西教寺  (さいきょうじ)  戒光山兼法勝西教寺  天台真盛宗 (総本山)
  

 滋賀県大津市坂本5丁目13−1   







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今日も琵琶湖を見下ろしている坂本の町である。その坂本から横川中堂に登る通称「横川道」登り口近くに構える天台真盛宗総本山西教寺はある。この辺りから来迎寺にかけては浄土信仰がくまなく行き渡っており、西教寺もその一つでもある。密教寺院の厳かなのに比べて、心休まるものがあり、この寺にもそんあ明るい空気が流れている

縁起に拠れば、推古二十六年(618)聖徳太子草創、天智六年(667)「西教寺」の勅額を下付されたとある。延暦三年(784)に伽藍が再興され、最澄が経を講じ、後、良源が法華・常行三昧の行を修した。

また、源信が住じて念仏養法の道場となり、勅願寺と定められたあるが …明らかではない。一時荒廃した西教寺を室町時代、文明十八年(1484)横川衆僧の請願をいれて真盛が入寺し、堂塔を整備し称名を呼吹して以来、戒律・称名二門弘道の根本道場として発展してきたという。現在は天台真盛宗の本山となっている。

現存する本堂を始めとして、祖堂、鐘楼、総門などはいずれも江戸時代徳川家の庇護を受けて、元文年間(1736〜41)に修営されたものという。

初夏を想うこの日も境内は静かであった。称名が何処からともなく聞こえてくる・・・。兎に角、本堂に上げてもらうことにした。堂内内陣にひっそりと老僧が黙々と称名を唱えているのを見た。我々に目をくれるでもなく、それは無心という姿があるのなら、まさにその常行姿であると思わずにいられない。鉦の音とともに念仏の声が聞こえるのは「不断念仏」と称し、近隣の信者とともに今も続けられているのだという。
西教寺寺仏は定朝によって造立された鳳凰堂阿弥陀像は仏の本様とも呼ばれ、多くの追従像を生み出した。温雅、端正さの際立つものであると称される。


本堂正面には一万日毎に建てられた石碑が残っている。一万日といえば大体27・8年になるが、十七万石碑が残ることから、室町時代辺りであろう、やはりこれは真盛上人回向の為の建立であろう。実際には平安時代から続いていたのであろう、この信仰の深さ、強さは比叡の奥深さを物語っているのだろう。





























西教寺のホームページは
http://www.saikyoji.org/です。

 寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.52.13.630N35.4.39.320 です。


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