで父親の天帝は 天の川の西に住んでいた牽牛と結させてやった。
ところがですね、結婚すると織姫はちっとも機を織らなくなったのです。何故か?機を織るのは他にすることがないからであって 、男と女が一緒に暮らせばやることがいっぱいある?のだから馬鹿らしくて仕事なんてしておれない。古今東西の常識である。 (ジョークですよ…)


星を見ながら、「夫婦の愛情」と「死後の世界」の二つについて考えてみた。
ポリネシアの土着民は死ぬ前に思い思いの星を指差して『私が死んだらあの星に住む』と言い残して息をひきとるという話を読 んだ。
そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲の人にも幸せに違いない。また科学がどんなに進んでも、これを否定し、霊魂 の門を閉切るほどの新案は永久に下せないであろう。
私が死んだら行く星は…オリオンにしよう。なぁ〜んて言うのも幸せであろう。
ポリネシア人の風習はやはり素晴らしいと思う。

ともあれ、天の川を見ながら、自分が死んだら何処の星に住むのか考えてみてください。そうすることによって、少し人間らしい心 を取り戻せるのではないだろうか。

そこでは、同じ星に住みたいと思う「夫婦の愛情」を垣間見るのである。
我々は結婚すれば夫婦になったと思っているが、そうではあるまい…ということだ。夫婦というのは結婚をスタートとし、お互いに 相手を理解しあいなら一生かかって夫婦となるんではないだろうか。  (ちょっと偉そうなこと言ったかな??)

「愛はいつも、いっそう深まっていくか、だんだん冷えていくかのいずれかである」そんなフランスの格言もある。

愛があるから大丈夫…といった考え方は危険である。結婚してからのほうがかえって難しいのだ。つい、我々は夫婦だから…と安心 してしまうからである。




両性具有という言葉


両性具有という言葉が一般に用いられるようになったのは比較的最近と思われる。ヘルマフロディスの直訳であろう、何か硬質で 学術的なひびきを持ってはいるが、やまと言葉では「ふたなり」と称して病草紙に哀れな姿をさらしている。

ボーヴォワールは『人は女に生まれてくるのではなく、女になるのだ』と言ったが、白洲正子女史は『男は男になるまでの間に、この世 のものとも思われぬ玄妙優艶な一時期がある。これを美しいと見るのは極めて自然なことであり、別に珍しいものではない』とも 言った。

二人で性の歓楽を極めることを、二人が悦に入るという意味合いから二人を一つの文字に合体して「天悦」と書くのだが、反対に○○ 性交などは受ける方は苦痛を伴うのでただ一人だけ悦に入るので、一人を合体した漢字は大となるから「大悦」と称したのだそうだ。 常時男色だけに終始した僧侶の世界で使われた言葉である。

ここまで書いて、万菊手すさび愛読者の方々にはもう予想が付かれたとは思いますが、今回はそういう??世界の話を書いてみること にしました。

江戸時代、その盛衰はあるが、時期によっては戦国時代の影響を受けて男色が盛んに行われたそうである。地色(素人)の男色もある が、それ専門に応ずる陰間もいて江戸各地に陰間茶屋も隆盛したそうである。因みに、陰間はカケ間でカ行のカとケの間、つまりキク であって菊、解りますか?(わからない方はそちらの方のちょっと勉強を!)言っときますが、万菊の菊では決してありませんからお間違えのないように。

それでも、南方熊楠や三島由紀夫などの著書には類じた文章もあって、あげて熊楠は「確かに病であれば人間にとってこれほど恥ずか しく不幸なことはないのであるがギリシャ、ローマでは逆にもてはやされた場合もある」と書いている。

『女房の搦め手を責め叱られる』 城攻めの用語で、表門は大手、裏門は搦手(からめて)という。性に熟達した夫婦である。亭主が戯 れに後ろに挿入しようとして「だめ!そこは」と叱られた状況である。

