常楽寺 (じょうらくじ)  湖南三山 阿星山常楽寺

 滋賀県湖南市西寺6丁目5番1号







国道一号線亀山から鈴鹿峠をのんびり走ること40分位か水口宿を過ぎるころには左右になだらかな山並みを見ることとなる。石部口の交差点を左折し、JR草津線を横切り県道長寿線を走ると急に常楽寺の看板を見つけたのである。道標の従いに車を走らせれば山門前の大きな駐車場に出ることになる。自家用車は寺の前まで車で乗り付けることも出来るが、敢えて山門前の駐車場に置くべきだろう。なぜなら寺の入り口までの参道を歩くことが静かな佇まいな常楽寺へのプロムナードともなるからである。


常楽寺は和銅年間(708年)良弁(ろうべん)が開基した阿星寺五千坊の中心寺院の一つであり、鎮護国家、鬼門除けのために元明天皇の勅命により創建されたという。平安後期、行胤が比叡山の末寺に位置づけしたと考えられる。

現在の山門はかなり後世のものというが、本来の山門は豊臣秀吉が伏見築城に際し移築後、毛利輝元により伏見城より三井園城寺の大門となったという。この辺りも信長の焼き討ちから逃れることの出来なかったというが、この山門を差し出すことで本堂への火は免れたと伝えられている。

近年まで常楽寺は廃寺となっており、一部の寺宝も盗難にあっているとのことでした。現在の住職が綺麗に整備されてこうして明治初期まで国宝指定されていたという諸像を目のあたりにできることができるようになった。


市町村合併に伴い石部町と甲西町が合併して湖南市となりました、平成17年に湖南三山として常楽寺・長寿寺、善水寺はいずれも天台宗の古刹であるところからこの三ケ寺で湖南三山と称することになったそうです。
この常楽寺は天皇の勅願寺であるが故に寂びれてゆきます。檀家のいない寺の宿命なのでしょうけれど…。それにしてもこの仏教宝物をそのままにしてゆくのはと考えた常楽寺の若き住職は、本堂諸仏の清掃から、景観の整備を一人でこなして行かれたそうです。その努力で現在、参道や駐車場、本堂前の石灯篭、本堂を囲む裏の丘に近江西国三十三観音石仏を祀ってゆっくりと寺内を散策することもできます。


本堂と三重の塔は国宝に指定されており、春は山桜、秋はもみじに囲まれて穏やかな表情をみせることでしょう。本堂は延文五年(1360年)一度焼失したが、同年には観慶により再建されております(南北朝時代)。桁行(正面)七間、梁間(側面)六間、屋根は入母屋造り桧皮葺である。

堂内へは期間中は入ることも出来るが平常時は住職が他寺兼務で不在のため予約しておく必要があります。本尊は秘仏千手観音菩薩坐像(国重要文化財指定)が安置されており、両側に二十八部衆そして風神・雷神の三十躯(総て国重要文化財指定)の群像が祀られております。(現在、風神像と魔喉羅迦王像は盗難で現在二十八躯)


三重の塔三間本瓦葺で総高七十七尺余とかなり高いものである。箆書き(へらかき)に応永七年とあることから応永年間(1400年)と推測される。塔内の須弥檀には釈迦如来坐像が安置され、来迎壁には釈迦説法図、四天柱に諸菩薩、内法壁には真言八僧図と十王図が描かれている。











































































常楽寺のホームページは
http://www.biwa.ne.jp/~waka-k/ です。



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