全長寺 ( ぜんちょうじ )   久澤山全長寺   曹洞宗 
  

    滋賀県長浜市余呉町池原885 



 

お江の母、市は長政の自刃から10年後、柴田勝家に再嫁している。市は茶々・初・江の三姉妹と共に勝家の居城越前・北庄城へ移り住んだ。市が35歳、勝家は61歳であった。「本能寺の変」直後のことで、1年を過ぎていない間に、信長の後継を巡って賤ヶ岳の合戦が始まり、安堵は長く続かなかった。
柴田勝家と羽柴秀吉の賤ヶ岳の合戦は余呉湖より北方を勝家軍、木之本周辺を秀吉軍が陣取って、各陣地で戦いが繰り広げられている。

余呉湖は静かに時を刻んでいる。ゆっくりとその時を楽しむのを後にして、兎に角この先の全長寺を探しに行くことにした。地図を見てると所々に戦国の世の遺構が点在するのをみる。我が国の平安が生まれる前の戦乱の時代であった。
余呉町池原の部落に入ると「あじさいの寺」と大書きした案内図を発見した。近年は寺の維持も難しく、各々に工夫を凝らして参詣者の呼び込みに忙しいのであろう。

 
禅の叢林というには…ん?、達磨大師や諸仏の石造が境内狭しと設置?してある、それもご愛嬌であろう。本堂脇の観音堂を覗いてみたらこの地には珍しい馬頭観音立像が鎮座している。忿怒の相と六臂の姿は異形でもあろう。この地方には美しい像から、優しいお顔の像、厳つい像から異形の像ととにかく楽しいものである。白山信仰の影響からなのだろうか?渡来人の影響なのであろうか?

現在の本堂、庫裏は1790年(寛政2年)に建立されている。賎ヶ岳合戦後、近在の寺々が廃寺になったことから仏像や書画等がこの寺に集まったという経過がうかがえる。阿弥陀三尊像などがそれであり、馬頭観音菩薩像は天台宗万福寺の本尊であったが境内の観音堂に安置されたという。

夏の終わりであろうか、湖北の里山にも風は優しくそよぎ、陽が落ちるのを早く感じる
ようにもなっていた




 


 


 


 


 


 


 





余呉の湖に寄ってみる。静寂の中、陽の光だけが時の移ろいをみせていた。この辺り、冬にはかなりの積雪があるという、戦国の時代にもこの静寂はあったのだろう?






 



  


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