最後に珍しい話、江戸の絵草子「旅枕五十三次」に池鯉鮒(ちりゅうふ・知立)の次に「前後(ぜんご)」という地名の説明としてこんな 面白いことが書いてある。


前後、昔此所に淫乱の美婦ありて、上り下りの旅人にふるまいけるとぞ。されば、日本国中の人の様々なる玉茎の味をこころみ、ゑ ぞりふきう人にまでとぼさせじとぞ。かかれば、貴賎老若をとはず、大陰(おおまら)、雁高、太茎(ふとまら)、長茎はいふに及ばず、 (中略) 世にあらゆるへのこの品類、何一つ知らぬことなく、今は開にてうけるも珍しからずと、それよりは又諸人に肛門(けつ)をさ せしとぞ。されば旅人も興に乗じ、ぼぼと尻とをたがひちがひに抜きさしして、前も後もおかすゆへ、是を前後といひしなり。此女没 後は只名のみ残れり
とまこと稀有な戯文あり、興味が深い。

つらつら書いてみて思うに人間の凄さというものは性を通してだけでも感じられます。
わが凡人には計り知れない隠れた人生があるものとただ平伏すのみですね。 駄文お読みくださいまして感謝いたします。





人間の欲望は



人間は欲望のままに生きようとすると、必ずと言っていいほどそれを阻止しようとする病になってしまうという。本当に不思議で ある。

煙草を吸うと肺がんになり、美味しいものをたくさん食べると糖尿病や通風となる。酒を飲み過ぎれば肝臓がギブアップしてし まい、奔放なセックスを楽しむと性病を患ったり時には腎虚となる。要するに、欲望と快感(楽)の先には必ず落とし穴があると いうこと。
ドキッとされる方もみえるかとも思いますが・・・

人は欲望のままに生きてはいけないと神様や仏様が決めていらっしゃるのだろうか?。或いは、人は体に悪いことばかりににしか 快感を覚えてしまう生き物なんだろうか?。

本来、神様や仏様は人の心の中にあるものであり、どこか高いところから支配するというようなものではないと教える。
だから、欲望のままに生きている人間を神や仏が罰しているというような解釈はとらない。。

では何故、自分の命を脅かすような欲望や快感(楽)を抱かえてしまうのであろうか?
酒や煙草はともかくも、食事やセックスは人間存続(ちょっと大袈裟か)には必要な快感であるから、美味しいものを食べたり、 セックスしたりすると脳が快感物質を分泌するのは考えられるメカニズムでもある。

成る程!それはロジックとしては考えられるのだが、問題はその欲求が満たされたあと、なほ快感が止まらなくなってしまうこと である。要は、我々人間の脳のストッパーのようなものが壊れてしまうということなのであろう。

そして何故壊れるか?というと、より快感を求めようとする「貪欲さ」こそが「進化」に必要な要素であったからである。でも 「進化」とは良くも悪くも、モラルとマナーによっていかようにもなるから始末に悪い・・・(困るね)。

ちなみに万菊てすさびのセックス談話もモラル・マナーの範疇であると勝手に思っているのですが、それにカルチャーが加われば もっといいのだが・・・、残念ながらそれは無理というもの。





女閨訓 その2



『女閨訓』先週からの続きです。
(まっこと、この文脈の狭間にうなづくこと多しは、我歳ゆえなりしか? 笑 )

其の弐

第二には、唯、夫の求めに快く応ずるのみならず、進んで我より之を求むる時は大いに男を悦ばしむるものなり。敢えて、想を口 に出さずとも、或は入れて欲しき態にて、脚を絡みて抱きつき、或は夫の前に手を入れて、静かに之を玩ぶべし。

総じて、男に其の心なき時は、男根小さく軟きものなれ共、弄廻はすに従って、堅く大きくなり、遂には其の心も出て来るものな り。昔の女は、此の事を欲せざる事が、静寂にして慎み深きなりと考えたる様なれども、夫は甚しき誤りなり。

されば、妻たりとも我より夫を誘ひ、持掛くるもよき事なり。例へば、既に眠りに就きたり後、静かに男根を探りて、之を玩び、 其の堅く大きくなれるを待ち、我から乗り掛かりて、女陰にくわへ込み緊と抱きつき夫を目覚さば、夫も亦、其の思いかけざる 歓待に驚き喜び、狂わんばかりに感謝の念を以って、之を迎ふるは必定なるべし。

殊に、夫が心に他の女を思い、或は他所に情婦などの出来たる折りは、一層気をつけてしばしば我より持掛け、夫の精を取り戻す 様に務むべきなり。 斯る時には無理にも毎夜の如く乗り掛りて、其の精汁を吸ひ取り、常に夫の精の蔵を空にしておく時は、夫 の心に他の女を思ふ余裕なくなりて、我が身のみ可愛しと思ふ様になるものなり。

