広徳寺  (こうとくじ)  瑞応山竜華院 広徳寺    天台宗 
  

 滋賀県甲賀市水口山上34   









信楽、水口、甲西の町々との境には飯道山(標高664m)がある。近江の大峯山とも呼ばれ、役小角(せんのおずぬ)が山岳信仰の道場として開き、飯道山山上に開創された飯道寺、中腹に開創された道徳寺、山麓に開創された薬王寺(飯道山三大寺)のほか、僧堂不動堂が作られていた。
中世には飯道神社の神宮寺として神仏一体の山岳信仰の拠点となり、往時には58もの僧坊があったと言う。明治神仏分離令による飯道寺が廃止になり、飯道神社本覚院が残りその法灯を継いで今に飯道寺(はんどうじ)としてある。

その飯道山の東南に庚申山(標高407m)がある。滋賀栗東南部における阿星山、金勝山、飯道山そして庚申山はまさしく信仰の山でもある。私はまだ行っていないが金勝山の頂には狛坂寺跡があり狛坂の魔崖仏はつとに有名でもある。
この辺りは比叡山を創建する時の石や材木の刈り場でもあり、その使役の人々の鎮護を目的としてこうしてたくさんの寺院が創られてきた経過がある。


信楽から水口に信楽高原鉄道がはしり、それに並行するように307号線が通っている。広徳寺はその鉄路をまたいで庚申山を登って行くのであるが、細いその山道は車が一台通れる程であるが、両側には桜や楓が植栽されている。春と秋の季節には美しいのであろう。走る事10分位であろうか山頂の駐車場に着いた。

783年最澄が開創したといわれる古刹が広徳寺である。今では無住寺であろう、人気のない寺を参詣することにした。本院横に寄進札が架けてあったので見ると私の知っている会社等の名前があった。非鉄金属となるのであろうか?この寺は真鍮の祖人が祀られていた。

1593年麓の藤左ヱ門という男がこの広徳寺に籠り、家運の隆盛を祈願したところ、真鍮の製法を感得し1599年京都にて成功し、後、本堂を再建して以降、本尊青面金剛は真鍮の祖神として信仰を集めたのだそうだ。

奥へと進み、鐘楼と本堂がある。裏手に回ってみると展望台が設えてあった。眼下に水口、甲賀、そして鈴鹿まで見渡せるほどであった。そして真下には新名神という高速道路がその威容を見せていた。この信仰の山をずたずたにしている人間の所業に心なしか恐ろしさをおぼえた。































































 広徳寺の地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.8.37.850N34.55.55.760 です。


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