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2021年 12 月  27 日  
 


この一年


専門家とはその名の通り、ある分野に限ってそこを深堀するということですからその知見自体は政治的、経済的或いは社会的に大きく文脈から外れてしまっています。問題はその文脈から何を見出して当面の問題にその知見を具体的に活用していくことで、政治家や官僚がそれを負うのです。

此処にきて新型感染ウイルス感染禍も変異株再拡大の恐れが出てきたと矢鱈専門家がハシャリ出てくるのですが?その前に現在の我が国の感染縮小が何故かという報告が欲しい。そんなことにも気にしないメヂィアも考えものですが。

感染禍で解かった事は政治家や官僚が科学的知見を効果的に現実に運用するだけの準備も能力も持ち得ないことを露呈したことで、このような知見取り扱いの拙劣さの根本的問題は政治家や官僚たちの世界観や歴史観から来るもので、即ち「教養」が決定的に欠落しているのではないかと疑義するのです。

社会・共同体に潜在する構造的な弱点や問題点を感染禍は一挙に露出しました。その解決はその経緯をよみ、今後の展開を見通して、露出した課題を社会的・歴史的文脈に位置づけし共同体の方向性を示し行動を促がすことでしょう。

この文脈を読むことこそ教養なのです、資料や書類を読むだけの政治家が多いと聞くが、考える力を養い社会や歴史を読み価値観や歴史観を確立するにはある程度の読書量が必要でしょう。
感染禍以後「歴史的転換点」とよく耳にしますが、IT社会の進展程度のことで何も歴史的とは大仰ではないだろうか。


それでもわが国は異様に少ない感染者である現在です、新しい年を迎えましょう。



2021年 12 月  20 日  
 


生きる戯言(たわごと)


その1
よく遺言で葬式の仕方をあれこれ指図したり、自分らしい葬式とか言って妙に拘る人がいますが、何なんですかねえ~アレッて。死んでしまえば他人に任すしかないんだから、余計なことを言わずにサッサと死んで、残った家族の好きなようにさせればいいんじゃないかなあ~?(笑)

その2
あの世が無ければ自分も居ない訳だから関係ないし、あの世が在って自分も居れば結局のところ、今と変らない訳だから余りそういう事も心配要らないんじゃないの?(笑)

その3
自由と云っても、人間は束縛から自由になる場合は結構なことであるが、その後今度は自由に生きて行けと言われればそう簡単には行かないでしょう。自分の将来を決める時、具体的には選択の連続で自由の実質が選択の自由となる。
選択肢の知識を得て決定の責任自らに負うことになり、大きな負担となるでしょうからね?(笑)

その4、少し小難しい文章となりますが、
目に見える症状にまで現われなくとも、人は誰でも自己を自己決定や自己責任で開始しない以上自覚の有無に関わらず、実存の初めから「居場所のなさ」と「何となく不安」に深く浸透されているのではないでしょうか?
つまり「居場所のなさ」とは我々の実存自体がそもそもの最初から丸ごと不安であるいう意味なのだと思うからです。正にこの「居場所のなさ」と「何となく不安」こそが、現成利益のテクノロジーではない宗教が根源的に問題とすることではないかと提起するしだい?



        



年の瀬もつまった京都は外国観光客が居なくなったとはいえ街中は人でごった返していた。早々本山廟の墓参は済ませ、御所北今出川通りに面した何時ものイタリア料理店で昼食を頂き、近くの李朝喫茶でくつろぐことにした。上京区もこの辺りは京町屋など並ぶ閑静な町の風情が見られるのです。


この日は京阪京津線で浜大津まで出て湖畔の宿をとり琵琶湖をのんびりと眺めながら夜を過ごすのでした。今年も近江旅を楽しみましたが、いやいや車の運転も何かと大変で、今回は鉄道の旅と相成った次第!歳を感じます。





2021年 12 月  13 日  
 


自己からの逃避


近年の殺伐とした風潮から凄惨な殺戮や事件を垣間見ます。過日、禅のご老師と話をする機会を得ました。己事究明(生きる意味、生きる価値)という禅本来の精神によって世相を考える時間を頂けたことに感謝します。


自己という実存は最初から負荷がかかっています、存在が他者から課せられる構造になっているからです。肉体も言語も社会的人格(名前)も全て他人から与えられ、他人を通じて『私』が何者であるかを知らされなけねばなりません。

その場合の『他者』は特定の誰かではないのです、云わば自己が自己である不可欠の条件として存在構造に組み込まれているものなのです。従って、この他者との関係が不調になると『自己』という実存には重大な危機が生じ、それが大きな負担となるのですね。

負担が耐え難くなれば、その『自己からの逃走』が起きるでしょう。その根底に人間関係の葛藤があり、そこから慢性的な苦痛を受けてしまいます。

自己からの逃走の一つは依存症でしょう。依存症は云わば何かに“溺れる”ことで、自己を忘却し『他者から課せられた自己』という構造から離脱したいのです。これが極端になれば自死に至るかもしれません。
或いは、課す『他者』を抹消して構造から逃避しようとするかもしれません。その場合、これは「動機なき殺人」「無差別殺人」「死刑になるための殺人」になるやもしれません。

何故なら、そのような殺人者は特定の誰かを恨んだり、憎悪してる訳ではないからです。彼らが取り除きたいのは『自己』の条件として組み込まれている『他者』であり、それは彼らには他者一般、「誰でもいい」他者として現われるからです。

考えてもみれば、逃避そのものが悪いとは考えにくいのですね。問題は逃避そのものの方法と考えるべきでしょう。自己からの逃避が、自己の否定や破壊になることは避けるべきなんでしょう。

自己とは人間という実存がこの世で採用せざるを得ない存在形式なのですから。ならば、場合によっては形式の変換や改良はあっていいと思うのです。

本年も三週間を残すのみとなりました、月日とは早いものですねえ~。行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。澱みに浮かぶうたかたは、且つきえ且つ結びて久しく、とどまるとこなし。
老師もまた、澱みに浮かぶうたかたに人の生を例えておられましたね。

マンション前の道端には秋風に落とされた公園からの枯葉がたくさん積もってしまいました、でも昨日幼稚園児が数人走ってきてはバサッバサッと枯葉を押し潰しては幼い嬌声に思わず微笑んでしまいますね(笑)。でも私が帰宅する夜の10時頃に清掃車が揃って綺麗にして走り去って行きました、あのちびっ子たちには悲しいことでしょう。

子供は遊びの天才!道路や街ががキレイになるのは大人にとっては都合いいことです、今や側溝に流れる水もありません。子供の遊び場が無くなって来たようにも思えます。ほんの半世紀前、子供達が家の周りや道路端を走り回っていたようですが。いよいよ木枯らしが吹く季節となります。




2021年 12 月   5 日  
 


池大雅と与謝蕪村 特別展(名古屋博物館)


江戸時代中期、京の都は社会的、経済的にも十分成熟していたのだろう、市井では好奇心旺盛で学識に溢れた住人が多くいたときく。池大雅(いけのたいが)もその一人、少年時代から書画に才能を発揮した彼は時代最新のモードであった中国文人文化に傾倒していた。諸国を訪れて見聞を深め、古今の漢詩や学問に触れ、大陸(宋南部)への憧れを求めていたと言います。

池大雅の生き方は世俗の名利を意に介することなく、古の君子、詩人の如く雅、高潔さを追い求めたと伝わっている。文人画家として個性を確立した池大雅、そしてその生き方喜んで支えた人々、その作品はまさしく18世紀近代社会が産出した豊かさを物語るものです。

文人画(南画)は江戸時代に中国から渡来した唐画(からが)、即ち第三次唐絵(からえ)である。いうなれば、当時の最もファッショナブルな外来絵画様式であって主義主観的な性格を持つ。中国文人の脱俗の生活理念と、それを山水の表現に托す南宋画を手本として下級武士を主とする知識人の間に流行した。

名古屋にも池大雅が来た~!名古屋博物館に大雅と蕪村に依る『十便十宜図』(じゅうべんじゅうぎず)がやって来た~。作家川端康成の蒐集品として著名でもある。数年前に京都近代美術館へ池大雅展を観に行って以来であるが、何せ未だ池大雅のことも十分に理解しておらず未熟な目で満足していたに過ぎず後悔していたのも事実であった。

『十便十宜図』とは中国清の季漁の「十便十宜詩」に基づき、山荘での隠遁生活の便宜(便利さ・宜しさ)を画題に池大雅と与謝蕪村が共作した画帳である。小品ではあるが文人の理想とす俗塵を離れた生活を軽妙な筆遣いと上品で控えめな色彩で活写している。

当初大雅の絵を見た蕪村は慄(おのの)きで躊躇(ためら)ったと聞く。大雅の余りにも壮大な描写に己の筆を疑ったのだろう、以後蕪村は懸命に筆を奮励努力するのだ。後刻、蕪村はあの有名な『夜色楼台図』を残すほどとなっている。

大雅は墨と淡彩の澄んだ諧調、のびやかなタッチの作るリズム、自然の観察から得られた印象派に通じる外光の表現、自然の中で戯れる人物の無邪気な表情と「山水を遊観して造化の真景を見る」という中国文人の理想とする態度を自らに実践した。
何処かの本でこんな文章を見た覚えがある、『大雅、応挙、蕪村のスタンスは京都の長い絵画伝統の中に蓄積された因習の垢を取り除く上で意義はあった』と、静謐な生き方を見せてくれていた。


名古屋博物館秋の特別展『大雅と蕪村』副題“ふたりの楽園にようこそ”を観覧してきた。。俳聖松尾芭蕉は別として私は与謝蕪村の暮らし方が好きだ。京都東山の麓にある金福寺の庭園上に設えられた芭蕉庵は芭蕉を敬う蕪村が手直ししている。そして直ぐ隣に大きな墓石を立てたのは蕪村の俳諧の弟子でもあったのを懐かしく想う。


大雅の筆致を見て刻苦勉励した蕪村が私には羨ましくも思えるのだ。俗塵のなかで宗匠とはいえ人間ぽく生きた蕪村は民主的な心を持ち続けたのです。


友人Hさんと予てからの約束で楽しみにしていましたが、期間中十便十宜図は二枚づつ別けて展示、尚且つ夜色楼台図」は最終期のみ展示という事で再来することになってしまう。
博物館前、道路を挟んで二軒の古書店を見付けて飛び込んでしまった。私のように展覧会に来て思わず古書を買ってしまう方もいるんだろうな~と笑ってしまう。





2021年 11 月  29 日  
 


伝統


「伝統」は単に「伝統」であるが故に認められる訳ではありません。遺跡のようにそこに在るからありがたられる訳でもありません。自らのリアリティーを問い続ける意思と努力、換言するならば「伝統」を再創造して、社会に提示する行為自体が「伝統」なのです。大体遺跡にしてからが現代社会において学問的に解釈されて始めて価値を生じている訳ですから。

従って、外部有識者をただ集団に入れてみても、或いは閉鎖された集団をただ開いてみても、伝統は活性化したり復活はしません。外部の有識者を消化する覚悟とか、開かれたところから流れ込むものを吸収する意志と度量が残っているかいないか、出て来るのか来ないのかが問題なのですから。

新型感染ウイルスコロナ禍で、天平以来1300年余連綿と続いてきた東大寺修二会の行修は努力と覚悟、何よりも信仰心をもってして錬行衆、童子そして各地の講に依って伝統として守られていました。

それこそ修二会の行法は時代の変化や要請に応じ密教的要素や神道的色彩を組み入れ、複雑に変化し簡略化されて来たのも伝統なのです。悔過し、勧請し、随喜し、回向することがそのそもの本願としてです。

物事、やらないで後悔するより、やって後悔する方が良いといいますが、でも、やらないで後悔するのは自分だけで澄むのですが、やって後悔したら他人を巻き込むんですがね。  難しい…。

秋の紅葉シーズンとばかりに矢鱈と各地の紅葉観光地を紹介してますが、何の事はない私達の街の中にも結構秋の黄葉はあるものです。私の家の前の公園は桜ほど気を惹き付けはしないけれど秋を美しく演出している。そして暖かいのか山茶花(さざんか)の花が咲き素っ気のない公園にも華を添えてもいる。




2021年 11 月  22 日  
 


唐招提寺への想い


新型ウイルス感染禍において近代人は周章狼狽し覚悟の無さを露呈していた。 『解からない』モノという自然に対して私達が執るべき態度を問われれば、それは『敬意』でしか有りません。そうした態度が解からない何かを受容して生きていかなければならない私達に与えられた『作法』といえるのでしょう。

1300年もの昔、同じように病に襲われた南京(なんきょう・平城京の人々はどの様に生きて来たのか?敬意と作法の具現は私たちに伝わっているだろうか?私の心は数日前から古都奈良の地へと足を踏み込んでいたようだ。

宿泊するホテルも近鉄奈良駅前とは云え、元は興福寺境内(中院・一乗寺)である。登大路・西御門・京極大路などと今に名をとどめ、外京東大寺の境内に接する東端から西は近鉄奈良駅まで、北は二條大路を限り、三條大路に面して南大門が開かれていたという。猿沢池辺りは南大門の花園だった処で奈良ホテルは大乗院門跡である。

週末仕事後、どうも体調がおかしい…! 体温計、パルスオキシメーターそして血圧計などで調べ余り新薬等飲めない私はとり合えず漢方薬葛根湯を飲み早く寝た。
明けて土曜日、仕事は休み一日体を休めたが思いのほか回復が悪いのだ。結局泣く泣くネットで奈良のホテルをキャンセル、ホテルへ電話だけでもといれてお詫びを申し上げて、私の奈良旅は来年二月の修二会行修まで残念ながら待つこととなった。

過日、富山県立美術館で【山雲濤声】を見てからというもの、私は改めて奈良唐招提寺への想いが、そして参拝がふつふつと沸きあがってきたのだ。画家東山魁夷はどのような思いを持って描いたのだろうか?

