長命寺  (ちょうめいじ)  山 長命寺  天台宗 
  

 滋賀県近江八幡市長命寺町157   







以下のボタンをクリックすると、残像を残しながら画像が切り替わります。




近江八幡日牟禮神社の横、八幡山山麓を東にぐるっと廻って行くと「津田の細江」と云われる葦が一面に生えた入り江が見える。
その辺りから長命寺山に連なる山並みが見渡され、手前にのんびりとした水郷地帯の気分が残ってはいる。
何時のときであったか、葦の間に白鷺が群れていたりする景色は一幅の障壁画にでもなるようであった。明治以後の殖産計画が現在のような水郷だけを残している。

長命寺の裏山を長命寺山とも、金亀山とも呼ぶらしいが、それに沿う様にあきらかにご神体とおぼしき峰が続いている。それら総称を「奥島山・(おきつしまやま)」という。現在は伊崎寺を先端として半島のような形で湖水の中に突き出ているが、周りが干拓されるまでは入り江にかかる橋で陸地とつながり、文字通り奥島山であった。

昔の巡礼たちは若狭から今津に出、そこから舟で竹生島(三十番)を経て、長命寺(三十一番)へ渡り、さらに観音正寺へと水路を利用したのであろう。巡礼の道がよく工夫されている。そうした楽しみがなかったなら、大衆の間に之ほど流行ったはずはないであろう。


白洲正子は著書「近江山河抄」の中でこう書いている。

近江の中でも、一番空が広いのはここかも知れない。そんなことを考えながら、安土の方を眺めていると、なぜ信長があんな所に城を築いたがうなづけるような気がして来る。湖水から続く津田の細江は、そのまま安土城の堀へ直結し、交通に便利であっただけでなく、天然の要害をなしていただろう。観音寺山を背景に、たださえ広い蒲生野の一角にそびえる天守閣からは、殆ど近江全体が見渡され、三方水に囲まれた白亜の建築は、竜宮城のように美しく、あたりを圧して君臨していたに違いない。こういうところを発見しただけでも信長の天才がうかがえる。






























 寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.3.59.370N35.9.32.830


inserted by FC2 system