信楽院  (しんぎょういん)       浄土宗 
  

  滋賀県蒲生郡日野町村井1500   







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滋賀県南東部、鈴鹿山系の綿向山麓に拓けた日野の町は天智天皇(670年)が造営を計画した「匱迮野(ひさの)」の地といわれ、九世紀には東大寺必佐庄(ひっさのしょう)が、十一世紀には町名の由来となった日野牧(牧場?)が設置された。
日野牧は後に摂関家、祇園社、延暦寺などの荘園と化するが、その荘官として勢力を伸ばしたのが蒲生氏である。
蒲生氏は日野に居城し、近江守佐々木六角氏や織田信長の重臣として活躍した。

蒲生野も日野に入ると広さを感じるおのであるが、見渡すかぎりの肥沃な平野を走り、国道477号線日野市街地へと入り一筋南に入ると古い町並みとなっていた。
この町並みの特徴は非常に長くどっしりとした家構えが並び、鍛冶屋町、呉服町、白金町、紺野町、塗師町という町名が昔日の繁栄が偲ばれる、近江日野商人の根拠地である。

日野町の町並み東端、閑静な中に信楽院はある。1498年蒲生定秀開基、以後蒲生氏の菩提寺である。本堂は開扉されていたので阿弥陀仏にまずは手を合わせた。この本堂の天井には狩野四代永敬の下で画法を修め雄渾な筆力による水墨画を得意とする日野出身の絵師高田敬輔が揮毫する、雲竜、八大龍王、韋駄天、飛天図が配される。

寺を出て街道を歩いてみた、一軒一軒の家の塀に格子ののぞき窓がついていることに気がついた。これは綿向神社の祭礼を見るために設えたものらしい。その神社は町の東のはずれにあり、黒々とした森を背景に、壮大な社域を占め町全体が神社を中心に生活を営んでいるといった感じでもあった。

正しくは馬見岡綿向神社と称し、古くに鈴鹿山脈の綿向山から勧請され奥宮は綿向山の頂上にあって、ここは里宮なのであろう。



























 寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.15.30.645N35.0.27.816&ZM=7


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