観音寺 (かんのんじ)  伊富貴山 観音寺  天台宗 


  滋賀県米原市朝日1347







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伊吹山山中にあって、弥高寺・大平寺・長尾寺と共に伊吹山四護国寺として元慶二年(878)に定額寺に列せられた法相宗の名刹であった。後、弘和三年(1383)に天台宗に改められております。

秋の紅葉のこの時期に米原市では三ヶ寺院の公開を行っていると耳にした。清滝の徳源院、柏原の成菩提院と鎌倉時代から室町、そして戦国時代にと寺運は栄華衰退をかさねて今に至る寺院は歴史に埋もれることなく容姿を見せている。

湖北の旅は、北国街道と北国脇街道をゆくこととなる。現在では国道八号線と三百六十五号線なのだが、姉川沿いにあるこの脇街道は歴史の宝庫でもある。天台宗中興の祖元三大師良源(慈恵大師)はこの浅井郡に生まれ、江戸時代の作庭で有名な小堀遠州もまたこの地に生まれている。
そして、湖北にはたくさんの十一面観音が祀られている。この観音寺は十一面千手観音菩薩ということであった。本尊は行基が伊吹山の霊木を彫ったと伝えられて秘仏であるという。

国の重要文化財である本堂は秋の公開がされており、前仏十一面千手観音が本尊を守るように立っしていた。左の奥まった所に傳教大師坐像が国指定重要文化財(鎌倉初期)として鎮座されて、この寺が天台の教えを守ったことを知らしめる。

観音寺山のふもと、仁王門を構え、参道を進むと左に玉泉院頭塔、右に本坊と、正面石段をあがると本堂であった。周囲はまさに秋の色を見せてゆっくりとした時を味わうに十分でもあった。本堂公開につき堂内を若い僧が説明をしてくれた。天井の双龍図、組み木、観音像の説明は大変うれしく拝聴できた。
「天台は薬師如来では?」という問いに、本堂右横奥に薬師堂を祀ってありますとのことであった。双龍図などはいかにも武士の匂いがしてならない。佐々木道誉末裔大原信綱公が再建した七堂伽藍も姉川の合戦で消え、長浜城主となった秀吉による堂宇はこうしたことを示してはいないのだろうか?


参道横には後鳥羽上皇のこしかけ石、奥まった池の奥に石田三成が秀吉に三杯の茶を献じたという井戸があった。それにしてもこの辺りの寺々はどうも生臭くてしかたがない・・・。

































 寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.20.26.660N35.23.10.060 です。


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