近江孤篷庵(おうみこほうあん)    臨済宗大徳寺派
  

 滋賀県長浜市上野町135   







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南近江の象徴的な神聖山が三上山であり、湖西の名山が比良であるとするならば、伊吹山は北近江の人々の心を何千年も鎮めてきた象徴といってよい。

姉川は奥伊吹から伊吹山の麓を蛇行しながら、一旦は伊吹町へと流れ出る。そして北上しながら長浜市の東北部を流れ、国道365号を交差して草野川をのみ込んで琵琶湖へと流れ出るのである。このあたりは姉川の合戦場跡でもある。

『孤篷庵』と言う名だけで足が向くというもの、京都名刹大徳寺の孤篷庵は確か予約しないと拝観できないという、我々仕事を持つ者にとってはなかなか行けないところである。そんな折、長浜孤篷庵というところがあると耳にした。名前だけである程度の予想はつくのだが・・・、そしてこの近江長浜は小堀遠州の輩出したところでもある。行く前からいろいろと調べてみたのだが、如何せん情報が少ないのである。そうなると孤篷庵なるところへいかなくてはならないであろう。

ここで小堀遠州について少し書いておかねばならないであろう。天正7年(1579)現在の長浜市小堀町に生まれ、22歳のとき父の跡を継いで備中の国手となり、慶弔3年(1608)に従五位下に叙せられ以後“遠州”を号するのである。秀吉・秀長・徳川家康・秀忠・家光に仕える間、寺院、数奇屋建築、露地、庭園などに携わり、所謂『綺麗さび』『遠州好み』という独特の美しさを表現したといわれる。

少年期より大徳寺、春屋宗園・江月宗玩に参禅するに、「応燈関の一流」の流れをくむものである。茶道においては古田織部に師事し、比類なき才能を発揮しあっと伝えられる。元和5年(1619)領地を近江の浅井郡小室に移され、当地に茶亭を作り、近江奉行となった。 茶・華・歌・書・香・造園建築などに才能をみた芸術家、文化人として知られる。

この近江孤篷庵は臨済宗大徳寺派の属する修禅・菩提道場として、京都孤篷庵と同じく円恵霊通禅師の開山となる。
江戸中期には数多くの雲衲(衲子・雲水)が集まるほどの寺院となるも、江戸後期には小堀家改易となってからは無檀無禄ゆえ衰退の一途をたどることとなった。

のち、昭和に入り、本堂、境内や周辺、庭園等が随時整備されて寺観を一新されたとのことである。本尊は釈迦牟尼如来の木彫仏、脇仏として観世音菩薩、地蔵菩薩を奉祀し、歴代小堀家、家老家臣の位牌などを祀る


























庭園北東には錦渓池を中心に琵琶湖八景を模した池泉回遊式となっている。自然の山の起伏を巧みに利用して山を開いては筧滴清流をひき、楓樹林は青苔が映えて山の稜線が庭園全体の借景となっている。

確か、栗東の安養寺にも同じような琵琶湖を模する池があったのだが、真言宗と禅宗の差というようなものが池にも表れているように思える。
参道を帰る途中、右手に折れて山の中腹を沿うように登ると山懐に小堀家歴代の諸候や家臣の墓石が林立していた。この日は快晴の日和であったが、下の駐車場には私の車が一台だけあるように拝観の人も見られなかった。

























 近江孤篷庵の地図
http://map.goo.ne.jp/mapb.php?MAP=E136.19.0.910N35.27.4.520


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