勝楽寺  (しょうらくじ)  慶雲山勝楽寺  臨済宗 
  

  滋賀県犬上郡甲良町正楽寺4   







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彦根インターから国道307号線、今は近江グリーンロードと謂われる道を南へ進み多賀大社、故宮神社を通り過ぎ、左手山裾に正楽寺集落が見えてくる。その集落の一番奥まったところに佐々木道誉隠遁の地、勝楽寺を見付けた。

1337(建武4)年佐々木高氏(たかうじ・京極道誉)は本拠地柏原よりこの地に移り、勝楽寺山に勝楽寺城を築き、その麓に居館を設けた。後に京都東福寺の雲海禅師を招き京極家の祈願所として建立したという。


佐々木高氏は京極家の祖である佐々木氏信の孫にあたり、31歳のとき、鎌倉幕府執権北条高時とともに出家して道誉と称した。時代に敏感に対応し、旧来のしきたりや伝統的権威を無視する派手で傍若無人な振る舞いから「婆娑羅大名」の異名をとった。一方で、茶道、立花、連歌、猿楽などに精通する当代一流の文化人であり、中世における近江の文化はまさに道誉によって開花したといわれる所以でもある。
この寺も信長の兵火によって消尽され、僅かに室町時代の様式を残す切妻造り六脚門と本堂横の宝物庫に安置される木造大日如来座像が往時を伝えるのみであった。

また本堂裏手の墓地には火災によって著しく損傷した宝篋印塔が数基残され、道誉の墓と謂われる石塔が静かに眠っているようであった。道誉の墓は柏原の徳源院の京極家歴代墓所にもあった。

そして面白いことに、寺の脇に勝楽寺城への登り口があり城跡への途中に一字一石の法華経を納めた経塚があり、狐塚と呼ばれる。鳥居と祠があり、この経塚は狂言「釣狐」の発祥とも謂われ、数年毎に狂言が舞われたとのことで、茂山千五郎さんの修札が掲げてあった。
お堂の中には数人の檀家さんがおられたので話をさせていただきました。今は経塚への道も草が繁り行き交う人もいないとのことです。行ってみると微かに道らしきものを見るだけでした。

近江源氏京極氏の流れをくむ甲良家は犬上郡甲良庄法養寺村(現、甲良町)の出身で、甲良家初代は徳川家康に仕え幕府作事方の大工頭木原・鈴木家のもとで大棟梁となり活躍し、江戸城天守閣や増上寺など造営、代々にて日光東照宮、上野寛永寺、長野善光寺、湯島聖堂、日光本宮三重塔など幕府直轄の建物を造営してきたことから「甲良大工」とも称せられてきた。

























 寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.17.29.420N35.11.28.160&ZM=8


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