財賀寺  (さいがじ)  陀羅尼山 財賀寺 真言宗 


 愛知県豊川市財賀町観音山三







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冊子に拠れば、神亀元年(724)聖武天皇の勅願により行基菩薩の開創、七堂伽藍、山内外に百余の院坊を整えるにいたった。後、弘仁四年(813)弘法大師が陀羅尼山蘇悉地院(だらにさんそしつじいん)財賀寺として中興されたという。

かつて頼朝公は源家再興のため、本尊に祈願し平家討伐を成し遂げました。その御礼に八間四面の本堂を再建、千三百石余の寺領を寄進され、三河七御堂に数えられた。応仁年間、三河兵火による衰退しつつも、武田、今川、牧野、徳川と諸将の庇護を受け、特に家康公からは朱印を受け、十万石の大名と同じ格式を認められたという。

本尊は六尺四寸からなる千手観音菩薩立像であり、脇仏に左右十四体二十八部衆の尊像は行基作とも、鳥仏師(鞍作止利)の作ともいわれる。

今年の夏は冷夏なのであろう?蝉の鳴き声もどことなく弱々しく聞こえるのは…。仁王門からまっすぐ伸びた石段は山上伽藍を思わせるに十分である。最近の体力を考えると本坊まで車で行けるということなので楽することとした。冷夏と言えども夏の日中、参詣に来る人の姿もなく境内は静かである。いや、長閑であるといったほうがいいのか?老僧が一人本坊で昼寝をされていた。
ご朱印をいただきたくチャイムを鳴らしたら、目の前にスッくと起き上がりびっくり!どうも昼寝の邪魔をしたらしい(笑)。しかし、そのご朱印の字は温かみのある、どこか飄々として、嬉しくなる風をして仏教の真、安心(あんじん)を与えるに誠にぴったりであると思えた。

老僧から本坊書院裏の庭園を見ていってくださいと声をかけていただいた。こじんまりとした蓬莱庭園であろう、一幅の絵を見るようである。開け放たれた坊内を涼しい風が体をなでていく、こうした時間を得るために寺を廻っているのである。

本坊横からすぐ階段があり数十段登ると総欅造九間四面の総本堂にでることになる。毎月第三日曜日の朝六時より総本堂にて朝の勤め、法話、粥の接待があると言うことだ。こうした山寺まで来ると法話も清々しく聞けるのであろう。































 寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.21.35.370N34.52.17.190


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