古都京都と違って、大和古寺などの土塀や民家の築地は鮮やかさと謂うものはないが、赤土の混じった古びた地味な感じがするのが多い。よく見ればそこはかとない技巧の跡が見受けられるが、そんな処に古都の香りと嗜(たしな)みと云うものを感じるのです。

唐招提寺は薬師寺と同じく右京に位置しているが、建立された年代は薬師寺より凡そ四十年後であり、東大寺大仏開眼の日から数えて七年目、天平もすでに末期となっている。
薬師寺や法隆寺、東大寺と比べると格式も違うし由緒も深いとはいえない。でも、唐招提寺には他の古寺にはない独特の美しさが潜んでいると思う。

西高東低の冬型季節配置が此のところ続いている。季節の移り変わりが目の前を通過してゆくのを自覚する。
先日郊外の道路を走っていた、秋風に揺れるセイタカアワダチソウ、道路を転がっていく枯葉を見て秋を想う。




2021年 11 月  15 日  
 


所有と捨てる


必要のなくなったものを捨てるというのなら当然の話なのですが、「捨てる技術」とか「断捨離」等と捨てること自体に何か価値があるかのように語るフレーズを此のところよく眼にしたり耳にしたりしますが違和感を覚えます。

世間にはゴミ屋敷なる方が居られますが、あれは言うなれば「所有依存症」であろう。そんな「所有」という行為の実質は、対象を「思い通りにする」ことであるのです。そうなれば「思い通りの中に「捨てる」ことも含まれます。要は、「捨てる」と「持つ」は同じ「所有」行為の両側面なのです。

「何でも持つ」行為そのものによって「思い通りに出来る」自我を幻想的に仮設し、自己の存在感を補強している所謂所有依存症者に対して、「捨てる」行為も同じように作用を自我に与えている訳です。

「思い通りにする」欲望とは「自己コントロール」の欲望であり、それは即ち自己実存の無根拠性を幻想的に補填しようとするものです。(因みに金銭とは自己を思い通りにする単なるアイテムで、何の実体もないのです)

釈尊の教えが最初からその所有に批判的だったのは「禁欲」礼賛でもなく、「断捨離」誇示が目的だったのでもありません。その要点は所有行為が「自己」そのもの自体に実体的存在を錯覚させる構造を暴露することにあったのです。

このモノを持つ、捨てるという二元関係(二元パラダイム)と同様、苦と楽というものを全く違った領分に分けてしまう近代的発想では理解しがたい芸能や遊行が所謂気晴らし(エンターテイメント)ではなく、苦行と同じ質の人生のドラマの一部を成していることが覗われます。
だから、参詣等を今風にレジャーや観光的要素としてしたり顔に説明するのは軽薄とも言うべきでしょう。



        


此のところの陽気は気分のいいもの、新型ウイルスもかなりの感染減少傾向と云うこともあって国道41号線も観光地犬山に近づくに付けて乗用車の多さに驚く。私も友人と少しばかり足を延ばして美濃加茂伊深の里正眼僧堂へと向かった。
例年この季節ともなれば座禅堂横の大銀杏の木が真黄色に輝いているはずなのが、周りの楓と同じく色つきが無かった。
境内は物音一つなく静寂で、法堂前の正眼僧堂の化石に生えた松は今日も色を失うことなくしっかと屹立していた。庭の白洲も綺麗に筋目を入れられ一層の静寂を選出しているようである。
堂内に入れていただき本尊釈迦如来像に跪拝(きはい)するも何時もの如く、片隅に座って庭を眺める時間を頂くのも私には大切な時間である。





2021年 11 月  8 日  
 


秋の景色


千早ぶる 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは』  秋ですね~、百人一首や古今集に載る人口に膾炙(かいしゃ)された在原業平卿の歌ですが、さあ~もみじの美しさを称えるものか、果さてせつない恋心を詠ったものかは…?。

神々の世から聞いたこともない程と竜田川が紅葉でくくり染められて美しいでしょう、という秋の情景の美しさを読んだという説。しかし平安のプレーボーイ業平が二条の妃(清和天皇妃)である藤原高子(たかしこ)に向けて詠った恋の歌とも言われています。

そして突然二条の妃高子が自分の前から姿を消し、居場所は分かっているものの身分の為思うままに彼女の元に行くことは出来ません。そこでこんな歌も詠むのです。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして』  世の無常を詠ってますねえ、こうした凄い変化球のように返すのが私の好きなところかも知れませんが(笑)。

夏の熱情や熱気が冷めゆく秋ともなれば昔日の人達は万葉集や古今集などにこうして歌を残しています。

君待つと わが恋ひ居(お)れば わが屋戸の 簾(すだれ)うごかし 秋の風吹く』  額田王(ぬかたおうきみ)
そして私の好きな歌です。


秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)を粗(あら)み わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ』 天智天皇

そして、収穫の秋といえば黄金色にたなびく稲穂でしょうか、それこそ我が国の豊穣を思い浮かべ、そして都会に住む者にとっては郷愁をそそるものですね。

秋の田圃のほとりにある仮小屋の、屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、私の衣の袖は濡れていくばかりだ。農作業で泊まり番する農民の夜を描いた一首、そこには辛さなどは感じなく、静かな夜に黙想しているようで静寂さと晩秋の夜の透明感を強く感じます。、

飛鳥から近江へと都をうつした天智天皇の御世、野洲川沿い篠原や蒲生の野にたたなづく豊かな実りを見るのでした。近江の好きな私としては鶏足寺のもみじが待ち遠しい!


雨模様の天気予報がすっかり違えて暖かい秋の日和を三河の海を眺めながらのんびりと湯に浸かり過ごしてみた。近年にない遅い真夏日とニュースでは伝えていたが、確かに今日の車内は暑いほど。


程よい風は小さな白波を見せながら、柔らかい秋の陽射しは波に反射し眩しい輝きとなっている。港に帰ってくる漁船の上で忙しく立ち働いている人の姿が新鮮に映るものだ。


宿泊のホテルブッフェが美味しく頂けるのが嬉しいものだ。美味しく食べられることの喜びは健康へと直結している。
海風になびくススキに季節を味わうことも出来た。




2021年 10 月 31 日  
 


自死の問題 2


数日前、新型感染ウイルス注意報・警報が全て解除され、夜の街に関連する時短営業も同時に解除されて酔客が戻って来たと聞く。人々が願っていた行楽や宿泊旅も緩和されて交通機関や人流は改善されてきているとも耳にする。

今朝の新聞では感染者は全国で153人、これは昨年の7月以来の少なさだと報じている。先々月の一日感染者数は二万人を超えていたのが、この数字減少の根拠と原因は何であろうか。

ここ数日メディアを見てても何の報道は無く、況して入院・重症患者にあたっている病棟からは全くと云っていいほどニュースソースが入ってこない。一時は毎日のようにコメンテイターとして医療関係の人々が出演していたのが、『この程度』なら何も報道する必要もないということなのか。

データもまったく出ていない一年前に薀蓄垂れ流していた東京大学の某データサイエンスなる教授はそれこそ今でしょ!。今もって重篤者エリアの現場から医療従事者に出ていただいて現在の状況を知らせていただき、是までのご苦労を労る言葉があってもいいと思うのは私だけだろうか…。世間という風は全く酷いものだと暗黙の内にに伝えています。

それでもわが国はこの二年、感染者は171万8030人、お亡くなりになったのが1万8239人(10月30日)と約1%の死亡率は、インフルエンザ超過死亡概念死者(インフルエンザ直接死と自己疾患関連死)と同等である。


それよりも、ここに2万1081人という数字がある。何と思われますか?昨年令和二年の一年間自死者総数であります。
十年前と比較すれば1万人ほどの減少とはいいますが、それでも毎年この数ほどの自死者がでると聞きます。なかでも若年層の自死は深刻な問題でもあり、社会関連性の問題意識と考えなければいけない所までとっくに来ているのです。

人生に非常に幸せな時間をもった子供はたぶん自殺をしないと思います。よくいじめで死んだ、なんて言っていますけれど、私は信じません。その子は幸せを見たことが是までに無いんだと思うからです。母が悲しむ、父が悲しむ、兄弟が悲しむ、友達が悲しむという愛情や熱意を自己のブレーキとして使えてないのです。

このままの状態が一生続くのなら死んだほうかましなのでしょう、と謂うことはそれまでに一番幸せを感じやすかった時期に幸せを感じとっていなかったからでしょう。

この『幸せとは何だろう』という疑問と希望に応える社会、その根本的スキームは家庭・家族なのです。何の根拠も意味もない誕生を支えるのは親の愛情ではありません、親としての責任なのです。
いじめが原因と耳にしますが、少なからず親としての責任転嫁という事も考えておかなければいけないのです。社会とは私達が作っているそのものなのですから。自己は他者(他己)との関係で生成されて生きていくしかないのです。


紅葉各地の情報が聞こえてきますね、近年ではライトアップなどで秋の風景も変ってきています。岐阜美濃加茂市伊深の里にある正眼僧堂の大きな銀杏も色付いてきたと友人から連絡が入ってきました。二週間もすれば一面黄色い絨毯を広げたような美しい風景が観られることでしょう。

そして芸術の秋とばかりに美術館や博物館などでいろいろと展覧会が開催されております。絵画などゆっくりと鑑賞する気分を楽しんで下さいということだろう、やっと少しづつでも普通に見られれ楽しむことが出来るようになったのを実感しております。





2021年 10 月 24 日  
 


歴史を学ぶ


675年、飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)にて天武天皇は一つの詔(みことのり)を出された。

『牛、馬、さる、鳥の肉を食することを禁ずる』『特定の器具を使った漁業や狩猟を禁ずる』というものである。以来我が国の生活の基本となるものでもあったのです。

これは主に魚や大豆からたんぱく質をとる日本人独自の食習慣の始まりでした。明治以後牛肉や鶏肉を食べるようになったことを考えれば1300年以上もの間、この詔で規制された食生活や食習慣が私達の基本でもあったのです。

また、天皇は続けて『禁止されている所で勝手に木を焼いたり伐ってはならない』という通告もしました。許可無く山野を開墾することを禁ずるというものです。

牧畜を積極的に行なってきたヨーロッパや中国ではより多くの牛や羊を養っていくために山や森を切り拓き、牧草地を拡大せざるを得なかったのです。結果的には土地が裸となり乾燥し荒れていったのです。

ところがわが国は今でも国土の7割を森林を占めますが、このような人々と異なる生き方を選んでいて、農業を専(もっぱらとする民族と成っていったのです。今思うに、これは天武朝の定められた方針のお蔭ともいえるのだろうか。

是まで日本では中国大陸や朝鮮半島経由で文化や文明がもたらされたと考えられてきましたが、けれど本当にそうであるのか?というのも、我が国には旧石器時代の遺跡が世界的に見ても非常に多く存在するのです。

主だった文明が生まれたのとはほぼ同時期に我が国にも文明が存在したと考えるのは強(あなが)ち穿ったことでもないだろう。

京都国立博物館の国宝展で見たあの火焔型縄文土器の高度な抽象表現は単に煮炊きや保存に使うだけならこんな意匠(デザイン)は必要ないだろう。
四大文明が全て農耕牧畜民族であるのに対して縄文文明は狩猟採集民族である。そこでは人々は定住し、豊かな暮らしを彷彿とさせる縄文土器の存在があるのです。

今日、わが国の原風景と言えば、豊かに実った稲田に手入れの行き届いた里山という農村の景色を思い浮かべることでしょう。そんな美しい光景には実はこのように思いがけない歴史があったのです。

近江から北陸へと疾走する特急列車の車窓からはそうした日本の原風景に似た農村の景色が今もって私の心持ちを揺さぶっている。立山から白山連峰への稜線を遠くに眺めながら、山々から育まれてきた自然の風景は歴史そのものであった。

類を見ない速度で新型ウイルス感染者が少なくなってきたが、ウイルスの根絶は不可能ということである程度は付き合っていかなけねばならないという、このある程度という言葉の強度が事の問題でも有ろう。出来れば再感染拡大がないことを祈念するものだ。





2021年 10 月 18 日  
 


鑑真和上(がんじんわじょう)


仏教伝来後ほぼ一世紀半を経た天平初め頃ともなると、早くも種々の弊害が仏教界に現われ始めて来ていた。僧侶として自覚するべく守られる修業や戒律が軽んぜられ、加えて正規の得度受戒を受けることなく僧侶となった私度僧が多くなり、その説くところも現成利益的志向が強くなり、行なうことも実利的なことが多かった。

『 詐(いつはり)て聖道と称し、百姓を妖惑(ようわく)し、進んで釋教(しゃくきょう・仏教)に違(たが)ふ 』という事実があったようで、戒律を守ることのできない私度の僧尼の行儀は堕落していたという。

また一方で朝廷や貴族などと結託した一部の僧侶は世俗的栄誉を求めて政治に容喙(ようかい)し、貴族間の政争にも介入して僧侶として眼にあまる行動も少なくなかったといい、当時の仏教界を著しく乱したという。

この腐敗し俗化した空気を刷新し仏教本来の姿に立ち帰えり、釋教の理想を回復するするためには何よりも先ず一切の僧尼に正しい戒律を正しく行なわせることにあった。その為には正しい戒律を授けうる優れた授戒の師が必要であった。優れた伝戒の師の招聘(しょうへい)が要望され、そこに栄叡と普照の二人の沙門は入唐し鑑真和上(天台などはかしょうと謂う)の来朝を懇請したのである。

和上が来朝の一行中に画師や彫刻家、金工や刺繍などの技術者を加えていることは、飛鳥から白鳳、天平へと儀軌的な仏像彫刻は次第と写実的な肉体追及、写実的表現として現われるのだ。

仏の姿として理想的写実によって理想的人体が追求され、結果的に不可視的のもの、例えば佛性といったような佛・菩薩が当然具えておるべき宗教的な高い精神性やその精神的な力ないし徳といったものを、可視的な形において表現することは特に意図されず、専ら造形的関心は自然(対象)の、つまり佛・菩薩の姿にかりてこられた人体や、着用する法衣の襞などの外形的模倣と理想的再現にあった。

戒律を重んじ、仏教界の粛清を念願とした鑑真和上は唐招提寺を中心として従来の行きかたと異なる反古典的作風の木彫が和上の来朝後急激に勃興して来たのも知っておきべきことだろう。

正午少し前の名古屋駅4番ホームにはクリームホワイトの電車特急『しらさぎ7号』が停車しており、その行き先は金沢を標示していた。二十数年ぶりの列車での北陸旅にことのほか興奮している。車内でのんびりと昼ご飯を頂こうと駅構内で駅弁と飲み物を購入し、浮き足立つ気持を抑えるように着席するのだった。金沢まで3時間ほど、北陸新幹線で富山までと約4時間ほど列車の旅を楽しんでみた。



        



鑑真和上を偲んで画家東山魁夷は10年の月日を費やして鑑真の故郷中国を旅し、そして全国を廻り風景写生に出かけ、精魂こめて描き上げたのが『山雲濤声』である。普段唐招提寺御影堂にそれはあるが、現在御影堂修復中のため『山雲濤声』は全国を廻り只今は富山県美術館にて展示開催されてるのだ。

ともすればこの齢は不安の中を彷徨してるようなもの、時に好きな絵画を眼に出来るとなれば老体を揺すりながらも足が向くというものでしょう(笑)

画家東山魁夷は唐招提寺に座す盲目の鑑真和上像に、巌に砕けた波音がやがて漣(さざなみ)が渚に寄せる波音を、幽邃な山奥に瀑布の音を、そして季節の移ろう春はホトトギスを描いて聞かせている。それは苦難の末に来朝しこの国を釋教による国の成立に労(ねぎら)ったものであろう、氏の尊崇畏敬の心持ちを私は感じるのです。
多分、二度と見ることの無いのだろうこの機会を逃してはと思い逸り、のんびりと富山の旅へと誘われたのです。

その筆は静謐(せいひつ)で澄みきった叙情性をもつ風景画と化して私たちを魅入らせるのです。
我が国で釈教が厳然とあるのは鑑真を初めとする、五度の渡朝で流命された人々を思わずにはいられません。




2021年 10 月 11 日  
 


隣国


過日、韓国の漫画家 「尹 瑞寅(ユンソイン)」 氏が自国についてこのように記していた。


『 反日活動したいならすればいい、その代わり日本製品を一切排除しろ!、この国は日本から伝わったものばかりで成り立っている。韓国の政府システム、経済システム、教育システム、インフラ全て日本から来たものだ。反日するなら全てを変えなければならない。

もともと文化というものは先を歩んでいる国から学び、良いものを自国に持ち帰ってカスタマイズさせるものだ。日本の文化や技術を取捨選択して使うことの何処が悪いか。

反日的言動をする人達の共通認識として、日韓関係が良くなる=日本に負けると考えている者が非常に多いが、それは完全に誤ってる解釈でこんなことで勝ち負けをつけるべきではない。

