琵琶湖の東に信仰と伝説にみちた山、繖山(きぬがさやま)がある。。一昨年のことであるが一度この地に足を踏み入れていた、 安土城跡を探してこのあたりを走り回っていたのである。
天台の関係寺院を探し回っていたところ、ひょんな事からこの観音正寺を知った。実は大変な信仰の寺でもあったのである。
那智青渡岸寺を初めとし揖斐谷汲華厳寺を結願とする西国三十三ヵ所観音霊場の三十二番札所となる観音正寺は別名「白檀観音の 寺」とも呼ばれている。我が国に伝法した千四百年の仏法の中、現代の我々の息の中にも香気は普遍にして流れているのです。聖徳
太子が開基となるこの寺院には湖国らしい人魚の哀願によって作られたことを今に伝えている。
名神高速道路彦根ICをおりて、国道8号線を西に向かって車を走らすこと一時間くらい、蒲生の里にはいってくる。五箇荘町の 信号をこえて新幹線の鉄路をくぐりぬけると教林坊の表示が見えてきた。本来なら西老蘇(にしおいそ)の信号を右折して繖山林道に
向かえばいいのであるが、教林坊へ先に行くという計画から今回は手前の筋を右折して繖山麓のみやげ処石寺楽市へ着く。
繖山の地主神である天満宮と天台の守護神日吉神社もあいだを抜ける石寺参道を登ることから始まるのであるが、私の脚力では到 底無理な道なのです。五箇荘町側からは繖山トンネルの手前、川並参道を行き奥の院を右手に見ながら漢音正寺真下まで車で行くこ
とが出来るそうです。
私は安土町側、有料道路ゲートを通過して行くこととした。山上の駐車場について、巡礼道石寺参道の途中にでることになる。そ れでも石階段は四百段はあるようで、息を整えながらの参拝道である。紫陽花の季節には少々遅く、それでも石段の左右にその美し
さを見せてはくれるのだが、当の本人は美しさを見る余裕もなく、ただただ足を上げて登ることに夢中であった。
汗をかきながらそれでも石段を登りきると開けた境内にでた。鐘楼を過ぎると高さ4メートルはあろうかと思う阿吽の金剛力士像が 迎えてくれた。汗ばむ身体に山の風はさすがに心地よく、しばらくは眼下を眺めてこの山の偉大さと地理を見てみるのもいいであろう。
西側斜面になるのであろうか、遠くは三上山を望み、手前は蒲生安土の里であろう。近江の平野は米の産地であるとよく判る、緑一色 の地を分けるようにして国道八号線とJR東海道新幹線が貫いていた。
江戸時代に造られたという丈六銅製釈迦如来は第二次世界大戦に供出という悲劇にみまわれているが、戦後に開眼されている。この像 は「濡仏」といわれて野外に鎮座する。
観音寺山(繖山)の南麓に広がる地は古来蒲生野と呼ばれる広大な原野であった。
あかねさす 紫野いき 標野いき 野守はみずや 君が袖ふる
紫草の にほえる妹を にくあらば 人妻ゆえに われ恋めやも
の歌は近江大津宮に遷都した翌年、この地で行われた遊猟の際に詠われたものです。