仏像を観るとき私は許されるならば横に回ることにしている。側面からみると作者の立体的な造形意識がよく分かると思うからである。
側面から見られることを成立の条件としている仏像のいくつかは、百済観音や永観堂の見返り阿弥陀はその著しい例でもある。そしてその多くの仏像が正面からでなく、いろいろな角度からカメラの撮られている事を知っている。それは正面からだけではなく、あるときは正面以外の角度から見てこそ美であることの証でもあった。
そして私が近江を廻ることは近江の心をも知りたいからでもある。ただ場所を巡ることではなく、実は在りし日の人々の心の原点へたち返ることであるのではないか。その原点とはまた実は人々宿命の声を聞くことでもあった。それがこうした民間信仰を永く保ち続けている秘密であろう。
いつの頃であろうか…、近年寺々を参詣すると近江観音霊場巡り、湖国薬師巡り、或いは近江西国三十三ヶ所霊場等などの木札をよく見かけるようになった。こうした傾向も近年の民間信仰の形なのかもしれない。
この千光寺は無住寺である、天候もあまりよくなかったこともあるが他に参詣者もみあたらなかった。お堂前に連絡場所が書いてある、仏像収納館を観たい時には連絡をしたら観れることになった。
温和なご年配の方が車を走らせて着てくれた。お堂には今はなにもないと寂しそうにおっしゃられていたのが心痛い。それでも厳重な鍵を開けてゆっくりと十一面千手観音菩薩を見てくださいと言われたその言葉に仏像を守ることの信仰心のような面持ちを感じることが出来た。
帰りにはお話を聞くため近くの家まで案内していただきお茶を馳走になりました。本来この寺守の方は近在の浄土宗信徒であるのだが数人のお仲間と仏像を守っておられるのだそうだ。
749年、行基菩薩の開基、左大臣橘諸兄の造営と記してある。往時には十もの塔頭を持つ甲賀六大寺の一つに数えられる寺院である。それにしてもこのあたりの天台寺院はことごとく灰塵にあっていることは本当に悲しいことである。
千光寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.11.54.490N34.56.57.130&ZM=9