金蓮寺 ( こんれんじ   )   青蓮山金蓮寺   曹洞宗  

  

  愛知県西尾市吉良町饗庭七度ケ入1  

三河の地は広大な平野を潤す矢作川と豊川という二本の河川があり、それは三河湾へ流れ出る。大河が流れ込む湾という意味においては豊潤な海域を作り出すということでもある。それは豊かな漁場となって、古代よりこの地域には多くの民が住んでいたことでもわかる。
とりもなおさず、先にみた篠島の古墳や、伊良湖の古墳や窯跡からもみられるように永永とした暮しが垣間見られるのである。

三河の中でもとりわけ海に近い一色、幡豆、吉良、吉田などは豊かな土地と豊穣な海、そして塩がとれることによって強い藩へとなっていった。そうしたことからも江戸徳川はなるべくして成立したととも考えられなくもない。

近世に於いて東海道が拓けて数多くの宿場を形成した。近代ではそれに拍車をかけるように東海道線という物流の根幹ともいえる流れが作られた。人々が行き交うという中で昔から信仰が育まれない筈もなく、中世から江戸期にかけては三河の地にもたくさんの寺院が建てられている。まして徳川(松平)の出ということからも何かと寺院が庇護されて来たという経緯が感じられるのである。


創建年代が不詳というが、真言宗寺院光福寺の塔頭子院の一つ青蓮山金蓮寺と号したと伝える。以後、境内には源頼朝が三河守護職安達盛長に建てさせたという弥陀堂があり、県内最古の木造建築とも伝えられている。昭和30年に国宝指定されているが…、いやはやのんびりとした国宝管理が気持ちいい!

確かに国宝を造ろうとして作ったわけでもなく、近在の信仰心の賜物でもあり、またお堂を守っただけのことで、住職の思いが嬉しいと感じたしだいでもある。
堂内の須彌壇には阿弥陀三尊仏形式で、本尊に木像阿弥陀如来立像、脇士に勢至菩薩、観音菩薩をしたがえていた。住職の好意なのであろう解説もそこそこに「ゆっくり観てください」という有難いことばに甘えて、時の過ぎるを忘れるかのような時間を過ごさせていただいた。

お堂は格子天井と細かい細工が施されて中世の建築技術の高さを垣間見える。来迎壁の両脇には手斧(ちょうな)の痕もきれいな来迎柱が力強さを見せている。全体的に均整のとれた仏像ではある。


お堂は桧皮葺き寄せ棟造りという形式であり、正面右には小部屋を設けたもので、全面に孫庇(まごひさし)を大きくとって落縁をとっている。正面三間は蔀戸(しとみど)とし、どこか平安の貴族風な構えとしている。


それにしても住職さんがいい!!寺を去ってからも心のどこかに温もりがあった。

























































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