滝山寺  (たきざんじ) 吉祥陀羅尼山滝山寺天台宗
 
愛知県岡崎市滝町字山籠107






天台宗である、やはり本尊は薬師如来であった。天武天皇朱雀元年というから1400年程前になるのであろう、役の行者が創建とあった。
国道1号線岡崎から豊田に向かう県道248号線は幹線でもある。その幹線から逸れて滝町へ行くことになるのだが、市街地を抜けて山懐に入ったところにあった。行く道路の右手に青木川が美しく流れている、日陰の雪は一昨日の名残であろう。

駐車場に車を置くと道路を挟んで向かいに「宝物館」があったので行くこととした。入り口に「拝観の方はブザーを」とあったので押してみたら下の庫裏から奥さんらしい方が出られてみえた。この辺りの寺まで拝観に来る人もなかなかないらしく、奥さんは拝観中ずっと待っていてくれた。前に東海天台の秘法展でみた「慈恵大師坐像」が何だか寂しそうに座っておられた。そして庫裏ににはいっている十一面観音立像は暗くて余り見えなかった。失礼とは思ったが、所有のライトで照らして拝観した。この寺の観音堂のご本尊で藤原時代(12世紀)の作といわれ、普段は拝することが出来ない秘仏ということである。

印象的であったのは「天台大師坐像」である、木造彩色彫眼、像高55センチの小さな坐像である。頭巾を被り、頭の上には禅鎮(居眠り防止の道具)を載せて禅定印を結んで座る天台大師最澄像である。眼を閉じて禅定(瞑想)の状態であることを示している。簡素ながら大らかな造形や、温和な表情と着衣の浅い線刻状の衣文表現に平安時代後期の特色としてうかがえます。現存する天台大師の彫像としては古い作例と思われる。
また慈恵大師坐像は室町期・作者不明とされているが、この近くの真福寺にも同じような慈恵大師坐像が残っておりその流れを汲むものではなかろうか?第18代天台座主良源は焼失した比叡山の諸堂を再興して、天台教学振興に尽力した比叡山中興の祖としても知られる名僧である。没後、「慈恵大師」の号を追贈されているが、正月三日に亡くなったので「元三大師」とも呼ばれ、今でも横川中堂四季講堂が元三大師堂として親しまれている。


天台宗の寺院は例外なく衰退の時期を経験し、誰かが再興することで今に残っているのである。この滝山寺も江戸時代になって徳川家康によって諸堂が再興されて、鎌倉様式の本堂、市内最古といわれる三門、聖観音像など国の重要文化財が残されております。秀逸なのは飛騨の匠が手がけたという三門は杮ぶきの大屋根が力強い重厚な雰囲気を感じさせてくれます。逆さ垂木という技法も見られますよ。






石階段を上るとまだ一昨日の雪が残っていた、いや待て…この石段にも雪は残っててもいいはずだが?

この本堂は天台特有のそりを感じます、この本堂では2月16日には県指定民俗無形文化財の鬼祀りが行われて松明で軒先を焦がさないばかりの炎で照らし出されるそうです。比叡山延暦寺根本中堂前でも元日深夜に修正会が行われ、人間の煩悩の化身に扮した鬼が最後には僧侶に錫伏される舞が行われますが、この滝山寺では天下泰平、五穀豊穣を祈る修正会として行われ、その結願の旧正月7日の晩に火祭りが行われるそうである。

帰りに階段を下りる時に近所の方であろうか?数人の女性が竹箒で掃除してみみえました。雪が綺麗に取り去られたのもこの方々の働きによるものであろう。ご挨拶して帰途についたのでが喜びのようなものを心に感じながらの帰り道であった。







滝山寺に寄り添うようにして併設されているのが滝山寺東照宮である、1645年三代将軍家光によって社殿が造営されて日光東照宮・久能山東照宮とならんで三東照宮といわれるそうです。極彩色で彩られた社殿はまさしく東照宮形式であり、各大名や岡崎藩主代々から寄進された石灯篭などは江戸時代の徳川家の威信を彷彿とさせます。
本殿・拝殿・中門・鳥居・水屋付厨子・石柵などは何れも重要文化財指定されて保護されているそうです。また、拝殿の中には狩野探幽作の三十六歌仙図扁額が掲げられているそうですが、小生は見ることが出来ませんでした。本殿には運慶・湛慶親子の作による聖観音・梵天・帝釈天が十分に指定されているのだそうですが、現在は下の宝物館に展示されておりました。







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