其の参

第三は、交合の間、一々其の感情を言葉に出して云い表はす事なり。之又、大いに夫の心を楽しましむるものなり。飲食の馳走に ても、お世辞と云ふ事あるものなり。
何と馳走しても好きなりとも、美味しとも云わざれば、張合のなきののぞかし。されば、快よしとか悪しとか、或はもっと奥の方 を突いてとか、或は口許を擦りてよとか、様々に注文するも亦夫をして、張合ひあらしむる所以なり。

其の四

第四に、よく調子を合はする事なり。夫が腰を大腰に寛く使はば、我もゆるく揺り上げ、小刻みに早くする時は、我も早くし、 一般に夫の抜き上げる時、我は腰を引き、夫の突込む時、我は腰を持ち上げて、女陰を磨り付ける様にして、之を受くべし。

斯くの如く揉み合い擦り合わせて、将に夫の精洩れ、気逝かんとする時には、同時に我も亦無我の境に入りて、夫と一心一体とな らん事に努むべし。
凡そ交合の前後を通じて、一般に心得べき事は専心なるべき事なり。

更に心得べきは、其の事の終わりて後の事なり。既に男根を抜き出し我が物を拭ひ終らば、万事修了せりと思ひて、直ちに眠りに 就くは、真に心なき業なり。凡そ、男、一度其の精汁を洩らす時は、心身とも大いに疲るるものにして、只腰を動かすのみなる女 子の疲るるとは同断の比に非ざるなり。

されば、我を可愛しとばかりに、斯くも疲れしと思ひやりて、夫のものを拭いやり、改めて再び緊と抱き締め、長く口を吸ひて其 の労を慰むべし。然る時は、夫の元気を快復さしむるものなり。其れより夫の眠りに陥るまでは、其の眠りを妨げざるほど静かに 男根より陰嚢にかけて優しく按摩をなすべし。これ肝要の事にして、妻たる者の忘るべかざる本分なり。

男は、交合の後は、一般に其の疲るるが故に、後にて悔ゆる至るものなり。其の時に当りて、斯くも、手厚く慰め労はるる時は、 始めて我が妻に対する感謝の心、湧然として起こり、其の念はやがて一家和楽の基をなすと知るべし。

な〜るほど…!微に入り細を穿った説明である。明治の先進的な女性は違う!!
さぁ、この文をかみさんに見せるべきか?我が心に留めておきべきか?



女閨訓 その1



こうした嫌な話は万菊てすさびには似つかわしくも無く、今月は直線的にと いうか、多少長文でもあるのだが艶本にみる明治の慎 ましやかなる、且つ先 進的な女性の書「女閨訓(じょけいくん)」の一部を見ていただくこととする。

「閨中一般の心得」 その壱

此れ男女交合して一体となるの原理は、凸なる所を凹なる物を以って補うに あり。古事記の所謂「成り成りて成り余れる所を、 成り成りて成り合はざる処に」刺し塞ぐことなり。然共、単に男根を女陰に刺し込むのみにては、素より 楽しみに到るものに非 ず。必ず動揺摩擦して、熱を生じ、其熱、男女の心肝を貫き茲(ここ)に大いに精を漏らし、気を逝りて、始めて快味の極度に至 る ものなり。故に男女とも閨房(けいぼう)を共にするには、専ら此の事を楽しまん事に一心を傾け些かも他念あるべからず。

殊に女子に於いては如何にすれば、最も夫を歓び楽しましむるを得んか、念々 此事をのみ思い廻らすべきなり。凡そ、男子、妻 を娶りて一家を為し、然も尚、他の女に心惹かるる所以は、多くは閨中の楽しみに不満あるが故なり。

男も年若き程こそは、女の唯顔貌の美しきにのみに心を奪はれるど、中年に至 れば女陰の宜しき趣き、閨中の饗応巧みなるに心 を傾くるものなり。故に、美人の妻を持ち乍ら、醜婦の妾に溺れて、妻をして孤閨に泣かしめ、或は夫婦の 間に多くの子まであ りながら、家を棄てて情婦の許に走るなどは、皆悉く其の 所以にてあるなり。(中略)


