高田寺 (こうでんじ)   醫王山高田寺  天台宗

愛知県北名古屋市師勝町383







今は市町村合併で北名古屋市となっているのだが、名古屋市の北西部に位置する静かな農村地域の中に高田寺はある。この地方には庄内川が流れており、最澄は熱田神宮を参拝した後、この川を遡って東に向かったと考えられる。この庄内川の南側(市内より)には聖徳寺(余談であるが、藤波源信阿闍梨はこの寺において数年の間修行されている)・成願寺という天台の寺が今でもあり最澄は立ち寄ったと考えられるのである。。そして庄内川の北側にこの高田寺あり最澄はここへも寄ったことになる。

養老二年、行基の開基と伝えられ、傳教大師最澄がこの地に来た折、この寺に寄り天台宗に改宗されたという。その後、寺域は拡大され多くの頭塔を誇っていたらしいのだが、やはり天台の僧に焼き払われて現在は本堂だけが残っていると言う。
天台様式ともいえる入母屋造り、檜皮葺きであるのだが、年代は不詳といわれる。それでもその様式からは鎌倉時代後期か、室町時代ではないかと調査されているらしい。
本尊は瑠璃光薬師如来であるということだ。木造素地の坐像はこれも鎌倉時代と考えられている。像は秘仏とされて本堂附厨子に座されているとのことだ。


私の好きな言葉「一隅を照らす」の石碑が迎えてくれた、先の天台座主・山田恵諦師の筆であるのであろう、春のお彼岸を前に白梅が散り際の寂しさを見せてくれていたような気もする。そしてここにも神仏混交の名残か隣接して白山社がある。境内には県下随一といわれそうなツブラシイの巨木が聳え立つ。神殿は室町時代に鎮座されるとのこと、屋根は杮葺き緩やかな流れ造りを見せていた。























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