玉泉寺 (ぎょくせんじ)  山 玉泉寺    天台宗 


 滋賀県長浜市虎姫町   







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慈恵(じけい)大師良源はその政治的辣腕、すぐれた弁論、するどい霊感等のため、没後は権化の人(神仏の霊格が権(か)りに人間の形をとったもの)として、いわゆる元三大師信仰を発生させた。

現在でも比叡山ではいくつかの寺院にて慈恵大師の護符が発行されている。西塔本覚院では御鈴大師、横川では魔滅(豆)大師、東塔雑林堂では木の葉大師、横川戎心谷では鈴振(れいふり)大師として親しまれている。
また、角大師として頭上に二本の角を生じた餓鬼の姿をしたものがあり最も広く民間に流布されている。

これら各種の別名は近世につくられたものであろうが、そこには古代末期からの大師の偶像化、護法神化、降魔神化の信仰が前提となり民族的信仰へと発展したのであろう。

近江浅井郡にて、父木津氏、母物部氏との間に生まれた。宇多天皇胤の説もあるが、しかしそれ程高い家柄の出自ではなかったであろう。

良源が座主に補されたのは康保三年(966)、五十五才の若さであった。法華三昧堂など横川の急速な整備発展、横川を拠点とする勢力拡大をもたらして、常行三昧堂、楞厳三昧院など大伽藍へと発展した。

広く内外の典籍を勉学し(広学)、設問にたいして見解をたて義理を述べる(堅義)という広学堅義を始め天台僧の学習を高めることとなった。現在、大乗経典の講会を春秋二季に行わせ、四季講堂と呼ばれ横川の中心的役割をなすものである。比叡山中興の祖である。

虎姫の町は高時川の下流にある。五月も初旬であるが、今年は例年になく寒い日が続いていた。それでも田には水が引かれてもう田植えも終わったのであろ、整然とした苗が美しく、秋には一面に黄金色の稲穂が見えることであろう。


























 寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.16.34.521N35.25.30.475&ZM=8


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