日本に勝つ=日本より精神的・経済的に良い暮らしをし、世界から韓国に対する賞賛の声を聞くことだ。その為には今のような反日活動をいつまでもやっていては駄目だ。韓国がまともな国になるのはいつなんだ。 』……と。


折しも時を同じくして中国政府がこんなことを発表している。我が国と隣国韓国との現在の経済・社会状況の違いはどこから来るのか?と、いうものであった。

現在私達が尤もなように書き、話し使っている漢字であるが、中国古代の黄河文明で発祥した表記文字であり、最も文字数が多い文字体系でその数は10万字とも言われます。古代から周辺諸国家や地域に伝播し漢字文化圏を形成し言語のみならず文化上に大きな影響を与えたとも伝えられている。

この文化上に大きな影響を与えたということこそが我が国と韓国の現在の差であると言うのだ。我が国はかつて先進国から学べるものは学び尊ぶという精神が存在していた。明治文明開化はその継承である。
現在漢字文化圏はその殆んどが漢字とは乖離し自国語や植民地語を使用しているが、我が国の漢字文化は一層の発展をなし、独自の言語文化が派生していきました。

肝要な点は、文化文明は先進国から学習し応分に照らして自国化するものであって、それに拠る伝統の継承こそが自国の文化文明へと繋がるものである。


中華人民共和国中国共産党故毛沢東主席の秘書を永年努めてきた李鋭(リ・エイ、2020年101歳逝去)氏の膨大な日記(李鋭日記)では最後にこの言葉で総括されいた。
『 中国数千年の歴史の中で培われてきた封建制度や農民意識からは秦の始皇帝、毛沢東や鄧小平のような人物しか出てこない、ワシントンやリンカーンのような人が出てくることはないのだ。(1989・5・22) 』

近代世界では兎角隣国との関係性が問題化されてきています。


もう二年となりますか?比叡山延暦寺飯室谷長寿院の不動堂と地蔵堂へ参詣、藤波阿闍梨さまにお会いしてきました。
いつまで参詣できるものやら、阿闍梨さまと談笑しながら無事を祈るばかりです。





2021年 10 月  4 
 日


人権


久方に満月であった中秋の名月は玲瓏(れいろう)な美しさをみせ、秋分の日とはさぁ~此れから冬に向けてと心づもりの時でもあったのでしょう、夜も更けてくるとこの季節、澄んだ夜空には美しい月がその満ち欠けを見せてくれています。星座の、否宇宙のことなど何も知らないのですが、この澄みきった夜空で輝く星々には何故か心が浮き立ち感嘆するのです。湯上りの汗も一気にひいて肌寒さを覚える頃ともなるのですね。それにしても月日の過ぎるのは早いですね。


皇室宮様であられる真子親王がご成婚されるとのことだ。皇室離脱してのご結婚はそのお相手が一般の方と云うので何かとマスコミに取り上げられて物議を醸しだしてはいた。

紆余屈折が有ったにせよめでたく成婚がなったというので、その過程のうえでは何かと喧しいのがマスコミというメディアである。先般友人に話したのがお相手の容姿変化やその態度にメディアのあらぬその行動である。
(3年前の髪型がロン毛に変化した時の卑下したかのような報道、遠くからの無礼な大きな質問に対する反応など)

SNSではここ数日それが甚だしく批判の的となっているが、本来天皇制の下に人権の問題提起でもある。「税金で生活してきたくせに国民が納得しない結婚は駄目だ」という言葉・声である。こうした言葉は天皇制を特定の人物・親族の人権を税金と引き換えにした制度と誤って理解しているのだ。

税金で暮らしているというバッシングは公務員や生活保護受給者へのそれに似ていて、天皇や皇族といえど生まれながらにして人権はあるのです。「婚姻の自由という当然の人権の行使をする為に外国に逃げざるを得ないカップルを前に」、
メディアの人権意識の低さには呆れはてています。
公務員から警察官、自衛隊に至るまで実は私達の生活はそのような方々の力で社会的潤滑性を保っているのですが。


平日の昼過ぎ、友人を誘って魚料理でも頂こうと出かけてみると、私の行きつけの店は相も変らず客足は衰えはおらず混んでいた。鯛の煮付け、大きめのエビフライ二本、もずく、小皿にははんぺんとイカ塩辛に海苔佃煮と枝豆が、おからサラダの小鉢に赤出汁とジャコ御飯である。

ここ数日お天道さまが珍しく顔を出し続けてこの日も爽やかな海風に程好い暖かを感じる日和であった。海岸に面した小道に車をいれ一時間ほど海を眺めながら過ごしていた。二本の突堤には数人の釣り人がゆったりとして糸を垂れている。このような時間を過ごされているのが誠に羨ましい。
よく見れば岸辺のあちこちには、又流れ込む川の両岸には結構な人々が同じように糸を垂れているのだ。秋のこの季節小さなはぜの子が釣れているようで、これも日本の原風景でもあったような…?
この日同道出来なかったO君また近日ご一緒しましょう!






2021年 9 月 26 
 日


風姿花伝 「ふうしかでん」


古稀を迎えて私は思い立ったのです、買い漁った古書(単に古本)をもう一度読み直してはどうか? あれから既に二年を経て、週一冊の目標を立てたが新しく購入した古書と併せて読むには脳力が追いついて行けない(笑)。それに付けても難解な臨済録や無門関、正法眼蔵等など禅書等を読んではいたものの興味を持った40年ほど前には何も理解できなかったのを覚えている。そう言葉一つから解からなかったのだから…。

頑張って10年を目途に、今月から来春までは白洲正子を再読する予定にはしているが、早々にも凄い言葉の羅列に次のページに進まないのだ。白洲は世阿弥の『風姿花伝(ふうしかでん)』について書き記している。

いけ花の起源は、畑の真ん中に長い竹を立て梅の枝をさすことが神への依り代を観る、即ち神を迎える花であると共にそれが神の象徴でもあった。これらは点ずる花もしくは点花(たてばな)と言い、投げ入れの極致といえるのだろう。

日本人が初めてたてた花を想像すると、それは農耕のお呪(まじな)いに、畑や田圃の真ん中に天高くそびえる祈りの花であろう。現在でもそんな風景は神の依り代として各地に残っているのが頷ける(田植えに観る桜がそうです)。祇園祭の鉾も、諏訪神社の御柱(おんばしら)も、七夕の竹も、どんど焼きや松あげも全てが同じ意味合いを持っている。

現在の生け花は、もともとが生けると云わずに立てるという言葉を使っている。それは世にいう立花(りっか)とは違って、室町時代にいけ花が生まれた時、花を立てると言ったという。。それは正に神仏に奉る意味も含まれていた。

極端に言えば、いけ花は私達が生きている時間の中にあり、空気にかこまれて存在するのだから完成した作品を見ても意味が無い。作品だけ見るものではなく、出来上がっていくその過程に“花”があり、当人の興味も陶酔、おそらくそこにしかないのだと白洲は纏(まとめ)めている。 花は自然にあり、人も自然だから…、

花は儚(はかな)いから美しいのであって、『イヅレノ花カ散ラデノコルベキ。散ルニヨリテ、咲ク頃アレバ珍ラシキナリ。能モ、住スルトコロナキヲ、先ヅ花ト知ルベシ』と伝書は残している。

秀吉が朝顔の花を見に利休を訪れたとき、利休は見事に咲いた朝顔を全部切って一輪だけいけて見せたという逸話を思い起こすが、それは日本の文化一般に共通する美意識で、私達が花を生ける場合にも、根本にあるそういう精神を忘れたくないものです。

多様化、多様性という言葉に消されるよう、物事のあり様が失われていく。変えては行けないもの、変ってはいけないものは社会にはある、そして人の力でも変えられないものも有ろう。押し並べてローラーで平らにすべく現象を薄っぺらなものにするのは芳しくない。




2021年 9 月 20  
 日


本地垂迹


自然を語るうえで忘れてならない関係が信仰の問題で、とりわけ我が国の“神”という信仰、所謂「神道」である。仏教という外来宗教との融合や適合は互恵関係にあり、仏教とは“本地垂迹(ほんちすいじゃく)”という神仏習合(混淆)思想で維持関係にあった。

神仏習合において、神は仏が日本の衆生を救済する為に仮に姿を変えて現われたものとする説である。神は仏の垂迹(衆生を救済する為この世に現われること・垂迹神)にて、仏は神の本地(本来の在り方・本体・本地仏)であり、両者は究極的には同体不可分の関係として捉えられたものである。

本地垂迹は本来天台宗において「法華経」の「如来寿量品」に於ける久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦(歴史を超越した永遠の釈迦)と始成正覚(しじょうしょうがく)の釈迦(歴史的実在としての釈迦)を弁別する為に用いられた語であり、現実社会の釈迦は本地たる仏陀の垂迹とするものであるが、本地垂迹説は是を日本の神仏関係に応用したものである。

熊野権現や白山権現など権現の神号も「仏が権(仮・かり)に神として現ずる」の意であって、本地垂迹説に基づく神号とて十世紀前半には出現している。
平安初期には伊勢の本地が大日如来、白山の本地が十一面観音などと神社の個別の祭神の本地に具体的な仏・菩薩が充当されるようになっている。

主なものでも、伊勢神宮内宮は胎蔵界大日如来、同外宮は金剛界大日如来、出雲大社は勢至菩薩、多賀大社は無量寿如来、石上神宮は不動明王、熱田神宮は金剛界大日如来、竹生島は釈迦如来等となっている。

自然に在るものを崇拝するという神道は、日本の原風景と思われる豊かな稲が実った田圃に、手入れの行き届いた里山という農村の景色、そして祭りを行事として行なわれた。その美しい光景の歴史は日本人信仰の歴史でもあるのです。

国土の七割を森林で占めるというわが国では正月を祝い、桃の節句や端午の節句を共に祝うのも行事を生活の中に取り込み自然から季節を感じ、自然の在りように心を癒す習慣を再考する時が来ているのも事実である。



コロナ感染禍の行動指標の流れが此処に来て変化している。自然から派生したウイルスは消滅することは決してないと私達は改めて知りました。問題は死なないこと、重症化しないことで、感染は無くならないということであった。


         



先般アメリカの旅行会社がクルーズ船を再活動させている、乗員乗客全てが二回接種の義務と陰性証明であったがそれでも27名の感染者は出たという。しかし感染者は数箇所に集めて治療しながらもクルーズは続けられたという。
総員4500名の中での感染者27名という数は0.5%であり、尚且つ軽症者ばかりで重症化していないとのことだ。
即ち、人智には限りがあり、そうしたものが自然である、ということではないだろうか…。

万葉の時代、持統天皇(この時退位していたので上皇)三河行幸の謎を調べるため、三河湾沿いから知多半島にかけて旅を楽しんできた。上皇崩御の数ヶ月前の謎の行幸はいろいろな調査や解析が行なわれているのです。
伊良湖半島(渥美)が伊勢の国とされていたことや、伊勢から篠島など島づたいに行けば早く往復できることから謎は深まるばかり。

二年ほどそんな好きな旅も自由には行けず、私の中の虫が納まらずやっと三河をぶらぶらする事ができるように成りました。帰路知多半島の夕陽をのんびりと眺めながらひと時を楽しんでみました。雲もはれてこの日は満月前の月がことのほか美しいものでした。





2021年 9 月   12
 日


自然であること


過日、県外でもあるが私用で岐阜大垣の地に宿をとった。市井のホテルは眼下にJR東海道線や養老鉄道養老線、、揖斐線そして樽見鉄道と地方の中枢駅の様相を見せて、西に伊吹山の夕陽を観るというロケーションする芭蕉翁「奥の細道」終焉の地である。

駅前という立地上、商店や飲食店、銀行などが所狭しと林立しているのだが、時代にもれず商店街はシャッター通りへと傾斜し、コロナ感染禍の影響もあってネオンなどの輝きも少なく殊更寂しさを覚えるのだった。

通勤者の足はバスや迎えの車に真直ぐ向かい家路に着く様相で、飲食街や繁華街の灯りも消えて夜8時というのに人通りもぐっと少なくなって佇まいが閑散としているのだ。

翌日のんびりと国道258線を走っての帰宅は養老鉄道に沿った緩やかな山裾をぬうようにはしっている。途中、山に向かうよう砂防ダムの両辺に公園が造ってあった。何気なく車で入って行くと中腹に設えられた展望所とでもいう感じの駐車場に車を止めて不自然な自然公園に思うことしきりである。
遠く眼下には真っ白に輝く雲の下濃尾平野を眺めながら自然を考えていた私がいる。



自然の定義は人の意識から造られていないもの、つまり意識的に設らえたものは自然ではない。実は人も自然なのです、何故なら人は意識的に創られていないからです。意識的に造ったものと意識的に造られていないものを区分けしての自然論なのでしょう。

結果的に自然と向き合うということを知らないと自分を忘れてしまうのです。それは自分が自然であるということを理解できるのが身体です。

自分の最初は意識していない0.2ミリの受精卵です、現在50キロの身体であるのは何故か?それは食べるからでしょう。それは周囲と繋がっていたからと換言できます。最初はその感覚があったのですが何時しか忘れてしまうのです。しかしながら昔人はそうした感覚を絶えず持っていたというのです。
『土から生まれて土に戻る』とか『生きていくことを食べていく』と言っていたのです。

こうした感覚のない人は自然と対侍していると考えるのです、自然が物質で出来ているとしたら我々は絶えず接点を持っている。人工的というものは意識的なものであるが、、実は意識は自らの主導権を持っていないのです。

それは、意識が有って目覚める訳ではなくて身体の都合(だから目覚まし時計がある)である、眠るときも同じく意識的に眠ることはない(眠ろうという意識はあるが眠る瞬間は意識がない)、だから意識というのは自らの主導権は持っていないのが解かります。

意識がある時は自分は何かをしてると意識できて、身体も自分が動かしていると勘違いしています。けれど死ぬ時は意識できないのですから…。

都会は意識的なものしか置かない不自然なところです。石ころが自然なのは意識的に置いてないからで、、都会の道路に石ころが置いてあれば危険であって不自然なことでしょう、山奥の道に転がっているのは自然なのです。それは石ころだから意識がなく意味もなく自然だからです。

結局私達は今、普段から意味のある物で覆われた社会で生活しているのです。大都会に住まいする方々などは挙句意味のないものに溢れる田舎(自然に近いと思われている?)に行きたがると思うのです。

私の幼い頃には身辺を自然が囲んでくれていたものです、だから学校など教育で縛り付けても遊びで発散する場所があったのです。残念ながら現在は社会全体に自然は残っていません、意図しないものがあってはいけないとする社会なのですから。そこでの教育というある種囲い込みは大変困難を伴うことでしょう。






2021年 9 月   5
 日


コトバ


意志の有無に関係なく自然は生きものを産み、その生きもの達は既に30億年の時を超え生き延びてきています。その結果としてヒトが生まれている、ヒトは生きもの達の間へと分け入り、、自然を語り自分自身を語る。そうです、語られるものはコトバに拠ってです。

コトバは自然のあらゆる間隙を埋めて世界を覆い、自然の中に響きわたりあいながら再び消え去っていく。そんなコトバを担っているのは人間即ちヒトである我々です。私達はコトバにより時を超えてただ只管存続しようとするのです。

