曼荼羅寺  (まんだらじ) 日輪山 曼荼羅寺   西山浄土宗
  

 愛知県江南市前飛保町寺町202   







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江南市の藤の寺といえば有名である。近年では市をあげて世間に知らしめているほどだ。一度前を通った事があるのだが、生憎と時間がなかったのか、或いはたくさんの人出に嫌気があったのかは定かではないが、これまで寄る機会が無かったのが事実である。 「後醍醐天皇創建地」など立派な石柱に感嘆しながら、山門をくぐるのであるが、かなりの広さにびっくりした。左右に子院というか塔頭が数院あるが、どれもかなり手がいきとどいていた。 本堂は桁行七間、屋根は入母屋造り檜皮葺(ひわだぶき)、正面に向拝を設えて、その屋根は軒唐破風というところか?堂内に入ってみると内陣には阿弥陀三尊を祀ってある。

本堂の隣には曼荼羅堂があり、内陣厨子内には奈良當麻寺の浄土変相曼荼羅を模写したものを祀るという事だ。これは極楽浄土の様子を描き、参詣者に浄土の姿を教え、欣求浄土の念をおこさせる礼拝対象である。また、厨子のまえには中将法尼(中将姫)の像が祀ってあるという事である。



奈良県二上山の前を飛鳥時代の貴人達の葬儀の行列は一度も殯宮(もがりのみや)で儀式を終えて竹内街道を通り大和から河内へと運ばれて行く。飛鳥の都から遠く離れた二上山を越した西側の河内には貴人達の墳墓が数多くある。

そこに用明天皇時(612年)當麻皇子が創建された當麻寺(たいまでら)が二上山を背にしてある。當麻寺の本尊は一般には「當麻曼荼羅・たいままんだら」と呼ばれる織物の一種の“絵”である。その図柄は西方浄土のありさまを表し、正式には「観無量寿経変相図」と呼ぶのだそうだ。
伝説によれば、奈良時代の高官藤原豊成の娘というが、十六才で出家し當麻寺に入り、信仰生活に入った。菩薩の力を借りて當麻曼荼羅を蓮の糸で一夜にして織り上げ、わずか二十九才で浄土に往生したという。


本堂を中心に子院や塔頭(たっちゅう)八ヶ寺が甍をならべ、曼荼羅を本尊として尾北地方の浄土教信仰の中心となったという。現在でも地名の寺町にふさわしく宗教的景観を呈しているのではないか。

境内庭園は藤の名園として有名なこともあって手入れが行き届き、春には各種の藤の花が美しさを競うこととなるが、期間中には寺宝も開示されるということである。












































 寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.51.41.280N35.20.37.670


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