向源寺 (こうげんじ)  慈雲山向源寺 浄土真宗大谷派

滋賀県伊香郡高月町渡岸寺50











「渡岸寺(どうがんじ)の観音様」と親しまれている、渡岸寺という名前は実はこの地域の名前である。現在は向源寺という浄土真宗大谷派の寺院であって、本来は天台の寺であった。湖北、湖東地方では対岸にそびえる天台宗比叡山延暦寺の影響を受けて古くから仏教が根付いていたのである。


しかしながら、天台寺院の栄華は永くは続かず、長い歴史の中に埋もれていくのであるが、村人達の信仰によって宗派に関係なく守られていた。 天台密教四種三昧≠フ行では普段の生活の中において十一面観音を本尊として常に仏心を思う「非行非座三昧」という行が行われてきた。そうした信仰がこの地方にも及んできたと思われる。


十一面観音は救う相手によって様々に姿を変えて現れるという性格をヒンズー教多面神シヴァ神をもとに変化観音として造形化したものである。天台密教の教義を背景として造られてきたとみられる、この地方ならではの仏像でもある。


国宝十一面観音像は我が国に七体指定されているそうである、それでもこの渡岸寺観音堂の十一面観音像は美術品として観るのでもなく、この観音像を心から大切に思い、敬服されていた心で守ったその信仰心を観るのだと思わせる
。何時の時代でも仏像は美術品として造られたものは一点もなく、仏がそこに居るという心を表した何物でもなく、そこに現代人は惹きつけられているのではないだろうか。だから私はこれら仏像が何処に祀られていようが、或いは、美術館で展示されていようが、それら仏像を守ってきた人々の心にまず手を会わせることから始めることとしている。


関が原から長浜・敦賀に向かう国道365号線は右に伊吹山を望みながら、姉川の古戦場、そして小谷山の小谷城址の足元をぬうように走る。ここ高月町は湖北の仏像群の中心地でもある。はっきりとしない天候も渡岸寺に来た頃には青空もみえはじめ周囲の山々も綺麗に映し出されてきた。

もう三十数年前であろうか、昔日来た時には本堂隣に観音堂が廊下づたいにあり中に十一面観音は祀られていたのである。現在は近代的な管理の下、本堂隣に展示館が作られておりました。依然は暗くて案内人が懐中電灯を持ってして説明してくれたのを思い出しますが…、入って左に十一面観音像、右に阿弥陀仏坐像が並べて展示?されてはいる。これはこれでいいのであろうが、仏像は須弥壇に収まらないと仏像でなくなってしまうと思うのは私だけでしょうか。


ここ湖北、高月町には赤後寺、充満寺と木の本町には他に観音寺、医王寺、鶏足寺、石道寺と西浅井町には善隆寺、それぞれに十一面観音、聖観音とみほとけが鎮座まします。
人々の手で大切に守り伝えられてきたこれら仏像群は幾度も戦火にみまわれたこの地方の生き証人でもある。


































向源寺・渡岸寺観音堂のホームページは
http://www.kitaomi.com/item/tk/280.htmlを参照

http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/douganji-1-2.htmを参照


向源寺・渡岸寺観音堂の地図は

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