安倍公房氏は二元論的に、『精神とは言葉である、言葉そのものが精神であり、精神を伝えるには言葉である』と残している。そして言葉は多様性を兼ね備えているとも。

此処にきてAI社会にあると、コトバがもつ位置変化の問題がある。私達は平生自分は変らないと思っている。AIはまさにコピー社会なのであって、デジタル化は完全なコピーを作れるのです。時間が経っても変らない、媒体は変化しても中身は変化しません。

仏教が説くように諸行無常は変化することを教える。しかし情報社会は変化しないのです。自分というものが強く言われますが、自分とは何かなどと思いやっている間は、自分は変らないと思っているからでしょう。

ネット社会は一旦作れば消去・削除しない限り永久に変化しないのです。それは物事は普通に変化しないのもと思うようになるでしょう。自分に投影されると、それがあって自分というものは変化しないと思い込むようになると思うのです。


おりしもパラオリンピック2020東京大会が開催され、連日パラアスリート達の活躍がテレビの画面に映し出され私達は目にしてる。
彼らには私達と同じ言語形態のコトバは少なく不足気味なのかもしれない。しかし私達とまた違ったコトバが存在していると思えるのです。彼等が発する表現としてのコトバは音としてでなく体を媒体として私達に伝導されてきます。その不足は彼等自身の努力でどれ程でもどの様にでも補われていくと云うものです。まさしく多様性なのです。

ついでに言うと、パンデミックとも云われる新型ウイルス感染禍にて、賛否両論のもと世界中からアスリート達が集まった。そしてパラアスリート達はヒトの無限性や可能性をこの日も表現していた。崇高な心体の欠損を崇高な努力、そして感謝という心で私達にヒトの多種性、多様性を教えてくれる。

オリンピックがこのような形でも行なわれたことで私達は何を感じ、何を思うかという問題提起が今あるのです。この9年間数百万人というヒトの行動によって2020オリンピック東京大会が挙行されてきた事実に思いを馳せながら。




2021年 8 月   2 9
 日


食べること


美味しい、不味いと言うのは決して本能に基づくものでなく、その正体は思いと云うものであり、教育に拠る結果いわゆる刷り込みの観念に近いものだろう。それらは満腹状態では美味しいものでもなく、反対に空腹ではほぼ不味いものは無くなるだろう。そして、ある国では美味しいものでも、ある国ではゲテモノとしてある。子供の頃不味かったものが何時か大人になると美味しいのはそれである。

結果、食べ物は体の衰退を癒す薬であると道元は位置づけしている。要するに食べ物は生命を維持する、救うものであり私達の自意識の存在より優位にあるとする。

食べ物に命を存在視して、人は動植物の命を奪ってしても食べていいとするのは何故か?禅では修行僧の成道の為とする、謂わば食事作法を実施する修行という行為において食べ物が仏になるというのだ。彼等は食事作法そのものも
修行と考えている訳です。

私達はそこに何を習うかという問題がある。ここに作法が敬意の表現や実現である意味を明確に読みとることが出来るだろう。必然として起床から就寝まで行動全てに作法がある(例えば洗面だけにおいても)禅において、動きそのものが美しいと見えるのは厳しさからの昇華であり、行動が敬意という土台に乗っているからであろう。


過日、久方に近江を旅してみた。ホテル併設のコテージでは多勢な人と会うこともなく食事も必然的に外食となる。この夏はちょっとした異常気象で、ここ連日の雨模様もこの日は喜びの陽が射していた。奥琵琶湖高島の稜線に落ちる夕陽は多くの雲をかき別けるように沈んでいくのも自然の美しさなのでしょうね。

車を走らせて予約しておいた焼肉店に向かう、ウイルス感染注意下では営業時間も8時までと短縮とのことで、アルコール提供も控えてとても苦しい状況ですとご亭主は嘆かれていた。相変わらず近江牛の肉は美味しいのだが静かな店内は何かが違っていた。帰りの道すがら暗闇に流れる雲間から満月と近づく木星、土星が出たり隠れたり。

翌朝の空は一面の灰色で時折小さな雨粒が落ちていた。それでもコテージを出る頃には雲が薄くなり明るさを取り戻しており、琵琶湖さざなみ街道を走ると湖岸のパーキングはことごとく閉鎖され夏休み中といえ人々の姿は見ない。

長浜市南浜の鮎茶屋では活きている鮎の料理を楽しむ、周りを一面の稲穂に囲まれた瀟洒な造りの食事処で鮎と鰻や琵琶鱒等と川魚を主に戴けるものだ。ここでも感染禍の影響なのだろう客足は寂しいものでもあった。

食べることがサービス業という範疇となって久しいが、私の幼い頃は外食が特別なことを意味していたものだ。所謂ハレの日の出来事だったのです。考えてもみれば母は朝晩の食事はもとより、学校の弁当からおやつやお菓子まで作って、祝儀不祝儀の膳などまでが近所手を借りながら立ちまわっていたのを覚えている

そんな頃、我が国では「生きていくこと」を「食べていく」とも言っていたのです。そこに作法を感じるのです。料理の世界で半世紀を過ぎ、「手に職を付ければ一生食べて行ける」と言った月給取りであった父の言葉を想い出す。

新型ウイルス感染禍何かと問題視される行動ですが、密を避け手洗いやマスク等十分の注意しながらの小さな旅であった。地方へ行けばいくほど食べる事に従事していた方々も困窮している。生きとし生けるものに感謝しながら戴くのでした。





2021年 8 月   2 2
 日


自死の問題


人間は『自己である』という在り方以外存在の仕方をもたない。それ自体は事実に過ぎず価値ではないから善悪とは関係なく、自己を受容するか、或いは拒否するかという判断から善悪が発生するので、善悪の判断が決して先ではないし、又受容するか否かの判断の根拠を持たない。

老師(曹洞宗での)は「受け容れられるよう仕向ける」と述べられたが、受け容れなければならない理由もない。仕向けられたとして、その受け容れを決めた時、初めてそれが自己の倫理の基盤となると思う。

自己と云う様式(生きるスタイル)によって生きる存在は生きるか死ぬかを選べる存在であり、自死することも出来るのだ。それは事実であり、それ自体は善悪や価値とは全く関係はない。それが発生するのはこの選択の後であろう。

生を選択するというのは自己として存在することの受容であり、死を選ぶことはその拒否であろう。そしてこの選択には根拠を持たない。この根拠なき選択を賭けと言うなら、生に賭けるか否か、善悪の発生はこの賭けにあるだろう。

はなから自死を禁止する根拠は無い、自死に対して我々が出来る行為は自分に於いて「自ら自死を選択しない」、そして他人に対しては「自死を選択しないで欲しい」と願うだけである。。


自ら命を絶った人の数が昨年、11年ぶりに増加に転じた。新型コロナウイルス対策の緊急宣言が出た春ごろまでは前年を下回っていた。コロナ禍で何が起きているのか。専門家は「様々な事情で社会から取り残され、思い詰めてしまう人が、今後も増える恐れがある」と警鐘を鳴らす。
前から気になっていた恐れている問題がニュースの陰に隠れて私の耳に入ってきた。


私はこの数年来、事あるごとにこのブログの場所で問題意識の提言を記してきた。それらは『死の何故?』を根源としたもので、死への何故を思考する毎に私達は『生の疑問』に立ち返るのです。『死』の各々の問題に真剣に考え感じることが出来れば自ずと生きることの意味や根拠の基点が薄っすらとでも輝いてくると思われます。


新型ウイルス感染禍は二年を迎えます、死の淵を覗いた人々は一端は生に執着を見せたが、慣れとは怖いものでリアリティーを感じなくなると、その苦しみや辛さから逃避したり、誰かへと責任転嫁の言葉を浴びせるのだった。。超法規的な速さの医療は誰が見ても、何処から見ても前後や後先の問題はでてくるものなのに、やたら有名人や知識人と祭り上げられて喜んでいる人々が好き勝手な言葉を出している。
只管手洗いをしマスクをかけて、密集にならず密集を作らないことを個々に励むことだろう。幸い私達は全ての自由を失ってはいないのだから。

この数日、毎日二万人を超える感染者を出して留まることも見えて来ない、感染者総数は123万人を超え死者は15550人を数えている。しかし自死のニュースは日常茶飯事なのだろうニュースにも挙らず、コロナ禍の昨年だけでも21077名の尊い命が犠牲となっているのを貴方は知っていますか?今年のそれは昨年を超えるという…。

自己の中に両親の顔を想い、生きるに賭けて欲しいと望むのは私だけではないだろう。





2021年 8 月   16 
 日


解からないこと


「仏教とは無常を説くものである、つまり実存はすべて無常である。」すべての物体や環境、それを取り巻く関係は変化し続けるというのだ。
しかし、仏陀入滅後に出たアビダルマ、法華経、華厳経などを読むと「無常ではあるが、何かがある」ということになる。

諸行は無常である。つまり全ての実存は無常であると仏陀が説いたはずの仏教に何故ダルマ、仏性、唯識、浄土などの超越的な存在、或いは超越的な観念が後世になって論じられ加えられていったのか?

超越的な観念が仏教に入ってくると、元来仏教が説いた、この意味(無常)が変質してくるではないか?その変質はいつ起こったのか?それは神のような超越的存在を前提とするキリスト教やイスラム教といった他の宗教とかわらないのではないか?


梅雨末期のような降雨の仕方である、線状降水帯という近年聞かれる降雨は「命を守る行動を…」と気象庁予報官が声高に注意喚起するほどである。複数の積乱雲が次から次とやってくる集合体は、二昼夜も続けば河川は当然の如く氾濫し、山麓や丘陵地の則面は危険を帯びてくるのは必定である。

近江など歩いていて思うのだが、姉川、野洲川、犬上川等大きな河川は平常時には殆んど流れは無いのですが、こうした時は濁流となって氾濫の危険性があります。日頃から川底の浚渫(しゅんせつ)をし、その土砂を堤防強化に利用出来ないものだろうか?

我が国の自然は災害と表裏一体なのですから、常日頃の対策ひとつで変ろうというもの、まぁその昔は敢えて氾濫をむかえて土地の肥沃を喜んだものだそうですがね?


生きていると解からないことばかり、解かったところで詮無いことだろうが、その一日が納得出来るというもの。自然の不思議など解決の仕様がない、それでも人間は自然に抗(あらが)い続けるのだろう。




2021年 8 月   9 
 日


近々雑記


 you might think but today's at fish  こんな英語?をご存じですか。数十年前に見つけたこの乱暴な英語を訳しますと『言うまいと思えど今日の暑さかな』と成りますか?(笑)、暑い毎日が続きます。

例年にない梅雨入りの早さは、コロナ感染禍と東京オリンピックのドサクサに紛れ今だ梅雨明けを聞いていない。太平洋高気圧も威力を削がれて日本列島を覆うことも出来ていない状態は、列島各地のあちこちで寒気と暖気の喧嘩勃発!ゲリラ雷雨と言うのだそうだが、近年のそれは中途半端なものでもなく、地球規模的にみても恐ろしさを感じる程である。

私の幼い頃、夕方前の一雨は足下の温度を下げて、涼しい風とともに家の前に出した縁台に人々を誘っていたものだ。夕食後の一時、足下に添えた蚊取り線香は除虫菊の臭いを漂わせ、団扇の風が心地よくも、町内全体がゆったり進む時間に包まれていたのだろう。

ほんの50年、半世紀前というのにこうした変貌は何を意味とするのだろう。価値観という概念上の言葉なんて元来は意味など持ってはいないのだが。私の手元に平成六年発行の気象関係の書があり、それに拠れば「夏日」は一日の最高気温が25℃以上の日、「真夏日」は30℃以上の日、そして「熱帯夜」として一日の最低気温が25℃以上だった日の夜とあるが…。

日射病という名が熱中症とリアルな症状へと変化したのも納得できる熱さ?は、生きてゆく術と生活する歯車を変えた。

「追伸 8月12日」
( ここ数日、前線停滞による雨模様とか?場所によっては集中豪雨警報が出された。気象庁は梅雨末期の気象条件と言っていた??やっと梅雨明けなのだろうね。それとも秋雨前線かな? )


2020年東京オリンピックの二週間が一年の延期で無事終わった。それに付けてもこのオリンピックが教えてくれたものは何だったのだろう。開催を前にしてのいろいろなスキャンダルや戯言等などは、その噴出の仕様が現実を表わしているし、SNS等での言葉の暴力は如何にも現代的と言うのだろう。


一言、メディアはスポーツの精神面と感情論を重ね合わせ観客を高揚させようと必死で、選手も今やタレントと化し敗者を前にしての歓喜は果たしてスポーツと言えるのだろうかとさえ…無残である。勝者は飛び跳ね敗者はその場でしゃがみ込む、勝って涙を負けて涙に、いやその前に相手を見ての「お辞儀」があるだろう、それが最も大切な敬意である。

畳に色が付き、解かりやすいという理由で道着が色分け、技の無さをカバーするためのポイント制、挙句は肩襟取りから後ろ手に帯を持つなど単なる格闘技となった柔道も、結局は審判員の眼力不足と美への追求の無さに尽きる。

救いは、最後に見た空手形(かた)の勝者・喜友名諒の演武とその態度であった。言わずもがな!これが武道であろうと素人の私は思うのだった。
その証拠にメディアは彼を画面に引っ張ってこない!いやこれないのだ。武道家である彼を今のメディアは表現する精神と言葉を持っていないのだから。
演舞場から降りる愛弟子に頭を垂れて敬意をもって迎える師の姿に人の器量の雄大さを見た気がする。




2021年 8 月   2 
 日


自分が変る


私達人間は自らの体や生命(特に死)に付いて、全てが解からなさを持っている。しかし、近代の資本主義は全てをコントロールしたいという社会を形成して来ている。

あの3:11以降、異常気象や地殻変動という人間の力で制御できない状況の処に、人類の前にいや私達の現前に新型ウイルスが登場したのです。

それはどの様なウイルスなのか、無症状化で誰が感染していないのか、何時になったら収束するのだろうかと解からなさが立ち塞がって来た。

そのような解からなさの前で、集まるな、近づくな、触れ合うな、という(フィジカルディスタンス)を突きつけられ、身体性を自覚した人間がその身体性を補助するために科学を役立てる社会へ修正できるかという岐路に立たされたのである。


自然は然り、自分の体を見ている限り諸行無常。頭の中では「僕は僕」、でもどんどん変っていく。そこに死ぬのは必ず自分じゃない人。「死」は知り合いにしか起こらないのだ。だから「死」は常に二人称で自分の死とは関係ない。自分の死はないのだから。(自分の死は解からない)

親しい人が死ぬということは自分が変る。だから、変った自分が何を感じるかは解からない。それでいい、それが生きているという事でしょう。幾つもの人生を生きられるのだ。



数日来ウイルス感染者が全国で一万人を超している、関東地方には緊急事態宣言発令されている中、並行して東京オリンピックが開催、連日メダル獲得に沸いているのだから、解からない正体が本当は我が国だったりして…。

京都国立博物館での「京の国宝」展に行く予定が県を跨ぐ行動を慎んでくださいとのことで中止、残念ですなあ。




2021年 7 月  26 
 日


この夏の想い


新型ウイルス感染禍は沢山の犠牲者を出し辛い年となりました【合掌】。また近年の自然災害の猛威は筆舌を尽くしています。しかし、それでも暑い夏は眼前に存在しております、碧い空は真っ白な雲を浮かべ空として現成し、地上の蓮華は何もなかったように咲き揃って自然を謳歌するように美しい色彩と容姿を見せていた。(愛知県愛西市立田町)

