石道寺(しゃくどうじ) 石道寺    真言宗豊山派
  

  滋賀県長浜市木之本町石道   







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古い寺院は必ず神体山の麓にあり、古墳や石造美術はその周辺に集中しているものである。自然の条件に恵まれたこと、民間に信仰が生きているためであろう…。私は山奥のお寺に仏像など拝観によく行くのであるが、村の人々の信仰の深さに心を打たれることがある。

湖北と越前の境にそびえる高峰を己高山(こたかみやま)というが、麓の木之本周辺には古墳が点在している。ここには己高七寺といわれる古刹があったが今はほとんど廃寺と化し、桜並木や楓の木々の奥にふっとそうした寺が静まっているのをみると湖北のさびしさがひしひしとせまってくる。始めは神体山であったのが山岳信仰に発展し天台や真言に転院したのが、こうした山寺のたどった道でもある。

湖北仏教文化の宝庫といわれるこの己高山一帯は北陸、東海、近畿の接点でもあり、古くから神々への崇拝心の厚い地方でもあった。延喜式神名帳に記載される式内社の多い地域としても知られています。
與志漏神社はこの地の氏神で、素盞鳴尊(スサノオノミコト)波多八代宿弥(ハタヤシロスクネ・竹内宿弥の長子、淡海の祖)を祭神とする式内社である。こ広大な神域をもち往古は世代明神と称し湖北三郡であったという。

石道寺は己高山山麓に真言宗の寺としてあるが、もとは現在の地かた東に一`程三谷川沿いの山間にあり、平安時代から鎌倉時代にかけて己高山七大寺の一つとして栄えたという。時の流れに、明治には無住の寺となってしまうものの、近年になって本堂を現在地に移し石道観音堂(旧高尾寺)とあわせて新石道寺とした。

老婦が案内してくれたその堂内には平安末期の作として伝わる本尊十一面観音立像は国の重文でもある。その楚々としたたたずまいを井上靖は「星と祭り」の中で野の匂いのする村の娘のようだ!とも評しておられるとのこと。しなやかな体は肉身を強くせず、なで肩で衣文線は軽く丸みをもたせやさしく刻まれている。
湖北の仏像の中でもとくに洗練された作風を示すのではないだろうか?丸みをもたせた小さめの顔立ちに穏やかな目鼻や口を配している。かすかに残った朱彩の施しが可愛く親しみやすさをもうお顔であった。


























 寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.15.27.950N35.29.56.050 です。


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