浄厳院  (じょうごんいん)  金勝山慈恩寺浄厳院  浄土宗 
  



  滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744   












安土の駅から線路づたいに南西にすすむと浄厳院北門に出る、近くに繖山(きぬがさやま)を見る長閑な水田風景の中、突如として朱塗りの立派な楼門が屹立しているのが印象的でもある。
近江守護近江源氏佐々木六角氏の菩提寺であった天台宗慈恩寺威徳院を信長が安土築城に際して焼失したこの寺を再興させて、近江・伊賀における浄土宗本山としたのである。


真夏の境内はひたすら明るく、本堂、釈迦堂、鐘楼などが建ち並び、入母屋造り本瓦葺の重厚な本堂は閉ざされてはいるが欄干の美しい縁を少し歩いてみた。

水田の上をさわさわと通って来る風は汗ばんだ体に心地よく、ふっと腰を下ろしてみたくなった。時間の経過も忘れるようなこの風を土地の人は「叡山のあまり風」などと呼ぶ。優しい風は優しい言葉になって表現されるものである。さも浄土観を言い得て妙でもあるこの言葉には、火照った体を冷ましてくれるに十分でもあった。


「安土宗論」を行った寺として有名でもある。

安土宗論とは、1579年法華宗(日蓮)の僧が折伏(しゃくふく・他宗批判の説法)を通じて勢力拡大を進めたのを信長が宗論を利用して行った意図的な弾圧である。
信長にとって問題は教義でなく、独立した権威の存在が認め難かったのであろう。


浄土宗、法華宗両宗の僧を呼び、南禅寺の長老と因果居士を判者として行われた。もちろん法華宗を敗者とすることは予定通りで、その内二人は斬罪に処せられている。この事件は一連の仏教教団弾圧と同様に日蓮宗を信長の権威と支配下に封じ込める効果を持った。「信長公記(しんちょうこうき)」はこの事件を「安土問答」として伝えている。
























































































浄厳寺の地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.7.53.680N35.8.4.760&ZM=7


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