夏を感じながら木曽川堤防へと車を走らせる。川岸に腰をおろすと養老山系から流れる川風が殊のほか心地よく、真夏の陽射しに体が喜んでいるのがわかる。火照った体は冷やしを求めて夜の名港トリトン(名古屋港横断高速道三高架橋)の下に居た。



         



         





2021年 7 月  25 
 日


三橋節子


画家三橋節子が私は好きだ、三橋節子に感動するのはその芸術と共にその人生である。彼女の芸術は彼女の人生と深く結びついて分離することはない。芸術に何より必要なのは精神性であると思うのだが、その精神性は作家の生き方とも深く関わっている。

現代芸術の形骸化は作品そのものが立派であれば良いという、作品主義とでもいう形式的な美しさを追求した結果であろう。現代社会の影響から、敢えて芸術と芸術家を分けて考えようとする分離には芸術家の自己欺瞞が隠れてはいないだろうか。

美しい心を持たない芸術家が美しい芸術品を果たして作ることが出来るのかと疑問はある。私は人間に、いや芸術家に単に品行方正を求めている訳ではなく、我々は必ずしも道徳的に完全ではないとも思うから。

時に芸術家は生に対する旺盛な好奇心はしばしば不徳をもってし、美徳より不徳の追求に酔うものであろう。しかし、芸術家はそうした不徳と苦悩の中にいたとしても、どこかで純潔性を保っているのであり、保たなくてはならないと思うのです。

人間の精神が日々に貧しく卑しくなる現代において、精神の存在を知らせる宗教家や哲学者が少なくなった昨今、芸術家もそれらを担わなければならない。

私が三橋節子の絵に深い感動を抱くのは彼女の絵に比類なき人間精神の美しさがにじみ出て、私達人間の在り方について深く考えさせるからだと思うのです。

琵琶湖伝説に託して描いた絵のテーマは愛と死である、死と直面した彼女は古くも且つ新しい芸術のそうしたテーマでもある。愛と死は即ち全ての芸術家が一生かかって追求している、古くて新しいテーマでもある。この愛と死こそ人間の精神の故郷であり、人間の精神性が内包されていると私は思う。

かつてこの愛と死を司るものは宗教家であった、人間が宗教を信じなくなった時、この愛と死の世界は失われ、人間により日々精神性を喪失させている。三橋節子(近江爺日記 4  2020年1月20日・三橋節子「花折峠」)の芸術は使命感など全く持たないで、そういう失われていた私達の故郷に私を連れ戻そうとするものである。

現代芸術は芸術家自身の在り方を問うこともなく、芸術品自身の形式的な美しさを追及してきたのだ。芸術家自身がどんな生き方をしても、作品自身が立派であればいいではないか。それが現代の常識とでもあるように。

でも、そうであろうか?軽薄で誠実さのない人間がはたして本当に高貴で深遠な芸術作品を作ることが出来るだろうか。芸術家の生き方が美しくなくして芸術品のみが美しいということがあるのだろうか。三橋節子『花折峠』『三井の晩鐘』の絵を見つめながら考えていた。

久方ぶりゆったりとした休日、お盆を前にしてお墓の掃除でもと思い立ち車を走らせた。両親の墓であるが我々子供世代が居なくなったら確実に無縁墓となるのは必定で、それも仕方のないことと思う。
生活形態が違い、生活地の多様化から墓地の存在は無力化するのも仕方のないことだろう、現にお盆休みとは名ばかりで夏季休暇の意味合いが強く、先祖なんぞ顧みることなく挙って旅行や趣味の時間に費やすことになっている。

薫煙の流れに眼をやりながら、、死者への想いをはしらせるのだった。




2021年 7 月  19 
 日


観音さま


観音さまとは、要するに自然宗教の生々しさを優美な衣で包んでくれる有り難い存在なのであろう。佛像作製や胎内信仰はそれらの持つ野生的エネルギーが仏教を消化し、大きく展開させたと言えるのではないだろうか。

我が国の思想が発展する為には神仏混淆は何としても必要な智慧だったのかも知れない。そうしたものが無かったら、日本の仏教は抽象的な学問に終わったかも知れないと聞く。
神の肉体に仏の精神を与えた、所謂本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)には私達が考えるような神秘性は無く、遥かに健康的でリアリティーを持っているように思うのです。

現在では観光化と済し崩された観音巡礼などはその最たるもので、元は村々に於ける神祭りの場を母体としてシャーマニズム儀礼の形をとっていたと考えられる芸能が神楽などに変遷し、聖地巡礼と昇華する段階で仏教が執り込んだリアリズムでもあるのでしょう。

西国三十三ヶ所観音巡礼は幸いにもこの地に近く存在し、私も十数ヶ所と訪れたことが有りますが、この数年は年に数回と奈良桜井聖林寺の観音様に会うことが私の巡礼となるやも知れません。

また、芸能はパフォーマンスアートと約されてますが、折しもオリンピックの代表選手の口から良いパフォーマンスを見ていただきます!なんて言葉が聞かれます。私などはそんな言葉遣いに違和感を覚えてしまうのです。

元来が正体の解からないウイルスへの対応は解かってきた事だけへの対応しか出来ないもの、事の成否や責任論へと追い込む我が国の自由という枠内での言葉は進歩への弊害でしかない。
物事は誰かの責任から発生するかのような過去の裁判例をみれば、ワクチンも治療薬も開発には時間がかかるというもの、他国からの調達には不利益や不都合が生じるのは自明の理であろう。

本日のニュースから、英国ではワクチン接種が国民6割終了し社会生活解除したとの報道、パブら飲食店、スポーツ試合会場で馬鹿騒ぎ、しかし感染者一日50000人死者24名という。概ね欧米は似たり寄ったり、英国約二倍の人口をもつ我が国は感染者2000人前後死者15名程となって感染拡大!と関東では緊急感染警戒発行という始末。且つワクチン接種率20%とという情況に政府・国民の考え方の相違が如実に現われている。


抜けるような青空が湖畔の宿に着くころには怪しい薄黒い雲があちこちに流れ出ていた。すっかり梅雨明けされるだろうと思ったが、いやいやこの雲行きならもう少し様子を見てからだろう。
夜空を眺めたいということで敢えて湖畔に宿をとってみたが、雲間から半月はのぞくものの、山の向こうでは時折閃光がはしる。食後の散歩も足早にやりすごすのだった。それにしても昨年三河の山中で眺めたきらびやかな夜空が忘れられない。
夜灯りに照らし出された蓮の花が凛とした寂しさを見せていた。



2021年 7 月  12 
 日


青山二郎


歴史は識(し)るのではなく、歴史から何を習うかであろう。小林秀雄、白洲正子、中原中也、河上徹太郎、三好達治、宇野千代、また大岡昇平、永井龍男、柳宗悦等多くの交友へ影響を与えた青山二郎は、現代私達が目にする名品はかつて彼が幾万の中からその一つ一つを掘り出し、発見したものと言っても過言ではないだろう。

『美は見、魂は聞き、不徳は語る』と言い、『一期一会』の千利休に青山二郎は基本的な視点を同じくしていたのでしょう。けだし、利休は誰にも理解されることなく命を落としたという事実。

日本民藝運動の設立に柳宗悦、浜田庄司と共に関わった青山二郎は『眼に見える言葉が書ならば、手に抱ける言葉が茶碗である』とこう残している。

青山二郎がが可愛がったという白洲正子の著作の中にこんな文章がある。

金持ちになった日本人は精神の時代だと余分なことを言っているが、相変わらず夢から一歩も出ていない。そのようなメタフィジックな物言いは誤魔化すのには誠に都合のいい言葉で、茶は「わび」の精神の陰に隠れ、能は「幽玄」の袖に姿をくらまし、花の先生は蜂みたいに花の心の中で甘い汁を吸う。
形が衰弱したからそういうところに逃げるので、逃げていることさえ気が付けないのだから始末に悪い、と。

こんな白洲の言葉にまして形骸化の細道を歩んでいる現代に、『日本の美を生きている』と言った青山二郎は何を思うのだろう。私にはメディアからの情報という名のもと、今片っ端から破壊されていくように思えて仕方がない。

私の一番好きな仏さま、奈良桜井市聖林寺の十一面観世音菩薩立像が東京国立博物館から奈良国立博物館へと巡回している。関東地方にお住いの方々には誠に結構なことでゆっくりと拝観して欲しいものだ。
以前ここで書いたのだが、美術関係の方々にはいろいろな視点観点から論議はあるのだろうが、あの廃仏毀釈の中にかろうじて永らえた美術品であることは確かなことで、幾万の方々が想いを馳せた仏像でもあることも今更書くこともないだろう。

因みに、私は博物館内拝観でもお数珠は持参していく、それは彫刻としての仏像はそれ以前に仏として崇拝されたものを観るからで、手を合わせたその隙間から仏の微笑が漏れてくるとは思いませんか。

時節柄控えていた旅も、ワクチン接種二回終了し二週間もすればと電車の旅を楽しみにしていたら何と観音様が出張中とは…。でも沢山の方々の目に触れることはとても嬉しいことで、仕方なく来年まで待つことにしよう。
唐招提寺御影堂襖絵東山魁夷の『山雲涛声』も同じく出張中、来年の楽しみでもある。

局所的な降雨、次から次にくる雨雲からの水は時に自然のしっぺ返しのようにとんでもない災害として起こる。結果的に解かることは自然への人間の仕業である事が多い。自然の動力は強大なもので人間のそれとは比較できないのに・・・。
景勝の地であること、裏返せば危険が潜む土地柄なのだということを知るに充分すぎる光景がテレビから流れるのを見た。

考えてもみれば一生かかって築き上げた資産や記憶を、いや人生までもが一瞬のうちに無くした方々の思いは如何ばかりであろう…(合掌)、諸行無常とは云え生きていると楽しいことばかりではないか。


名古屋市郊外常滑の地に用があって出かけた。我が国六古窯の一つで、今では街中の観光化に力をいれて休日ともなれば観光客、特に若い方が多く見られるようになっている。

時間をつくってふらりと散歩したが、この日は初夏を思うような陽射しの下すっかり額に汗をにじませることになって、偶然入ったカフェはゆったりとした一時を楽しむのに適したいい所であった。

店内を沢山の写真で飾ったギャラリー様で、ゆったりとクラシック音楽が流れいつしか額の汗もどこへやら…、気さくな店主に聞けばアンプ(ラックスマンL570)、スピーカー(タンノイ アーデンⅡ)ということで、1980年代の柔らかい超低域表現のアンプとイギリスバーミンガム郊外アーデン」の森の名を付けられたというスピーカーからはクラシックを聞くのならタンノイと改めて知った。


因みに名詞を頂いたから記しておきます、『sugi cafe』 photo&filmcamera gallery です。




2021年 7 月  5 
 日


自由


私達は一定の条件下、例えば習慣や制度といった下で生きていくしかありません、人間は社会的実存とも云えるのですから。それには確かに支配と束縛という一面的な部分はありますが、日常生活を維持する基本的なインフラとも云えるのです。

毎日の衣食住の調達や維持を支える秩序が安定しておればこそ、私達は自由に振る舞える訳です。一切何もかも任されて自由にして良いと言われたら、たちまち不自由になることでしょう。結局は自由と秩序は矛盾に満ちた共存関係に留まる他ありませんね。

お金と云うアイテムに因って、自分の好きなように出来ることを自由と勘違いしてる方々を私は沢山知っています。けれども、私達は働いて金銭を得ないと生活も立ち行きません。私達が求めた自由とは一体何だったのでしょうか?

要は、その社会的実存を何で支えているか!による問題となるのでしょう。


もう半年を過ぎて、新型ウイルス感染禍はワクチン接種という元来が異様に早い処置情況は一喜一憂の状態である。昨年の今頃はとみれば緊張感に包まれた日々の中、感染が「死」へと直結するほど恐れられてもいた。

此処へ来て、高齢者接種や職域接種など順調すぎる経過を辿って、どうも供給が間に合わないような気配とあちこちから不満気味な声も。製造、治験もできない我国は他人任せな供給に文句は言えないのだが、なにせこの頃の大人は看却下が出来ぬものだから…。

二週間もすればオリンピックが開催される、この期に及んで懸命に進行や処遇に精出している人がいるだろうに、何処もそこに眼点は行かない。テレビを付ければオリンピックは映るだろうし、金メダルを取れば「それ感動だ!」と騒ぐのだろう。パンデミックの最中ならば、慎ましやかで静かなオリンピックもあっていい。

友人の「廻る寿司が食べたい!」という言葉と、ワクチン接種後という不埒な安心感もあってか仲間を誘って出かけてみると、お昼というのに客足が悪い。平日の雨と云うこともあるのだろうか?それにしても外食産業は何かと大変でもあることだろう。
私はこの一年半、努めて平常な日々をと過ごしてきた。旅行も、食事、買い物、古書店めぐりも出歩いて来た、唯生きていく事の緊張感だけは持ってはいたものの、「感染=死」という解からないものへの不安も人生の部分であると感じながらも、ワクチン接種後の安堵感だけは流石に平常下の生きることが他者に寄りかかってと感謝を感じたことはない。




2021年 6 月  28 
 日


平等の虚構


夫婦別姓を認めない民法の規定ついて、我が国最高裁判所大法廷は23日、6年前に続き憲法違反にあたらないとの判断をしめした。民法は憲法の個人とし尊重されるという考え方を具現化したもの、即ち民法の規定は合憲であると判断している。

氏制度のあり方については選択的夫婦別姓をめぐりいろいろと議論されているらしい…?と言うのも、、私が議論や討論を聞くのもこうした裁判判決が出る一時だけで、常時メディアから流れているとは思っていないからだ。それでも与党内で改正案は出来ているが、根本的な問題意識の違いにより国会へは未提出の状態である。


早速、反対政党が国会で議論をして欲しいとか(賛否両政党の問題)、時代の趨勢に逆らっている(時代の問題)、挙句に裁判官の過半数が女性だったら?という、識者と云われるSNS発信の言葉にあらぬ方向へ問題転嫁となる。何が問題で何故変えなければいけないのか。


社会でバリバリと働くキャリア女性や、進歩的思考の女性等から時折洩れる専業主婦は働いていない、とも採れる言葉はことの本質から乖離しているとしか思えない。女性全員が外で働いていないといけないのか、専業主婦は働いていないのではなく、夫婦共に外で就業することを「共働き」という言葉の使い方がおかしい、それは「共稼ぎ」です。
サッカー等スポーツではフォワードやオフェンスばかりではゲームは出来ません、誰かがバックスやディフェンスをしなけねばなりません。そこには平等・不平等の考え方は存在しないのです。


我が国には、押し並べてローラーで踏み均(なら)した様な平等など必要ないという在り様が存在していました。

残念ですが人生に平等はありませんし、格差は生じるでしょう。同一な条件下での競技なら不公平は避けられる方法もあるでしょうが、それにしても個人の能力差や其々の環境下では不可能なのです。元来の本質的平等は実現不可能なのであって、だから人と人が共に支えあい、助け合う社会やコミュニティーが生まれたのです。

