教林坊(きょうりんぼう) 観音正寺子院
 
滋賀県蒲生郡安土町石寺1145






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安土の初夏は水田の緑でいっぱいである。緑のなかを進んで山懐の小さな道を入ってゆくと小さな駐車場にたどり着く。周りには野積みされた石垣の間から竹の根が力強くあちらこちらに顔を出している。それにしても、野積みされた立派な石垣をして、まるで怒ったように変形するまでに竹の根は凄いものである。
教林坊は605年の創建と伝えられ、1400年の歴史を有する古刹である。観音正寺末寺は30数寺と繁栄を極めたが今に至るは教林坊一つであるという。白州正子女史が「山すそのかくれ里」として文藝新潮に記したのはもう三十五年も前のことである。その後、この寺は無住寺となり、勅願寺のため檀家も信者もいない寺は荒れるに早く、庭はもちろん、至る所に竹がはびこり、本堂は雨漏りがしたとう。この寺に普山したのが廣部光信師である。訪れる人もいない、本当にかくれ里となったこの寺を自らの手で現在に復興されたと聞いております。

都人の寺、それも名の知れた寺の庭園と違い手入れされた木々の中にも自然の温もりさえ感じるのでした。自然美と云われるなかでは時としてピンとした緊張感を強いられるものがあるものですが、やさしく掃除された庭には私は安堵感をおぼえました。

巨石に大きな蓋石をかぶせたような組み合わせ、それは白州正子が「不自然ではなく、日本の造園の生い立ちといったようなもの」と言わしめたものが見える。その岩は説法岩と呼ばれる、聖徳太子がこの岩の前で説法したといわれるもので、今は赤川観音が祭られている。
書院と蔵はには琵琶湖の葦が使われている、古くから隠れ里に佇んでいた古寺としてみえるのはそうした手の温もりからなのだろうか、竹と石と花木に囲まれた本堂・書院は俗塵を払拭してまことに風雅でもある。

丁度住職がみえなかったのか、拝観受付のお手伝いであろう老爺がとつとつと説明していただいたのが何とも印象的でもあった。庭をぐるっと廻ってから書院に改めて足をくずさせていただいた。庭ももってして一副の額でも見るように中央にしつらえてある。書院からは石の寺の名のように巨石が自然な様を見せていた。






























教林坊を紹介するホームページは
http://www.d1.dion.ne.jp/~marche/kyourinbou/ です。





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