福林寺跡  室町期(不明)

滋賀県野洲市小篠原







国道8号線はもう何度走ったことだろう…、彦根から京都へ向かう時、僕は近江富士を確かめることから始まる。近江富士とは三上山である。あの坂本は天台座主のお住いである滋賀院の庭園からの遠景は、その美しさにおいては類をみない。その三上山のとなり妙光山と大岩山に囲まれた一画に福林寺遺跡磨崖仏埋蔵群はある。現在まだ部分的な発掘調査しか行われていないので詳細は不明とのことである。

国道の案内標識に誘われるように足を踏み入れてみた。
磨崖仏という案内に僕の好奇心はそそられたようである。今はもう福林寺は近在の方々の集会所のようになっている、境内に車を置いて山道を入っていくことになる。文献では天武帝の折、石村主宿禰(いわきのすぐりすくね)が鎮護国家を祈念して建立されたという。この石村主宿禰は渡来人系の氏族でこの在郷辺りに大きな勢力を持ったといわれている。
整備されているとはいえ今は落ち葉で埋め尽くされているその道は足元に気をつけながらであった。標識をたどって行くと、幅7・8メートルはあろうかその岩肌に地蔵菩薩であろう磨崖仏が見て取れる。礎石ではない、一体何処に置かれていたのであろうその大きな岩の側面に数体の仏が彫られている。中には観音仏もある岩は山の斜面に静かにあった。これらの年代は室町時代頃のものが多いといわれています。

この辺りには、福林寺造営氏族とみられる名を記した木簡が発見された西河原森ノ内遺跡があり、福林寺と何らかの関係があるとみられる八夫遺跡(やぶいせき)もあって、現在その関係の研究がなされている。
立派に建立された寺もいいのであるが、今はこうして朽ち果てた寺の残された姿を見ることは歴史を肌で感じるものである。地方の氏族の栄耀栄華もその時代の中に埋もれてひっそりと微々として守られているのであった。




















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