誰の力も借りず、個人が一人自分の足だけで立つことが自立と考えるなら、それは大きな間違いです。自立ではなくそれこそが「孤立」だからです。


薄い雲はまるで垂れ絹を下ろすように漂う、夜の帳(とばり)が下りる頃とはこのような時間帯とでも云うのあろうか…。何時降られてもおかしくない天気は、南からの生温かい湿気をもちながらもかろうじて免れていた。細波の音は食事に潤いを与えていながら、時間の経過を感じさせない。

若者が大きな岩の上に立ってポージングしている、青春は恥ずかしささえ蹴散らせて行く。羨ましさと懐古する感情の交差の中でそんな彼らを眺めて時間を共有するのだった。

海辺のホテルは非日常でもある。深夜対岸の灯りを眺めながら・・・。




2021年 6 月  21 
 日


雑記


伝統は元来非合理的なものであり、不自由なものでもある。これを支えているのは宗教観と歴史観の他にはありえない。
我々日本人は祖先崇拝の中に宗教と歴史の一致をみるものであるから、伝統を支えてきた力は、日本人の祖先崇拝だったということができよう。

宗教は原理的に人間やその集団が作る社会のあり様をそのまま肯定することはありません。別の次元に価値の体系(悟り、極楽、往生、最後の審判や天国)といった設定をするからこそ宗教たりえる訳です。

すると、人間が暮らしを営む社会的現実とはどう関係することになるでしょう。その社会の秩序や道徳との折り合いをつけることでしょう。

絶対神は「絶対」であるから故に人間の社会で通用している善意や秩序を超越することになります。つまり、人間が理解する善意の区別は神には無意味だという事ですね。

仏教の場合もニルヴァーナ(涅槃)に善意はありません。「諸行無常」の教説が善悪を区別する確実な基準を維持する訳がありません。

聖俗二元論という、俗(社会的現実という俗たる部分)への追従や、宗教の聖たる領域(宗教の教説、価値観)が毎日の生活は社会のルールや秩序に従えば良い。結果的には俗を丸ごと黙認してしまう教え方である。これは事実上宗教の自己否定となってしまっている。

聖が俗を自らの価値体系に合わせて徹底的に改造しようというアイディア(俗の改造・原理主義)は地上に天国を造ろうという妄想なのです。

聖の役割は俗に対して、それとは別の考え方あり得る、それとは別の生き方があり得ると提示することと考えます。即ち根本的な批判精神ということです。

批判は否定ではなく、相手の存在を前提としてその在り方を問い続けることなのです、聖と俗の矛盾に耐えることとなりましょうか…。


新型ウイルスのワクチン接種について悩んでいると東京の娘から話があった。二年前乳がん手術をした娘はその免疫治療のために余儀なくされてもいる。若い人の中には其々に迷っているのも理解できる。
生きるに賭ける以上、他者との関係で自己があるのなら接種も他者のためとする他ないのだろう。マスクも三密回避も同じようにそれらの行為は全てが他者の為であるのだろう。

今年は杜若(かきつばた)を見ることを逸してしまった、公園の周りは瑞々しく紫陽花が輝いて見える。早い梅雨入りが此処に来て爽やかな青空が覗く日々が数日続いている。友人O君が寸暇を惜しむように菜園の手入れに汗しているのが羨ましい。

ワクチン接種が早まっており、ひと月後に迫ったオリンピックが騒がれ始めた。緊急事態宣言も回避され注意喚起だけと周囲は動き始めているようである。この日私は二度目のワクチン接種を打ち終えた。





2021年 6 月  14 
 日


想い出の欠けた日


伊勢湾に吹き込む暖かい南の風は同時に湿気を抱き込みこの地方へと注ぎ込む、八月に入って湿々とした重たい空気は都会の中で特有のジメッとして生温かい空気へと変質する。昭和63年(1988)、三十数年前そんな蒸し暑い夏もやっと過ぎ去ろうという時、私には忘れられない出来事が起こった。

その日いつもの様に開店準備を終え、お客様を迎えていつもの様に料理を作りながら接客していた。独立し居酒屋を開いて10年も過ぎた時で、やっと軌道にのりはじめた頃でもあり、不惑の歳を迎え仕事が楽しいときでもあり、家族への責任が重くのしかかってもいた。

入口の開き戸が開いて手招きする人がいた!『「みーこ」が救急車で運ばれた…』何気ない時間が一瞬にして飛んだ!
私は青春時代時間を共にした数人の仲間がいた。彼女はそんな中の同年の友だちで、時に夜通して街中を歩きながら遊び呆け、思い立てば直ぐに海へと走った、友人に借りたスカイライン2000GTRで幾度と京都まで走ったりしたものだ。

若い頃は誰しもがお金のない時で何処へ遊びに行っても昼はパン一つで済ませていたもの、それでも楽しかったのだ。若さは時に気性が荒削りで、喧嘩しながらそれでも何か気が合っていた。

「みーこ」が結婚しても何故か私は一緒に晩御飯を食べたり、風呂に入っては自分のアパートに帰っていた。休日には三人と犬一匹でよくドライブに出かけていたものだ。私も結婚し、亭主の転勤で彼女は他県へ、いつしか数年が過ぎ去っていた。

数年ぶり帰って来た彼女は二女のお母さんになって忙しく働いており、そんな日々が一年も続いた頃でもあった。
店を早急に閉め、駈けつけた病院の集中治療室には何やら仰々しい機器に囲まれ、酸素マスクをかけて彼女は眠っているようだった。くも膜下出血という事で様子を見てるということだ。

二日後様子を見るため病院に行くも進展はなく、どうも良くないと医者の言葉に自分の体が硬直していくようでもあった。
数日後再度彼女の元に行く、何気なく手を握りながら耳元で「みーこ!」と声をかけてみた。彼女は確かに握り返した、それは僅かではあったけど私には返事のように生きている力を感じた、が…。

二週間病院のベッドに伏せ彼女は身罷(みまか)った。40年、何という短い人生であったのか、それは私の青春の一片が欠けた時でもある。想い出なんて相手が居てこそで、一人思い出してみたところで懐かしさの強度も感じない。

あろう事かその十年後、そんな仲間の一人内藤君が胃癌を患い走るように亡くなってしまった。その年に私も心疾患を発症し以後七度手術しているのだが、あれから二十数年と生を享受している。

人は亡くなると死体・死人というモノとなる、葬儀を行なうことで関係の裏打ちを仕直すことが遺体へと呼称を変化させ、そして葬送する瞬間にモノは死者となって各々に帰って来るのだ。死者はリアリティーも持って存在するのです。
これまで何十人の人達を見送ったことだろうか…、でも其々に私の内には死者として存在しているのですから。

私達其々に死の淵を垣間見たコロナ禍で私は「ご縁」という関係性について考えていた。


「ワクチン接種予約業務の悲鳴」とSNSニュースが伝えていた。コールセンターへのアクセス集中で「高齢者から罵声を浴びせられている」というもの。地域接種を早々に確保した人達の個別接種に変更後の無断キャンセルも酷いそうだ。
高齢者先行でその範を示さなければいけない立場であるのに…。

根本的に自然という解からないモノの正体に我々は経験値を持っていない、それは地域差や国民性など対処は違ってくるものの、そこでの比較論には何の意味もななる。それこそ民主主義は我々が選んだ生活様式であろう。民主主義は私権の発揮ではなく、私権の責任から始まる。

言いたいことが何でも言える社会に住むことは、実に辛いことでもあるのです。




2021年 6 月   7 
 日


種の保存


モノの美しさは、私達が見て、感じることによって成り立つものである。予め美が存在するのではない。そこに有名な観光地がある、博物館に名の知れた絵画が来た、立派な古寺院がある、古代の茶碗がある、しかしながらそこに美はない。
人とモノとの関係において美が生成されるのです。その意味では『美』とは客観的なものでもあり、つまり美が心理的或いは社会的な現象として実在すると考えられる。

美学という学問は美の本質や構造について問う、そこでは美が主観的なものとして哲学的に思索し、同時に客観的なものとして科学的な考慮も必要とするだろう。

雄大な風景を眺め素晴らしい芸術に接した時などに、私達はそこに感動を覚えます。それは心地よい連想を呼び、心の安寧を覚える時、美観にひたっているといえる。それは私達が無意識的に遠い先祖から受け継いだ遺伝的真理に支配されて、来たことでもある。日本人の永い歴史の過程の中で培われてきた心でもあろう。


過日読んだ古代史の本では

『山梨県御所前遺跡出土の「お産土器」と呼ばれる大型深鉢には胴の部分に人体の手足らしき触手状の帯が連なり、両端に赤子を思わせる丸い人面が覗いている。
一つある取っ手下には母親らしき人面が付けられ、裏にある目玉状の一つが渦巻きになっているのは陣痛を表わすと云う。

何かを訴えるような物語的表現で、貯蔵された穀物が豊かな実りをもたらすようにと願いを込めた呪術なのだろうか。
東南アジアや南太平洋島々などの住民の生活の中で土器造りは現在も女性の手に委ねられています。

縄文土器の作り手も或いは女性であったかもしれない?これらの生命感に満ちた造型が女性の手仕事から生まれた可能性は隠せない。これは人間存在の根底に繋がるものでもある。』


LGBTの問題で法案の国会提出が出来ない中で出てきた言葉『種の保存』こそ根源的な問題なのです、人として避けられない問題提起で、人類は無意識の内に生活構造に繰り込んで来たのです。

文化・文明とか言いますが、インテリジェンスだけの問題だけではないのです。私達の生活自体に存在という形の継続には結果的に抗えないのです。

保守的であるというだけの問題ではなく、時代変遷の中変えていけないものや変えられないものがあるのが時代なのです。歴史から学ぶものがあるとするならそれが教養と考えますし、種の保存なくして歴史はありえないのです。
多様性の時代という言葉を乱暴に使用する現代人が陥る落とし穴、この問題に私は私権主張と人権主張の決定的な相違から来ると思えるのです。

自己や私は他者との関係から起動する存在で、それ自体では何の意味も根拠もないのです。そうした理由から私権は他者に優先しないのです。

ワクチン接種一回目を終え一週間経過して、指たる異常も感じなく平穏に済みました。メディアは又も接種後の異常者の症状を取り上げ、納得する症状やその処置、如何ほどの観察経過なのかも説明せず、不安を煽るように報道する。
異常物質が体内に侵入してくる対抗反応としての痛みや発熱という、何故に説明すらしない。

恵那山の麓、鄙にある宿の湯につかりながらのんびりと考える時間を得ました。蕭々(しょうしょう)とした風は季節の移ろいに酔わせ、自然の優しさと美しさを先ずは感じるのです。

この月内には友人達も二回の接種を打ち終えるだろう、久方ぶりな散策の計画に今から楽しみである、しかし感染の注意も怠りなくは当分続くのだろう。




2021年 5 月  30
 日


新型ウイルスワクチン接種後


新型ウイルス感染は改めて私達の無力さを教えてくれました。ウイルスは猖獗(しょうけつ)を極めていますし、我が国の医療は限界・崩壊へと進みつつあり、ワクチン接種もやっと動き出して進捗(しんちょく)は同時並行の形を迎えている状況で,、其々に沢山の方々が刻苦されております。
しかし、予断することない今後のウイルスの変質は従来の私達の個人的予防も困難となるやも知れぬと心配です。

そうした無力感を覆い払うに出来ることは多くはないと思います。でもなお一つだけでも探してみることにしました。

それは、生きていく上で、自分にとって何が本当に大切なのか、また誰が一番大事なのかをしっかりと考えることでしょう。要はこうしたことを考えることが、自分が誰と共有したいのかを考えることであり、仏教的に謂えばその事が「ご縁」の在り様であり、生きることのリアルな意味なのでしょう。
(因みに、「ご縁」を一般的な言葉に置き換えると「関係」という言葉になるかとも思いますので。)

様々な心配の在ることは私も同様ではないかと思います、しかしどうか一瞬でも心静かにご縁に思いを馳せてみませんか、ひょっとしたら静謐(せいひつ)な時間を持つことになりはしませんか?

梅雨の間のお陽さまを見て、この時ぞとばかり全て部屋の窓を開け風を入れてみた。汗と息と生活を含んだじっとりした澱みは一瞬にして失われ、公園からの子供達の声と共に優しい緑葉の風となって私を楽しい気分としてくれた。

日曜日の夜、テレビでは「東大寺・修二会」を放送していました。連綿と続けられてきた1300年の歴(ふ)が危機となる今年を必死の努力で満行された連行衆を映したものです。
一昨年に続き昨年も予定していた二月堂行きは感染禍で急遽中止となり、今年はどうされたか心配していたのだが、細心の注意で挙行されていたのだ。元来が疫病降魔と悔過(けか)の法要であるから必要性はあった。

考えてもみれば、東大寺だって法隆寺や薬師寺だって国宝でもなんでもなく、その時生きていた人々の如何様にもならない苦しみの中で造られた心の造形物でしかないのだから。
東大寺の十一面観音も聖林寺の十一面観音も、薬師寺の薬師如来も現在に謂うところのお医者様だって言うことです。

解からないことでの拠りどころは祈りしかないのですから、それは今も昔も。



2021年 5 月  24
 日


雑記近況


新型ウイルスの変化により感染が蔓延して医療機関が逼迫を示してきた。医療がこんなに脆弱とは想像もしていなかったし、いや我が国はその先端を行っていたと横柄に考えてもいた。内視鏡手術支援ロボットダヴィンチや、神の手をもつドクター等とその一面でしか知らされていなかった所以でもある。

ここに至ってワクチン接種が広範囲に行なわれているようだ。勿論接種が全てではない事も承知ではあるが、少なくとも現状は回生されると思う。予約受付を開始するやいなやアクセス集中により老人はパニック!幸いにWEBで集団接種を予約するも二月以上後日であった。

数日前、その後ワクチン接種状況はどうか?などと検索していたら、何と近在の民間クリニック接種(個別接種)まで来ていたので、急遽二回の接種を予約することにした。来月半ばには接種を終える段階にまで来たのも関係者の努力でもあろう。友人O君、Hさんもほぼ同時期に接種するそうな!関係者の努力に感謝であろう。

其れに付けても政治の機動は遅く、政治家という世界観の渦中で主張するだけの集団に見えて仕方がない。政治の役割はある考え方に対して、別な考え方があり得ると提示することである。即ち根本的な批判精神であろう。

批判は否定ではなく、相手の存在を前提にそのあり方を問い続けることです。現実と理想との矛盾に耐えることである。

考えてもみれば、我が国に新型ウイルスが感染したのは昨年初め、僅か一年半前であるのだ。この進捗状況は何ものか解からない中で超法規的とも思えるワクチン接種でひとまずは落ち着くのであろう。

問題はこの期間で我々は何を学んだかという事です。何を感じたかという事です。何度も聞いた言葉に「この有事」がありますが、自然のなすことに「有事」とは全く理解を越すもので、解からないことの本質を求めようとしない論客?の如何に多いことか。

私も接種後、旅の空のもとじっくり考えることにしよう。






2021年 5 月  17
 日


対話と愛情


コロナ禍の現代社会、これまで以上に殺伐とした社会と感じるのは私だけではないだろう。人々が自分の言葉を失い対話を失ってしまった。対話を失なったということは、他者への愛する能力を失した事とも代替する。無論私には愛がある、愛する人がいると開き直る方々が在るかもしれない。

