瓦屋寺 (かわらやじ)  石崎山瓦屋寺  臨済宗 
  

  滋賀県八日市市建部瓦屋寺町436   







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近江鉄道八日市駅西、箕作山中腹に瓦屋寺がある、八日市は聖徳太子の頃に開市が始まったという。また天智天皇の代とも伝わるが、いずれにせよ古い町である。地名にもそれは表れていて、孝徳天皇即位の儀に犬養建部君が壇の左に立ったとも伝わり、また皇居十二門の一つに建部門〔待賢門〕があることなどから察すると古代に建部氏が朝議に奉仕、警護にあてっていたという思われる。「部」とは軍事的職業とするのが妥当のようである。

推古天皇代(592〜628)聖徳太子が四天王寺創建にあたり当地で良質の土を発見して瓦を焼いたとある。日本に瓦博士が渡来してきたのは崇峻天皇元年(588)である。僧、仏舎利、寺工、鑪盤博士、画工達も共に来ている。
聖徳太子の執政は推古天皇元年(593)からである。そして同二年仏教興隆の勅を発せられたのである。

箕作山入口に吉住池があり、陶土をだした跡とも云われ、その横に参道があるのだが、土地の方によれば千三百段余りあり森林の中を登ることになるという。

「源平盛衰記」に栗太郡(現栗東市)の住人が「蒲生郡小脇の八日市」に行くことを記しているのが「八日市」の初見であるという。11〜12世紀には毎月「八」のつく日に定期市として住民に知られていたと考えられる。 小脇の近く赤神山(太郎坊山)の麓にある成願寺は天台宗であり本尊は薬師如来である。薬師如来の縁日(紋日)が八日なので八日に市が開かれたとう。
そして八日市は「いせ、ひ乃、みな口道」いわゆる八風街道へ、そして「多賀、ゑち川、ひこね道」という御代参街道、また北へ向かう北国街道と別れて京へとつながる要所でもあった。室町時代には「八日市庭・ようかいちば」といわれていたとも聞く。


戦国時代消失後、正保年間天台宗から臨済宗に転宗後の本堂は鐘楼と共に古さは隠し切れず…、境内だけ見ると廃寺のように感じてしまったのだが?一方庫裏はというと棟木が太く豪壮たる風格であったのが…。































 寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.11.47.151N35.7.18.375&ZM=7


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