凡そ男は早より交合の真の楽しみを解するものなれど、女子は然らず。子の二.三人も生めるか、或は二十七八乃至三十の歳に も成らざれば、身も魂も溶くる許りの真の快味をば感ぜぬものなり。之を以て往々にして、夫の求むる事を五月蠅く煩わしき事 に許り思いなし、其の都度快き顔せぬ事もあるものなり。

又縦令之に応ずれ共、嫌々ながら身体のみを貸して、夫の働くに委せ、少しも 情を移すことなく、唯早く其の事の済めよかしと 念ずる等の事もあるものなり。
然る時には、凡そ夫としては何ぼう不満に感ずべきや。夫にして他の女を思い 以て一家破綻の基を為すなど、皆欺くの如き事に 因るものなり。

夫の求めに快く応じる事。これ易きが如くにして難く、実に女子閨中第一の 本分なり。

簡易なるが如くにして然らず、実に一家和楽の根元の係わる処なり。乃ち、夫 の求めに遇わば、時と場合の嫌いなく、笑顔を以っ て快く之を迎え、先ず抱きつき口を吸い舌を吸ふべし、交合の前と後に、口を吸ふは閨房の礼儀にして、前に口を吸ふは、我を可 愛がりてよと願ふ心にして情を移すなり。後に口を吸ふは夫の労をねぎらひて感謝の礼を尽くす意味にてあるなり。

抱きつき口を吸ひながら、夫の前を探り、男根を握りて温かく柔らかに締めつ弛めつし、待ちかねたらん態にて、我が前にあてが ひ、其の雁首にて二度三度、我が吉舌を擦るつつ、静かに腰を揺り出して、陰門に迎えるべし。

斯くの如く迎へられなば、如何なる男も、其の妻を憐しと思はざらんや。たとへ、昼の中に些の風波ありて不快に思いたらん事な ども、直に雲霧消散して、心身共に和合する至るべきなり。



姫始めとは?



ラブホテルを経営してる知人に、正月三が日のうちいつが一番忙しいか聞いた ことがある。二日だそうだ。元旦からではどうも 気が引けるという人がおおいせいであろうか。

そう謂えば書初めもそうだし、年が改まって新たに「事」を起すのは古来二日からのようである。
この一月二日のことを「姫始め」という。この語は古くから宮中や公卿の社会 で使われてきた。曰く、年が明けて初めて馬に 乗る日が「飛馬始」、また、火と水を使う初めての日だから「火水始」、そして、女が始めて洗濯する日だから「姫糊始」など。

或いは「非米始」で、元旦に食した「強食(こわめし)」をやめ、この日から普通の食事(「非米」は、かゆ飯)に戻るからだともい われる。

この「ヒメ」に「姫」の字があてられるようになったのは江戸中期以降とも謂われ、ここにおいてその意味も大きな転換を迎えた のである。
たんに1月2日をさすのではなく、日にちに関係なく、年が明けてから初めて おこなうセックス、といった意味となったのだ。
「姫」の字をあてると、いかにも清楚な感じのお嬢さん!といった雰囲気がじ られる。

いくら年の初めの行為とはいえ、「ソーコー」の妻とでは、どうもムードが盛り上がらない。そこでラブホテルが繁盛するといっ た図式でもないだろうが…。
とするならば、現在の意味合いで言うとこの言葉「秘(事)始」の字をあてたほうがピッタリする気がしますがね?



訳のわからない言葉?



今月は訳のわからない言葉のお話で濁します。

では、処女という言葉、実はもとは意味が違っていたというのである。「出処進退を明らかにする」ということばがある。ここで 「処」は「出」の対、つまりじっととどまっているということとある。

「始めは処女の如く敵人戸を開き、終わりは脱兎の如くふせぐに及ばず」という詩がある。始めは弱々しく見せかけて油断させて おいて、終わりに急に進んで敵に防ぐ暇を与えないということらしい。
ここでいう処女とは、今日のバージンの意ではない。家の女、つまり他家に嫁 いでいない嫁入り前の女性のことである。彼女ら がすべて処女であったか??
「処女」に対して「童貞」という語がある。普通は、まだ女性と肉体関係を持ったことがない男性をさすが、実を言うと女性にも 「童貞」はいるのだ。

ローマ・カトリック教において尼僧のことで、ミッション系学園で礼拝の指導 に当たる人である。彼女達は先生と言われず、童貞 さまと呼ばれる。
「あの童貞さま処女かしら…?」などと、一見訳のわからない会話がされる?

