徳減院  (とくげんいん)  清瀧寺徳減院〔京極家墓所〕  天台宗
  

 滋賀県米原市清滝288   







以下のボタンをクリックすると、残像を残しながら画像が切り替わります。




伊吹山はもぐさだけではなく、薬草が自生していることでも知られる。美濃と近江の境界である中山道柏原宿には数件あったもぐさ屋も今は一軒・亀屋左京家伊吹堂のみとなってしまっている。

面白いことに、どのもぐさ屋も『亀屋』という屋号を名のっていることだ。鶴は千年亀は万年というそのイメージを薬効に象徴させていたのであろう。おかしさは、おそろいで『亀屋』だったということで、このことは近江商人がお互いに足を引っ張りあわないという気風とかかわりがあると、どこかの本で司馬遼太郎が書いていた。
十世紀頃に編纂された律令国家の法規である『延喜式』に諸国から朝廷に貢進する薬種が列記されているそうだが、その中でも近江が最も多く、七十三種にもあるそうだ。その殆どが伊吹山で産する。中でも灸のもぐさが代表的なものである。
中仙道を往来する旅人はこの宿場に入るとたいていはもぐさを買う。人々は江戸や国元の土産に袋入りのもぐさを買っていったのであろう。

伊吹は古来、伊夫岐・伊夫気・伊福岐とも書いていたらしく、また五十葺・胆吹などの字を当てている。五十葺は重畳とした山容を現し、伊夫気、胆吹などは神秘的な霊力さえ感じさせる。イブキ・イブクという言葉には息を吹くことを意味するから、霧の多い伊吹山に古代の人々は神のいぶきを想ったに違いない。

前にも述べたと思うが、このあたりは京極家と六角氏がその領地を分けて発達した所でもある。多大な交通によって宿場は繁栄して強大な力を与えたのであろう。今様に整備された柏原宿の町並みを交差するように通り過ぎ、まだ桜の開花は見ないが、その並木道の奥に徳源院はある。












清滝寺は京極氏の初代氏信が弘安9年(1286)建立した天台宗の寺。京極氏は鎌倉中期近江で力をつけた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都京極高辻にあったことからによる。

閑静な佇まいの境内には本堂、位牌殿、三重塔などがあり、中でも朱塗りの三重塔は滋賀県指定文化財となっている。バサラで名高い佐々木道誉に名づけた道誉桜(しだれ桜)が季節を待っていた。お堂前には群生する萩が見られることから秋の風情もひとしおではないだろうか。

本堂裏手山麓に侍りつくようにして京極家墓所がある。始祖氏信をはじめ、南北朝に活躍した道誉ら、歴代当主の墓碑宝篋印塔(ほうきょういんとう)が18基、下段には以降の当主・分家など宝篋印塔14基、そして墓石など生前と並んでおり、まさに栄華盛衰を表すかのように建立されている。









































 徳源院の地図
http://map.goo.ne.jp/mapb.php?MAP=E136.23.27.780N35.20.31.650


inserted by FC2 system