明王寺 (みょうおじ)      天台宗 


   滋賀県甲賀市南町磯尾







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甲賀と伊賀を結ぶ道を「杣街道」とも言う。この道は古く壬申の乱にも利用されて、また、飯道山の修験者、甲賀武士及び忍者などが往来して、東海道の間道のようでもあったはずである。
杣とは植樹して材木を採るところ、杣人とは伐採する人でもある。明王寺の背後には三重の県境に位置する岩尾山がある。途中、息障寺という看板を目にした。延暦七年(783)伝教大師が開山したと伝えられるが、ふっと葛川明王院のことが頭をよぎった。

回峰行の祖は相応和尚(そうおうかしょう)である、近江に生まれ十五歳にして比叡山に入り円仁に師事したという。貞観七年(865)無動寺谷に移り無動寺を建立して千日回峰行を興した、建立大師とも謂われる。在野にあって相応和尚を支えたのが息障講であり、今も行者との関係など続いている。

油日の近くには櫟野寺(らくやじ)や趣のある古寺がたくさんあり、十一面観音を祀ってはいるが、そうした寺々はたいていが無住寺であり、また重文による保護や秘仏となって拝観することが出来ないのが残念である。

夏の日差しは周囲の田畑に優しくあるのだが、こうして寺周りをするものにしては少々辛いものでもある。それでも都会の気温と違って時折ふく涼しい風はやはり体にうれしく感じる。

石段を登って本堂に向かうのだが開扉されず仏像などは見ることが出来なかった。本尊木造十一面観音、脇侍に不動明王、多聞天の三像はともに国の重要文化財指定を受けているという。
境内の前庭からは、三重県境の油日岳に鈴鹿連峰、南に雨乞岳、岩尾山と山あいの景色がのんびりと写った。






























 寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.9.30.380N34.53.35.400&ZM=8


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