宝厳寺  (ほうがんじ)  厳金山宝厳寺   真言宗豊山派 
  

   滋賀県長浜市早崎町1664 







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近江を歩いていると、いたるところに紡錘形の美しい山がそびえ立つ、日本の文様に「遠山」と名づける一つの型であるが、湖水に浮かぶ竹生島も長命寺山、そして三上山などはその原型であったのかもしれない。
湖水からの蒸気に厳冬のさなかでも暖かさを感じられ、霞みの彼方にうっすらと紫の山々が見える景色はしぜんと古代の近江に誘ってくれるようでもある。

『仏は常にいませども 現(うつつ)ららぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ』・梁塵秘抄から

竹生島は彦根・長浜・今津・海津から船が出ていますが、今回私は偶然にも菅浦の漁港からかわいい小船で行くことが出来た。昔は湖族でもあったのだろうか?船を操る船頭は同年代の方であった。菅浦の港はこじんまりとして、奥琵琶湖の小魚などを捕っていたのであろう、数人が網の手入れをされていた。

西国三十三ヶ所巡り、その三十番札所は季節も良かったのか暖かな陽を感じて人であふれるようであった。大型観光船が次々と着岸すると人の波が一気に石段へと向かうその景色は少々興ざめでもあるのだが…。

鳰鳥(におどり)とはかいつぶりのことで、その鳥がたくさんいる琵琶湖を後世「鳰の海」とも呼んだ。そして竹生島はよく女性に例えられるのはその美しさだけではなく、母なる湖を象徴したからであろう。祀られているのも都久夫須麻(ツクブスマ)という女神であきらかに北国の訛りが感じられる。

初めは浅井比(アザイヒメ)を祀ったといい、その名前は現在浅井郡として残っている。この地方では生え抜きとでもいう神である。仏教が入って後、観音から弁天へと結びついていったのでろう。
聞くところによれば湖北には大音(おおと)という村があり、楽器の糸のために蚕糸を作っているという。そうした事を耳にすると琵琶の音が聞こえてくるようでもある。

浅井比唐ェツクブスマとなり、観世音と混淆して弁才天に返信ししたのが竹生島の歴史であり、私たち祖先が経てきた信仰のパターンなのかも知れない。

この日は宝厳寺観音堂では何年ぶりという十一面千手観音のご開帳をされていた。衆生を渡されるという観音の力をもらって来たのだが…、まだ私にはそんな力量も備えていないのが少々悲しい限りでもある。 それにしてもこうした観光寺院はどうも苦手である、人混みのなかでゆっくりと観られないのも理由であるが、如何せんその土地の方の匂いがしてこないのが残念でもあった。








































 寺の地図



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