洞寿院護国禅寺 ( とうじゅいんごこくぜんじ )   塩谷山洞寿院護国禅寺  曹洞宗 
  

     滋賀県伊香郡余呉町菅並492




 

谿声山色(けいせいさんしき)   蘇東坡[東坡居士]

谿声便(すなわ) これ広長舌(こうちょうぜつ)  山色は清浄身にあらざるなし
夜来 八万四千の偈(げ) 他日いかんが人に挙似(こじ)せん

道元は
峰のいろ たにのひびきも みなながら  わが釈迦牟尼の こえとすがたと  

谷川に流れる水の音はそのまま仏の声であり、説法である。 山の姿もそのまま仏の姿ではないか。夜通しに八万四千の説法をしている。このことを世間の人々にどのように説明したらよいのであろうか・・・

    

木之本から余呉町に向かう途中には黒田村があって大河ドラマの影響からか数箇所の寺院や碑石でそんな観光客らしき人と出会う。また余呉辺りまでくると北陸の感覚がするもので、山並みも幾分険しさを見せたりするものである。国道365号線を迂回するように脇往還とでもなるのだろう?高時川が丹生川と名前を変えて県道へと進めてみた。もう少し走れば福井県へと抜ける滋賀再奥という場所でもあった。

洞寿院はまさに世俗を離れて谿声山色自然をたたえ幽邃の境地でもあるかのようであった.流石に福井永平寺や大野老梅山吉峰寺とまでは山深くはないが、それでも余呉菅並といわれ僻地という感じでもあった。妙理の里と地元では云われ何かしら禅の匂いをも感じさせるところでもあった。
妙理川という小さな川は丹生川という支流となり高時川と合流琵琶湖へと流れ出る。それは白山信仰をもたずさえて流れて来たようでもある。この辺にはどこか白山信仰(白山妙理権現)という山岳の匂いや仏教伝来という異郷の香りを其々の像に忍ばせているようでならない。十一面観音信仰はその最たるもので、正妙寺の十一面千手千足観音ほその極めではないだろうか?

庫裡に声をかけてみたら若い住持さんが出られて案内していただいた。禅の公案(公布の案讀・こうふのあんとく)について少々お話を聞いてみた。
『吉峰の峰、白(はく)満々、白くないのは恁麼(いんも)の時ぞ!』というものである。「永平僧堂の峰々は何時も雪が耐えない、そんな雪のないときはいつでしょうか?」という問題提起である。白い雪とは雪ではなく、白満々とは僧堂では悩みがいっぱいであるということ。
老師宮崎師家は『恁麼、不恁麼!』と答えられている。そんな問答のなかに優美、静寂、尊厳などという禅の何たるかを観る。 確かそんな話を聞いてみた・・・
『恁麼、不恁麼』、因みに「そうである時はそうである、そうでない時はそうでない」と云われている…。

1496年、如仲禅師が木之本菅谷にて、塩泉湧水をもって山号を塩谷山として草庵を建てたことにはじまるという。この如仲禅師は信州上田の出にて駿州袋井久能に東陽庵を創建、東陽庵十一世のとき徳川家康が追われてこの寺に逃げ込んだという。かくまわれているうちに、敵がいることも忘れてぐっすり眠ってしまったが、それにより難を逃れたたと伝えられています。
後にこの寺をおもい寺を可睡寺と改めて十万石の扶助をあたえました。
如仲禅師がこの近江洞寿院の出であるとことを知ると、洞寿院にも寺領と葵の紋章の使用を許したという。以来洞寿院は徳川家累代の尊牌を拝しているという。



住職謂われるに
春は楠花香り、夏は緑陰に座して暑気涼しく、秋は紅葉叢林を包んで錦を飾り、冬は全山白雪の清浄の霊域であるという。



 


































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