けれど、真に愛していたら彼女はどんなに貧しい生活も耐え、例え固い床に寝かされても不平を言わず、それでもってしても充実しきった幸福でいることが出来るのに…。

昨今では、柔らかく暖かいベッドをやたら欲しがり、家庭には電化製品や豪華家具で家の中をいっぱいにしたがるのは物質的な生活を愛しているのであって、決して彼を愛しているのではない。その証拠にどんなデラックスなベッドに寝ても、どんなに高価な買い物をしても、愛情を満たされた感覚になることもない。肉体でさえ愛の形式であって、形式だけでは幸福にはなれない。愛していると言いながら、如何に愛に飢えた人が多いことか。

それを理解したのは沢山の古仏を観た経験からであった。

古仏は善良で清浄な人々によって作られてきたという勝手な思い込みを破棄し、いやむしろ汚れ果て涙にまみれ、罪の重さによろめく人々が、すがり付くような思いで彫らせた物だったのです。それは全ての人間が幸福だったら仏は不必要であることからも謂える。

古仏は制作者の魂そのものを形にして見せている、具象化である。だから私達は仏像の言葉を直接的に聞きとり、飢え、傷ついた魂に深々と染みとおらせることが出来るのです。

こうした古仏を通しての対話こそが、実は愛情と苦悩のための対話であった。それは制作者にとっても純粋で、直接的な対話と共に刻む仏像であった為に、一鑿(のみ)ごと、一彫りごと、一削りごとに仏の御名を称え、しかも礼拝して彫ったであろう、自ずから限りなく聖なるもので精神的なものになってきた。

私たちは仏像に精神を高められ、そして美を観るに至ることだろう。愛情を具象しているものと観ることが古仏でもあった
のです。

既に私は以下のことを学んできた。国宝の仏像といえば「モノ」と対象して考えやすいが、近代主義的美学の残した悪いところであり。元来が単に観るため造られただけの仏像など人類史上ありえないのです


それは死者達への祭儀のため、また祈りや生活の高まりのためにあった。人々はただ仏像を拝するためでなく、日夜救いを心の内に思い描き、思いを果たすため聖地を訪れ、自らの歩みと祈りという行のうちに体現したのだろう。


人々はそこに「モノ」を求めて行ったのではなく、聖なる空間での稀有な出会いを求めて行ったのである。その体現の内にこそ信と美があるだろう。具象化する愛もそこに立っており対話できることを。

木喰上人が彫りあげたという、友人O君に似るこの微笑仏を知ってからはいっそう対話することが出来そうでもある、が、悲しいかなこれまで拝顔する機会に恵まれない。況してや感染禍では探し求めるも難しいのが而今(にこん・じこん)。



瀟々(しょうしょう)とした雨の中、水平線も薄っすらと靄(もや)に消えて小さく波音だけが海と教える。一隻の屏風に幽邃ゆうすい)な美を観ているようだった。それは長谷川等伯松林図屏風の絵ほどに立体的で衝動的な一瞬であった。

伊勢湾を眺めるいつもの定宿は平日という事もあって静寂を保つ、だがここに静謐と書きたがったのだが新型ウイルス感染禍なのが悔しい。
目の前で獲れたばかりの海鮮料理を前にして、先々週書いた「食の行為」についての小文が頭をよぎるのだった。相も変らず宿の料理は多く全てを食べることは無理で、わたり蟹一杯を残してしまった。イヤぁ~今になって残念。

ひと月後ワクチン接種が出来ます、続いて三週間を空けて二度目の接種、少し時間をおいて八月になれば何とか行動範囲が広がるかと思う。比叡山延暦寺横川飯室谷長寿院藤波源信阿闍梨さんと奈良桜井市聖林寺の十一面聖観音像に会いに行こう。




2021年 5 月  10
 日


安全性


電気を直接的、間接的にも享受した(している)私達は結果的に責任を取らざるを得ないと思う。巷間云われる安全性を担保しないと受け入れないという論理は何かが何処かがおかしいとは考えませんか?

論理的すり替えと云われるかも知れないが、車社会での生産、運転という問題はどんなにロボット化・AI化が先進しても、我々に完全な安全をもたらすのだろうか?経験的に機械は故障・劣化・使用上の不都合や、基本的には電気も使用しない生産等ありえないことに帰趨する。

新型ウイルス感染禍の中、幸いにもワクチン接種日が決まった。巷間謂われる遅延の問題は元来がワクチン製造実用化を超法規的処置の結果であって一年半という時間での接種に感謝しなけねばいけないだろう。
それでも市井の中にはワクチン接種の安全性に戸惑う方もおられたり、接種順位や時期にクレームをつけるのもいるのが悲しい。
何と言ったってこれが現実だし、今だ正体の分からない感染禍に解かったことはワクチン接種が可能性としてあるだけ。。

そもそも安全性とはある物事についての安全(リスクが許容可能な水準に抑えられている状態)の度合いのことで、換言すれば安全とは事故・災害・犯罪などの危害に対して個人や一般社会が許容できる限度に抑えられている状態である。
安全とはリスクが存在する前提でもあるのだ。人間が自然の一部としたら抗えない問題でもある、何故なら自然とは不条理で予測不能でもあるから。

そうなると、安全性は危機意識の持続性ということになる。要は日頃からの注意ということで、そこには私達も自然の一員でもあり、何があっても不思議ではなく、諸行は無常であると知る事かもしれない。

街をゆけば、歩行者はずーっとスマホに目をやり、交差点の運転者もスマホに手をやる、自転車は平気で信号無視することも日常茶飯事。車の運転免許取得後半世紀以上になるが幸いにも事故の経験がないのは不思議といえる時代。
眼前の危機など存在しないと思ってか人々は自由に行動している。災害にあったり事故などしても誰かの責任へ転嫁するのは目に見えている。

先日の裁判例、自分の母親を老人施設に預け、その母親が饅頭を盗み喰いして喉に詰まらせ死亡、施設従業員の管理不足で有罪、罰金数千万円!何かがオカシイ。




2021年 5 月  2
 日


食の行為


禅の修行者がその食に対する態度はどこであろうか!道元禅師は食(作ること食べること)の行為を重要視していた。
私が通った比叡山無動寺谷明王堂下法曼院の御斎(おとき・昼食)では食前に偈を唱えていた。所謂『五観の偈』である。
中国唐期南山律宗の僧・道宣が著した「四文律行鈔」中の観文を僧俗のため約したものとして知られる。我が国では道元の典座教訓「赴粥飯法」(てんぞきょうくん・ふしゅくはんぽう)内にて引用され、人口に膾炙されている。これは道徳的普遍性に優れた文章ということで、禅に限らず他宗や多くの分野に開陳されている。

偈文(げもん)

1、計功多少量彼来処
    功の多少を計(はか)り、彼の来処(らいしょ)を量(はか)

2、忖己得行全缺應供
    己(おの)が徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず

3、防心離過貪等為宗
    心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗とす

4、正事良薬為療形枯
    正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり

5、為成道故今受此食
    成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く


偈文を和訳してみましょう。

1、この食事がどうして出来たかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝する。
2、自分の行いがこの食を頂くに価するものであるかどうかを反省する。
3、心を正しく保ち、誤った行いを避けるために貪など三つの過ちをもたないことを誓う。
4、食とは良薬なのであり、身体を養い正しい健康を得るために頂くのです。

それにしても命を戴きながら、何故なのかという問題は残るのです。
5、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためなのです。と、自らの主体性(生き方)にと結んでいる。

「飽食の時代」と言われて久しく、ニュースキャスターがコンビニの食品ロスを伝えているその裏の局では、大盛りや極辛の番組が平然と流れる。全ての局が日々食べ物の特集を組んでいるのも考えてもみればおかしな話で、時に料理人が鉄人だなど異名を付けられ、どこかがおかしい!

食事(エッセイⅡ・「心とは」参照)という味わいを楽しむことに何を基準としてランク付けして喜ぶそんな風潮は、彼此半世紀以上、料理に携わる者として生きてきた私には理解できない。昔人が暮らしていくことを食べていくと言っていた頃をふっと想いだす。
生活の中に食べることが在る、生きていくことの中に食べることが在る。それが他者の幸福の為そして自己の存在(エッセイⅡ・「作法」参照)になるならましてや良いことだろう。

新型感染ウイルスの感染禍で私も今週は連休である。何時しかこんな情況を振り返って笑い会えればいいのだが。



2021年 4 月  25
 日


この頃


世間が一般的知識として宗教を求めるとしたらどんな場合でしょうかね?

早速思いつくのは「初詣や合格祈願で神社仏閣に参詣すること」や「お葬式や法事でお坊様に来て貰うこと」など、そんな辺りでしょう。
でもこれは宗教というよりは、信心とか或いは習俗、習慣等という話となるかもしれません。望まれているのは「当たる、当たらない」位の現世ご利益ではないだろうか。

しかし、宗教ではこのレベルとは別な話でしょう、次に出てくる問題は自分や人間の能力では解決の着けようがない苦しみや悩みから救ってほしいという願望ではないだろうか。

一般的にイメージする宗教が現われてくるのはこうした局面ですね。例えば、それは霊感商法などが云われ始める局面です。手をかざせば痛みが治る、お札を買ったら金運が付く、祈祷すればいい話が来る等などです。

つまり貧困や病苦、金銭の問題、人間関係、そして近年に至っては老いが入ってくるでしょう。しかし、実際にこれらは宗教問題では無いのでは?、思考・思想という行為がそこに在るのです。

そのような問題の幾つかを複合的に抱えているのが現代人なのかもしれません、それは何故なのか?況してや近年の新型ウイルス感染問題はもしかすると死と直結するほどと思われるからです。


二月近くとなるが、やっとワクチン接種日も決まっていやはやこの二月をどの様に過ごすのかも不安になる始末。正しく恐れることの難しさ、世情を見ればストレスなんていう無意味な言葉の裏で人混みが出来ている。
昨年の五月、同じ連休でも一斉に閉じこもった街とは違った風景が何を語っているのだろう。


皐月の風を部屋に入れるのが殊のほか気分が優れ、のんびりとした休日は久方ぶり。読む本も少なくなり昼食の帰り道いつもの古書店を覗くと読みたい本が沢山入っていた。

私のお小遣いで購入できるのは月に数冊、宝くじでも当たって気兼ねなく本が購入できれば…等と宝くじの購入もしないで!人間なんてつまらない事に欲望があるものです。




2021年 4 月  21
 日


マスクと手洗い


道元著『正法眼蔵』には一般には思想や哲学を説くという書物と解されていますが、歯磨きから洗面、風呂の入り方、果ては排便の仕方をテーマに開陳されています。そこではそうした行為の理由たる浄・不浄即ち清潔か不潔、又は綺麗か汚いかの区別を巡って議論が展開されております。

一般的に考えれば汚れを除き身ぎれいになる為に人は洗う訳です、つまり不浄・不潔を嫌い、浄であり清潔な我が身を確保しようとします。しかし一切は無常で無我だとする仏教的立場の人は時にその浄・不浄の区別を批判するのです。

要は、そのような区別に根拠も実体もなく、やたら不浄を嫌い、浄にも拘るのは無知からくる煩悩なのだと主張するのです。元来が体の表面、肌一枚洗ったところで、その下はどうなのか?洗わなくても良いのか?、更に云うと洗う水の浄・不浄は問わなくても良いのか。結局は浄も不浄も空(くう)、浄・不浄の区別など妄想に過ぎないと云うのだ。

そこに道元禅師ははっきりと以上の考えを否定しているのです。議論の要は、我々が常識的に持っている浄・不浄の概念的区別には根拠もなく、正に空であると認めた上で、なほ修行僧は作法通りに髪を剃り、洗顔し、入浴排泄すべきであると考えてるところです。

換言すれば、汚いものを洗って綺麗にするのではなく、洗う行為とその方法が綺麗か汚いのかの意味を決めるのだということです。


水が本来清浄だといえるか、或いはもともと不浄であろうか。清浄・不浄かはその水を何処から持ってきたかによって清浄になるとも、不浄になるとも言えない。禅師は諸仏諸祖が伝えてきた仏法の修行と仏祖の修証を引き継ぎ護る時、そこに水を用いて洗い清め、水をもって身を浄めるという仏法があるという。

そこに日常の概念で理解している浄を超越し、不浄も脱却し浄でも不浄でもないという判断も脱落しなければならない。
これは一切が空だから浄・不浄はない、洗う必要はどこにもないという態度の否定である。しかし、浄も不浄もないに拘わらず、あえて洗うのが仏法の修行僧といえるのでしょう。


そこで仏法を縁起の教えと考えるなら、

縁起の教えの核心に「他者に課された自己」「他者を根拠とする自己」を見るなら汚れていようがいまいが、そんな判断とは無関係に身を浄め清潔を保つのは、自らが相対する他者への敬意であり、それを根拠とする自己の存在への敬意でしょう。
そんな縁起的考えを尊重し、ただ洗う時そこに仏教の浄・不浄が現成するのです。


今日的に考えれば、マスクし手洗いしても、外出や移動を自粛しても、ウイルスに感染する時はするでしょう。しかし、それでもマスクをし手洗いするのは、自分の安全(浄)だけを確保するのではなく、まずは他者に感染させない為だと思うことこそ縁起の教えの実践であろうと考えています。





2021年 4 月  18
 日


雑記


「霜止出苗(そうししゅつびょう)」を置いた七十二候の設定は温暖化が進む以前は結構正確だったようで、明治から大正・昭和の初めにかけての終霜は四月中の年が多く、晩春には冬の名残である霜はなくなり、近づく「立夏」つまり夏の到来に向けて春に目覚めた生き物たちも本格的な活動へ入ると謂われます。

過日仲間と訪れた湖北湖岸沿いにある道の駅「湖北水鳥ステーション」の天井片隅には営巣に勤しむツバメの俊敏な滑空に久方ぶりな自然の蠢動を感じました。

「鳴鳩払其羽・(めいきゅうそのはねをはらう)」とも耳に致しますが、この鳴鳩とはカッコウ(郭公)であると聞きますし、駘蕩とした山懐や山麓では緑葉樹の小枝に足をかけて鳴くカッコウに初夏を思うのです。

さて月が替わって、五月皐月の御菓子としてお茶席にあがる柏餅(かしわもち)は私の好物でもあるのですが、古代斑鳩の地には在地豪族の平群臣(へぐりのおみ)氏と共に膳臣(かしはでのおみ)氏が開明的な国際派として聖徳太子の政治や外交、そして文化的姿勢を支えていた地域豪族が居ました。

史上では膳臣氏を天皇の食膳を司る氏族と解されていましたが、他説にカシハデは柏手に他ならず、柏の葉の先がいくつにも分かれることから柏の葉をカシハデと呼び、葉守りの神が宿るとされ神に捧げられた霊木であろうと考えられ、その信仰はユーラシアの彼方から北方遊牧騎馬民族と共に我が国へと伝来されたであろうと謂われます。

その柏の葉に食物を盛ることからカシハデに膳という漢語が後刻充てられたであろう、私の母は湯で練った米粉で小豆の餡子を包み込み、柏の葉で巻き蒸して香り付けした柏餅(かしわもち)をこの季節になると作ってくれたことを想い出す。

