願興寺(がんこうじ)  蟹薬師大寺山 願興寺

 岐阜県可児郡御嵩町御嵩





弘仁六年(815)、天台宗宗祖傳教大師最澄は比叡山より東国巡錫の砌、御嵩の地にて布教したという。大師は尾張熱田の社を参詣してからその足で庄内川をのぼり現在の北区聖徳寺あたりで布教し、その後、守山の龍泉寺、密蔵院、高蔵寺を経て御嵩の地へたどり着いたと思われる。
この御嵩の地に宿をとった最澄に接し、遠近の人々は深く仏教信者となったようで、布施屋(無料宿泊所)を作らしめて自刻の薬師如来を安置したのに始まったという。後、一条天皇皇女、得度名行智尼という方がこの地にて正宝庵を建てて住まい、朝夕傳教大師自刻薬師如来像を礼拝していたところ勅命により七堂伽藍を建立し大寺山願興寺として美濃国各地より信仰されてきた。
大正三年文部省は本尊薬師如来像をはじめ二十四体の仏像を国宝指定しなら美術院の仏工らの手により修復が行われてきた。そのご昭和になって文化財保護法の成立によってこれら仏像は重要文化財となり現在霊宝殿にて安置されているという。本来本堂は重層な茅葺であったが近年に屋根への大改修がなされ重要文化財に指定されている。願興寺はこの地における稀なる古刹であり、多く民から信仰されていた場所であった。また仏教美術を拝顔できる寺院として貴重な存在とも言えるのではないだろうか。勅願寺故の信徒のなさで時代の中に埋もれてゆこうとする危険性を感じながら、それでも駐車場の脇で土産物を売り、案内する寺守の方の好意に支えられて安らぎを覚えたのも事実でした。










名古屋鉄道広見線終着駅「御嵩」、現在可児市の街中にその古い駅舎はのんびりと居座っているようでもある。名古屋駅から犬山駅経由で一時間位のこの単線は田園を抜けて山すそを走りゆっくりとした時間の中、宿場町中仙道御嵩宿に着く。駅舎をでると今は整備された中仙道を目の当たりにするのである。あえて宿場町への街道は折れ曲がって食線的に走れなくしてあるのだが、この宿場町も例外でなく、その折れ曲がったところに駅舎はあった。
今では駅舎から近いところに中山道の展示会館が近代的に作られているのだが、この日あいにくと非公開日であったのが残念ではあった。それでもその横道を逸れると御嵩富士が間近に見えて、昔日の人はここに土地の神をみるのだった。中腹に八幡神社があるのもそうした信仰のあらわれであろう。




















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