安楽寺  (あんらくじ)  安楽寺    曹洞宗 


 長野県上田市別所温泉2361







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常楽寺から山すそという感じの小道を歩くと薄暗い山門へと続く、安楽寺である。鎌倉時代建長寺を開山した蘭渓道隆(帰化人)は信州塩田に禅の専門道場として1253年(建長五年)開創された。南獄懐譲ー馬祖道一ー臨済義玄の流れを組むものである。以後、安土桃山時代には曹洞宗に改宗されている。

本来、塔とはストウーバといわれるものの変形である。それは釈尊のお墓でもあるのです。お骨は舎利と云われ、それがもともと信仰の中心となったのである。仏教が日本へ伝来の頃の古いお寺などには正面には塔があったのです。以来、時代が流れるにつれて塔は正面ではなくなり、金堂や法堂(ほうどう・ほっとう)と並んで建ったり、次第に切り離して信仰の中心も変化してゆくのです。
安楽寺の塔は鎌倉時代のものですから、本堂とは離れた山腹に建てられております。


禅寺山門前の「不許入山門葷酒」の石碑を横に眺めながら石段を登り山門をくぐる。正面に法堂が見えてきた。鎌倉の建長寺と同じような位置で格式高い寺でもあったようだ。たくさんの雲水が修行し、この地方の仏教の中心となっていたのだろう。

本堂裏手の階段を登るうちに時折塔が見え隠れする。これまで幾度となく塔を拝観してきたが八角の三重塔は初めて見ることになる。安楽寺はこの八角三重塔が有名なのである。
いわゆる、禅宗様式、或いは唐様式とも云われる、それは開山樵谷惟泉(しょうこくいせん)、二世幼牛恵仁とともに入宋し、帰国後安楽寺を建立したという影響によるのであろう。
最下段は裳階(もこし)がついて一見四重塔に見えるが、正確には裳階付三重塔というのが正しいという。

縁や手すりがなく、柱は直接地面に立つ、周りは板壁である。屋根を支える垂木は放射線状になっている。こうした均整のとれた美しさは類を見ないかもしれない。ただ塔の四方は安楽寺関係の墓地となっていており、塔建立以後の経過が気になるところでもある。


帰り際、安楽寺の経蔵をみたのだが、中心に八角輪蔵ある。黄檗版一切経を収めてあるのだという。建長寺の蘭渓道隆の法脈と深い関係をもっていたことから、法子中国隠元(黄檗宗)弟子、鉄眼という高僧が10年の歳月をかけた中国翻訳版である。

秋とはいえまだ日中の暑さも残るころ、石段の登り下りで汗をかいているのを感じた。老杉に囲まれて風を感じないところでもあった。別所温泉の旅館街を抜けるように我々は北向観音に向かうことにした。






































 寺の地図



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