「バージン」というと普通「処女」をさすが、実はこれも英語では性別に関係なく男性でもvirginなのであるから外来語としての バージンもややこしい。
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「ホモ」はラテン語で「人間」という意味、同性愛者のことをさす「ホモ」は英語の「ホモセクシユアリティー」の略、原義は 男女の性別に関係はなかった。
この「ホモセクシュアリアティー」は二つに別れ、男性同士は「ペデラスティー」で女性同士は「レスビアン」という。が、外 来語は「ホモ」は男、「レズ」は女とどういうわけか妙な区分になっている。

日本では男娼のことを「おかま」というが、これは「陰間(かげま)」の訳転ではないだろうか?この「陰間」は江戸時代歌舞伎 の世界で見習いの役者のことを言った語で、彼らの多くが小遣い稼ぎに男色を売ったことから一般化したらしい。

じゃあこの「陰間」はどういう語なのか?本来は「かけま」で「か」と「け」の間で仕事をしたからである。何???
そう「か」と「け」の間は「きく」である、菊座でし仕事をする商売であった。。
訳のわからない駄文でした、言葉というもの知らずに使っているものですね。



死後に渡る橋は・・・



世界の多くの民族が同じような伝承を持っている。それは、現世と来世の境には大きな河が流れていて、誰しもその河を渡らな ければならないというのだ。 実際には誰も見ていないくせに、どうしてこうも一致するのか不思議である。

例えば、古代インド人には「ヴァイタラニー河」という河があって剃刀のような橋が懸かっているという。
ペルーインカ族の場合は、湖の上に毛髪で造った橋が架けられていると言う。

古代ペルシャには、善人が渡る時は幅が広くなり、悪人だと糸のように細くなってしまう「チンヴァット橋」というのがあるそ うだ。 ギリシャ神話では「スティック河」が有名である。橋の代わりに老人カロンという渡し守がいる。

北欧の神話はその点美しい!「ヨル河」という河が流れていて、橋はキラキラ輝く金が敷きつめられているのだそうだ。それだ けでも詩情あふれるのに、モットグッドという名前の乙女が橋番をしているとのことである。

それでは日本はどうか?というと。
日本の河は「三途の河」である。何故三
途というのか?この河を渡るには途(みち)が三つあるからだ。
善人はもちろん橋を渡れるのである。相当悪い人はアップアップしながら急流を渡らなければならない。中間の人は河の緩やか な流れを渡る。これは実は平安時代の伝承で室町時代頃になると、この河に渡し舟が出来たのである。渡し賃は六文と決められ ているそうだ。

でも待ってください、では誰がその途を決めるのだろうか?閻魔様ははんこを押すだけであろうに…。
答えは、三重のある寺にあった。まず三途の河の入り口に老夫婦がいるとのことだ。
亡き者の衣を剥ぐといわれる奪衣婆(だつえばあ)がいる。娑婆での欲が染み付いたその衣を、連れ合いの懸衣翁(けんねおう)が 木の枝に懸けて、その枝のたわみ具合を計り、罪の多少を知るのだという。 精々普段から着衣の洗濯は小まめにやっておきましょうかね?いやいやもう染み付いて遅いのかなあ〜。



人生のたそがれは、アクメー!



「秋深し」といえば晩秋の季語でしょう、晩秋はだいたいにおいて陰暦の九 月、陽暦の十月と思えばいいのでしょうか。
思い出される句と言えば松尾芭蕉の 「秋深し隣りは何をする人ぞ」である。

この句、今日においては隣人との絶縁状態を詠んだ句と解されている。隣 人の職業も知らない、都会における現代人の生活から すればそうした解釈 がでてきて当然でしょうかね。
しかし、芭蕉の真意は必ずしもそうではなかった。むしろ「秋深き」のうちに 何故かふと隣人に声を掛けてみたくなる人懐か しさを詠み込んでいるのでは。

晩秋を思えば、そして「秋の暮れ」と移りゆく。「暮れ」とという語には三つの意味があるそうだ。

1、ある時間や時節の終わり頃。「春の……」
2、日が沈みかけてあたりが暗くなるころ。夕方。夕べ。
3、年の終わりころ。年末。「…のにぎわい」

しかし、もう一つ「人生の終わり頃」もありそうに思うのだが、辞書には出ていなかった。もっとも人生の終わり頃となるとむ しろ「たそがれ」と呼ぶべきか。
そうであれば、「たそがれ(黄昏)…人生の盛りを過ぎた年代を喩えていう」と 出てきた。
じゃあ、人生のたそがれは何歳からなのか・・・?どう思われますか?

