金剛輪寺  (こんごうりんじ)  松峰山金剛輪寺    天台宗 
  

   滋賀県愛知郡愛壮町松尾寺873番地   







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愛知郡愛荘上蚊野、この一帯は古代から渡来系氏族依智秦氏の集住した地として知られ、特に宇曾川右岸に同士族の墳墓が300基近く数えたという。 六〜七世紀頃の築造とみられ、竪穴系横口石室をもつものがいくつか確認されて朝鮮半島文化の影響を受けた古墳であると考えられる。

依智秦氏が創建に深くかかわっていたと考えられるのが金剛輪寺である。仏を観る心も時代と共に変化するのは仕方のないことであろう。もう三十年も前であろうか、若い時に訪れた頃とは少々異質に感じた次第である。

それは本尊にも言い伝えがあり、木造聖観音立像は鉈を入れると木肌から血を流したとの言い伝えがあって「生身のご本尊」とも称されると…。
また、本堂脇の紅葉は「血染めの紅葉」ともいわれ、その朱は鮮やか過ぎるほどでもあるようだ。そして参道両脇と頭塔跡には約二千体といわれる地蔵に指してある風車であろうか…。

お地蔵さん即ち地蔵菩薩とは、インドの神で大地と財宝を司るとされるが、中国に入ると十王の一人閻魔の化身というに至り地底のイメージとなったのであろう。日本にはいって現世利益が強化されて、特に現代では水子地蔵のイメージばかりが強調されているようだ。本来は釈迦亡き後弥勒が登場するまでの仏不在の救い主ではある。

また地蔵の利益として知られるのがなくなった人の苦しみを救い穏やかな浄土への導くことでもある。これは自分の子供を亡くした母親にアピールしたのであろう。地蔵によだれかけをしたり、水子地蔵があるのはそのためである。

中世、近江守護の近江源氏佐々木氏の厚い崇敬を受けて多くの坊舎を並べたが、応仁・文明の乱以降の騒乱により寺勢は衰え、さらに織田信長の近江侵攻、佐々木六角氏の滅亡により数多くの坊舎が消えた。






































 寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.17.9.160N35.9.28.910&ZM=8


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