古代ギリシャ人は人生の盛りを“アクメー”と呼んで四十歳頃としたらしい。 なに〜! アクメー?と言っちゃうの!

アクメとは「アクメ(acme) 性交時の快感の絶頂。オルガスムス。」と出てくる。
そうなんだ、ギリシャ人は四十歳頃を“アクメー”と呼んで、人生の盛りとし た。そうなんだ人生の盛りはアクメーなんだ!
だから、まあ五十歳・六十歳代ともなると人生のたそがれ時でもあるんですよ。
何なら余韻でも楽しめ!ってことでしょうか・・・。

秋とはそんな季節なのです。「秋渇き 先(まず)七夕に 渇(かわ)きぞめ」 朝から何か申し訳ない話ですみません。万菊で 余韻でも楽しんでください。



死因があれば生因もある



神様のことは良く知らないが、それでも今月はどうも神さんは出雲の国へ揃っ て出張らしい…。だからか安心してものが言える。
仏さんは罰をあてないが、神さんは罰があたる。だから僕は神さんが怖いです。

お釈迦様はこうおっしゃった。全ての人間の死因は生まれたことである、と。 では生まれた原因は何にあるのであろう。 「死因」とは聞くが「生因」とはついぞ聞いたこともない。
普通には、生まれた原因は両親にあることになっている。ある精子とある卵子 の結合による、そしてこの自分がおり、存在 するものである。それでもやはりこれは生まれたことの条件であって、生まれたことの原因ではない。
そもそも存在しないものが生まれることはなく、生きていないものが死ぬはず がないのと同じく、そうした意味では存在す るから生まれたとはいえる。 存在が生の原因であり、従って死の原因も存在である。

では存在とは何か?

朝っぱらからそんな聞いたところで五月蝿いだけ、それより生々しい?生の原因の状況だけ記しておきましょうね…??

『その薬 腎虚させ手が 煎じてる』
『お祭りの 前手踊りの おもしろさ』
『千摺は 墨田の川の 渡し守り 棹を握って かはをあちこち』
『白魚の 力帆柱 引き起こし』
『口説くうち 倅 落涙つかまつり』
『逆さまな 事と女房 上で泣き』
『乳母も ついひよどり越えで 落城し』
『御背中へ 踵を上げて 御意に入り』
『宝船 皺になるほど 女房漕ぎ』

何?何?と思われた方、こんな「破礼句(バレ句)」をみると人間っちゅう奴は 生の原因という行動に人間だけに与えられた楽 しみを覚えたのでしょうか。或いは、男女における性交は子孫を残すとう生殖としての交合から離れて、 快楽追求の行為として 認識してしまったのでしょうか。
今月は無理やりという感じで話を作ってしまいましたね。罰あたりますかね?



お盆の謂われとは??



夏期休暇がひかえております、今ではお盆休みと純然にいえる方も少ないよ うで…。夏の避暑やら、レジャーへ、海外旅行へと 各自各様に楽しい連休? というところでしょうか。
それにしても何時からでしょうね日本人が遊びに熱中できるようになったのは?
少なくとも我が両親はしっかり働いて身罷りました、それにしても昔人は楽し みを何処に見出してきたのやら…?

目連というお坊さん聞いたことがありますか?お釈迦様の十大弟子の一人だそ うで、神通第一とされる。神通力とは今で言う超 能力ですな。
その目連がある日ふと亡くなった母のことを思い出し、母に会いたいと思った。
立派な母であったからきっと天界に再生していると信じて、神通によって母を 天界に捜しに行ったけれど、母の姿はなかった。
それではと、目連は人間界を捜した、でもそこにも居ない。よもやと思いなが らも畜生界をみたが居ない。そして餓鬼の世界 に降りてゆき母を捜した。

餓鬼の世界は地獄の隣りにあって、そこでは亡者が飢餓に苦しめられる世界で ある。地獄と同様生前に悪業をつくした人間が 再生する世界である。
そこに母は居た。浅ましい餓鬼の姿で母は「食べものをくれ!」と目連にねだる。

彼女は息子とも知らず食べもの以外関心がないという形相である。あわてて目連は食べ物を持ってくるが、母はそれを食べら れない。口許まで持ってくるとそれが炎を発して燃えてしまうのである。
「どうすれば母を助けることができるのですか?」目連はお釈迦様に尋ねた。

「7月15日、大勢の僧が諸国に遊行でかける。その日に大勢の僧に供養して、僧たちにお経を読んでいただきなさい。その 経の力によって、そなたの母ばかりではなく、餓鬼の世界に苦しむ多くの人が救われる」とお釈迦様は言った。

おそらく、目連の母は我が子かわいさの故に餓鬼になったであろう。我が子さえよければよいというエゴイズムが世の親を餓 鬼にする。だとすれば、子供も自分の親だけを救おうとするエゴイズムでは親を救えないのである。餓鬼の世界に苦しむ大勢 の人を救おうとしてはじめて父母を救えるというのだ。仏教はそう教えている。

これがお盆の謂れという。ところでは施餓鬼とも謂われる所以である。 釈尊はいろいろと上手い比喩で「心」を教えておりま す。手を合わすとは己が心とみつめ合うことなんですよね…。



人生の傘はこうである


雨が降るから傘が要る!と私は思っていたが…実際にはどうもそうじゃないらしい。
傘は本来は日傘であったらしい、我々はアンブレラは雨傘、パラソルは日傘と区別しているが、どうも語源的には共に日傘なの である。
アンブレラの語源はイタリア語のアンブラ(日陰)に由来し、パラソルの方も同じくイタリア語のパラ(保護)ソレ(太陽)というの である。ましてや、傘はもともと自分でさすものではなく、陽射しの強い古代オリエントやエジプトでは偉い人のためにお供 の人が日傘をさしかける。それでもって権力者の威厳が示されたのである。
傘は権力の象徴であったのかもしれない。

歴史家の考証によれば、ヨーロッパで傘が使われたのは18世紀だそうで、そういう点では我が国の方が早く、室町時代には 雨傘として使われていたということだ。しかし、傘が雨傘になってもイギリス紳士などは雨が降っても傘をささない、彼らは 常に持ち歩いているという。紳士たることの身分証明なのでしょうかね?

大体においてヨーロッパの雨は濡れない雨である。いわゆる小糠雨で傘をさすほどの事もないらしい。だから、雨が降るから 要るというのは嘘で、弱い雨だと傘が要らない、というのだ。よく映画で雨の中、レインコートの襟を立てて歩いているシー ンを目にするが、あれはヨーロッパの雨だからできるのである。

日本の雨ではああはいかない!日本の雨には傘が要る、傘の要る雨だ!

逆にもっと強い雨ならどうか…?やはり、傘は要らない。東南アジアの国々は雨が降らないのか?いやいや、冗談じゃないほ ど雨は降る。それも大雨である。大雨の場合には傘をさすのか?彼らは傘をも持ってないことがある、何故なら大雨の場合は 傘が役に立たないというのだ。傘をさしてもずぶ濡れなのである。

ではどうするのか?彼らは雨が止むまで待つというのだ。結論から云えば、雨が降るから傘が要るのじゃなく、傘の要る雨が 降るから傘が必要なのである?。

そこでこんな詩を見付けた。

『人生にも雨が降る、雨が降るだろう。
人生の雨は悲しみである。悲しみに遭って私達は涙を流す。その涙が人生の雨だ。
人生の雨に遭遇したとき、私達はどうすればいいのだろうか…?
小糠雨なら濡れて歩けばいい。霧雨に濡れて歩くも案外風流である。
小さな悲しみはしっかり耐えることだ。

傘のいる雨には傘を用意しよう。悲しみには慰めが必要である。慰めの必要な悲しみがる。
でも、土砂降りの雨には傘は役 に立たない。そんな雨に出遭ったなら、じっと待っていることだ。そうすれば、いつか雨は止む。それまでしばし雨宿りである。』



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