早速、膳臣と氏族について調べてみれば雄略紀8年(418)に任那(みまな)へ派遣された駐留の将として膳臣斑鳩の名を見つけた。紀の原文はこの膳臣斑鳩の名の下に斑鳩、これを伊河屡我(イカルガ)というなどと細注を付している。

推古三十年(622)斑鳩宮で聖徳太子と契りあうが如く一日違いで薨じた太子妃の膳菩岐岐美郎女(かしはでのほききみのいらつめ)にその字(あざな)を見た。(因みに、暮れに父用明天皇崩御、年明けて聖徳太子、一日違いで太子妃が薨去と近親が瘡に倒れた、これは現代で云う天然痘である)

つらつらと書き記したが、今更にも友人O君と機会を作って大和の地へ散策の想いが募ってきた次第でもある。晩春とはそうした瞬間(とき)でもある。


         


『山笑う』という季語があると聞いている、柔らかい晩春の風がともすれば薄っすらと肌を湿らす程でもあった。友人の地へ訪ね歩くという旅は山塊へと押し入り鬱蒼とした新緑の中を走行する旅でもあった。所々で桜花が舞う風に、新春の薄緑の葉は確かに笑ってもいるように見える。
笠置山(かさぎやま)が大井ダム湖に映る、観光船は揺らぎながら白い船跡をのこし、湖畔の宿は静謐であったが、新ウイルス感染禍は相変わらずである。




2021年 4 月  12
 日


海、山を眺める


私達は遥か遠くに仰ぐ山々へ、そして目の前の穏やかな海原にと、“心”はどこか祖霊たちの故郷を感じるものと思うのです。
それは祖先の日本人が山を仰ぎ見て樹木や植物の繁茂する勢いや、また海を眺めながらもその足元の岸辺に誕生する魚の群れや海草に、生殖と豊穣の力を生々しく感じたであろうことから来るのでしょう。。そこにある種のエロチックな精気を覚えのです。

海原の持つ永遠性という果てのない空間に、山中に入れば風雨や冷気が身に染み、何者とも知れぬ畏怖の気持に襲われるのです。このような内側からの変化に人は彼岸と此岸を往来しているのではないだろうか?と思うのです。

私が時間があれば海を眺めに行くのもそのような理由からでもあるのです。見渡せば変化のない田畑が続く鄙生まれの性質(たち)からなのか、初めて海を目にした幼い経験は波の音と引く潮に恐怖を感じたのを覚えています。

貴方は詩人カール・ブッセ「山の彼方の空遠く 幸い住むと人の云う」という訳詩を口に誦したことはありませんでしたか?また、海の彼方の不老不死の神仙世界を常世の国と耳にしたことはありませんでしたか?

自然は畏怖を内包させ従容とした景色を見せ、時に想いも及ばない狼藉をおこすものの、私達はそんな自然の片隅で共生しているのです。



        


名古屋から一時間半ほどと国道23号線を車を走らせ、三河の地矢作橋を渡り南下すれば三河湾のほぼ真ん中の西尾吉良町へとでる。この日は途中県内でも少ない国宝建造物、西尾の金蓮寺・阿弥陀堂に寄り道し、十数年ぶりの参詣となった。南面向きの本堂はこの日も蔀戸(しとみど・はね戸)が上げられて阿弥陀三尊像の御顔が診られて嬉しいものである。

早々に宿に着くも温泉に浸かれば眼前の海を眺めながらと至福の時間でもある。今は何処へ行っても他人との間隔やマスクや消毒と注意することを心がけなければいけないが、この大きな宿もその気配りに感謝しなければならない。

一面のガラス窓から眺める庭園には照らし出された竹林の手前に、はかない春の命を惜しむよう最後の桜花がハラハラと落ちてくるのが心よい美しさを見せてひと時夕食の箸が止まった。


『 春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな 』  蕪村

風も弱く、この日の海面は穏やかで、春の陽射しにキラキラと輝きを揺るがせて誠に美しい。



2021年 4 月  5
 日


縁起(関係から起きる)


「鳥が空を飛ぶ」と私達は言いますが、この二元図式は木の枝に留まっている鳥は鳥ではないのか?鳥が飛んでもいない空は空在りえるのだろうかという問いに帰還する。
雲一つない、風もなく鳥も蝶も何一つ飛んでいない、澄みきった空間を空と呼べるのだろうか?概念として空があるだけ。

仏教では「飛ぶという事態(行為)が空と鳥を現成する」と縁起的に考えますし、存在(という言葉)を分解することでもあり、行為が存在を生成する、行為的関係による生成である。二元的に対立する実体的存在ではなく、関係が存在を生成するという縁起の考え方である。所謂、関係から起きるということである。

「飛ぶ鳥がいる」という行為によってそこに「空」が現成する。空を飛ぶことで鳥は鳥として生成され、初めから鳥ではない。飛ぶことで鳥となる。概念としての鳥を脱却しなければならない。

『 鷹ひとつ みつけてうれし 伊良虞崎 』  俳聖芭蕉はこのロジックを理解していたのだ。

自己は他者との関係から自己の存在となり、同期的に関係する行為より自己の主体性(生きる様)も生成されてくろるだろう。


桜の開花で春をみた、決して桜が咲いたから春ではないのだ。この一週間の通勤は車内の暖房もなく、少し風を入れるよう窓を開け、今が盛りとばかりに艶やかな街中の桜を愛でながらの毎日であった。
この頃では市井の中で、交差点角や小さな公園、そして学校の正門前などには桜の美しい花が見られるようになった。

私の通勤途中では特に北区黒川の両岸や、名鉄瀬戸線高架下界隈は人出も多く散歩される方々の姿をよく見かける。


冬の間調理し続けた河豚(ふぐ)も彼岸を境に春の魚貝料理へと移行していく。若い料理人もこの一年で必死に河豚の捌きを練習してすっかり逞しくなってきたのを嬉しく思う。こうして段々と一人前になって行くのだなあ~とふっと感慨深く思いながら…。

外を見れば、鬱々とした空のもと雨がそぼ降っているが、確実に風は温くみをもって季節をたゆたっている。


翌朝何気なく早い目覚めは予期せぬ展開となって、雨予想が雲一つない快晴に友人を誘って海を見ながらの昼食となっていた。いつもの海鮮食事処は思いのほか空いていて、海を目の前に眺めながらの食事は本当に美味しい!雨上がりの伊勢湾は春の海とはならず、強い風に白波がたって此れはこれで美しいものである。

知多半島へ向かう車からあちらこちらに見える菜の花畑は未だ盛りの黄色い花を見せているが、残念なことに桜の花は悲しいほどに散っていた。




2021年 3 月  29
 日


向源寺十一面観音


歴史、否古代史に興味を持って久しいのだが、考えてもみれば古代の文献資料が現代まで伝えられているものは、その殆んど全てと云ってよい程に都の権力機構の側にあった者が、その立場と視点から書いたものである。

更に、現在は美術作品と呼んでいるが、本来は信仰の対象であった仏像について記述した直接的な資料などというものは皆無である。要は、私達が使える文献資料というものも、極めて偏ったあり方を示しているということだ。

大和の国伝説的な神変不可思議な力を持ったという役小角や、造寺像仏と伴う地域の整備に布教活動の流れをつくった行基、近江の人で金鷲菩薩と呼ばれた良弁など、そして遅くは最澄や空海などという開基に関わる名僧たちの中で、実は彼らの他にも幾人かの特異な、古代の伝説的僧の姿を視線をそらすことが出来ない。

播磨あたりの寺院に名を伝える法道仙人、白山を開基したという泰澄、国東半島の寺々を開いたという仁聞菩薩、出羽三山を開いた能除仙たちである。その実在性は希薄であろうし、記述されることが少ないという、現代人の思考構造の中では伝説上のという詞書きがつくことは否めないかもしれない。

しかし、都の権力機構や中央権力と乖離した場所で伝説上の僧や大徳として伝えられているのも事実である。

泰澄が白山を降り、インドシバッ神の化身十一面観音菩薩像を彫り琵琶湖北東部を中心に開基寺が点在する。その代表とでもいえるの渡岸寺村向源寺の十一面観音菩薩立像(国宝)を友人と訪ねてみた。
自動車免許を取得したばかりの頃、幾度となく訪ねた観音像は、廃屋かと見間違うほどの小さなお堂で懐中電灯に照らされ暗闇に浮かんでいたもので、今こうして拝観堂にて前後左右からゆっくりと隅々まで眺められるのが不思議とさえ思うのだ。


高速道路が珍しい頃だった、関が原ICから国道365号線が伊吹山の懐を左右にくねって長閑な山村を走っていた。

時折セメント工場から巨大なダンプカーが砂煙をあげながら走り抜けていたもので、、高時川にかかる阿弥陀橋を渡り直角に右へ曲がると国道脇の『 国宝十一面観音 』の立派な道標が目に入ってくる。

小さな集落の周囲に一面黄金色の稲穂の向こうにこんもりとした森が眼に飛び込んできたものだ。

昨夜来の雨も早朝にはすっかり挙って優しい陽の光が嬉しい。友人O君とHさんは久しぶりの近江路にとても喜んでくれていた。私の行く近江路は元より観光客の余り来ない寺などで、この日も向源寺観音堂は我々のほか二名を見ていないし、石道寺などは観音開示もしておらず己高山の懐にひっそりと佇んでいた。


木之本で湖北の名物「鯖そうめん」に舌鼓し、山本山隧道を通り奥琵琶湖の湖岸沿いに車を走らせると今が真っ盛りの桜が薄日の中に優しい美しさを見せてくれていた。




2021年 3 月  22
 日


自然を錯覚


自然の解からなさは「無限・(永遠)」という解からなさでしょう。人類は此れまで様々な方法で自然を理解し、知識も膨大に蓄積され、結果的にも解かったことは増え続けて来ました。また、今後も増え続けていくのでしょう。

しかしながら、全てを解かるとうことは有り得ないと思うのです。そもそも自然の内部(一部として)に生まれたものが自然の全てを解かりようが無いと思うからです。

自然に対する理解や予測とは自然をある一定の条件化における思考の対象として構成することでのみ可能という事でしょう。要は用いられた理解する方法により限定された一面以外に解かりようが無いのです。自然そのものに(完璧に)理解に至ることは絶対にありえない事でしょう。

この様な絶対的、根源的、無限な解からなさを当然ながら私達は解消することも、制御することも、また支配することも出来ない訳で、結果的に絶対(私達の・人類の)思い通りにはならないという事でしょう。

そんな解からなさを持つ自然に大して執るべき態度を問われれば、それは敬意しかないでしょう。それこそが解からない何かを受容して生きていかなければならない私達に、与えられた作法といえるのかもしれません。

解からないものを解かるものとして錯覚して、あくまで自然を支配し、制御しようとすべきではありません。その錯覚は必ずや私達を自滅させる方向へと向かうことでしょう。何故なら、死は生よりも、自己は他者よりも、自然は人間よりも、存在の強度が高いからです…。

『なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる』 西行は自然への敬意をかく表現していた。


もう十数年程も前になるが、毎年の暮れ仲間達十人ほどが集まって一年を慰労しあった宿が、伊勢湾を望む常滑に在る。現在は近代的なホテル風に様変わりしたもので当時の面影もすっかり無くなっているのだが。
尊敬するO氏やH氏などは其々に宿の造りに薀蓄を講じながら、部屋の入口に設えられた破風や、茶室にあるような年季の入った?床柱や障子、襖など家具調度品の類が美術品として教えて頂いたものだ。

その頃知多半島には珍しかった温泉は泥湯と云うもので源泉は赤茶っぽくにごり湯であった。湯温の低さゆえ時間をかけて浴するのだが、そんな風呂上り美しい松林越に知多の海が窓から眺めるのが仲間内でも好評であったものだ。

久方ぶりにゆったりと懐古する時間が欲しくて斯様な宿に出かけることにした。懐かしい宿だが、今は訪ねる友人達もいなく寂しいことで、鬼籍に入った友人達と語り合った夕べを想い出しながら、ただ只管眺めるのが私に必要でもあった。


         


数日前までの胃腸の調子がすっかり治り、驚くほどの料理の品数に驚愕したが美味しく完食したのが自身でも驚きで、
旧知の女将と懐かしい話にはなが咲き、当時を懐かしんだ。それにしても、新型ウイルス感染に模索の中、逼迫した営業を続けていると何処も変らず困っておられた。



2021年 3 月  15
 日

自然の理(ことわり)


遡ること十年前の2011年3月11日、夕方前のゆっくりと時間の中途轍もないニュースが入って来ていた。東北地方を襲った大地震は沿海地方に押寄せた津波が現実的でない不思議な感覚で無残な映像を幾度となく流し、私は慄然として見ていた覚えがある。
ここ数日アーカイブスな番組が次々と映し流されて、風化させないとばかりに被災地からの声が聞こえる。

被災後の数日は首都圏からも明かりが消え、深夜の放映は無くなり、テレビCMも姿を変えた!関東地域は食料買占めに走り、飲料水が汚染と誤報される始末。しかし所詮は他人事と気が付いた途端、いつもの平常が直ぐに帰ってきていた。それでも実は災害が自然の理とは誰も口にしてはいなかった…。

復興五輪の言葉も何処かへ消え失せ、所詮は風化など当人だけの問題であるように、何時だって災害など他人事であるようなこの現実。

しかしこの一年はそんな自然災害という他人事は、ソーシャルディスタンスと云う身体的接触が忌避される一方で、感染死による惜別する遺族は人間の遺体への強い感情が断ちがたいものであり、又、弔いという行為の核心に遺体が有るということを衝撃的に、私たちに何時でも降りかかってくる他人事ではないと教えてくれた。


ここ数日の暖かさは異常な速さで桜の開花を招いたようで、伴って暫らく出されていた感染警戒宣言が今週末で撤回される模様である。けれど、暖かさに誘われるように人出が増え再びの感染拡大に不安がよぎる。

しかしながら、この数日来私の体調は余り芳しくなく、何かの花粉症らしいのか鼻がぐずぐずする。持病の薬のほか花粉症薬や鼻炎用薬を飲み続け挙句に胃の調子がよろしくない。昨年の行動歴を調べてみるとどうもこの季節は同じように体調変化に悩んでいた。

自然とは、身体を通じての関係性が私達の生にもつ特別な意味を問い直すようだ。

こんな新型ウイルス感染禍にまだまだ復興ならない東北の方々にはどの様な言葉が必要か、私には解からない。何故我々が!という彼等の問いに私達はどう答えるのか?密かに伝えられる給付金再支給というお金が在ったならば、それこそ今現在困窮されている東北の方々にと思うのは私だけではない。

友人O君から、奈良東大寺二月堂修二会のライブ放映を見ましたよ!とメールが来た。お水取りが済むとこの地方にも春がやって来るという言い伝えがあるが、イヤア~もうすっかり春です。



2021年 3 月  7
 日

自然に


仏法世界にいる我々にとって、我々に不可欠の真理の世界と道元は云う。道元の仏法は単なる宗教(狭義)ではなく、宇宙の摂理を含む自然界の真理や法則を含んでいる。道元にとり仏法とは自然科学の真理を含む大きな真理の世界を指す概念なのだ。

蘇東坡(そとうば)は『渓声山色』にてかく記している。

渓声便是広長舌
  けいせい すなわち これこうちょうぜつ    山色豈非清浄心  さんしょく あに しょうじょうしんにあらずや 
夜来八万四千偈  やらい はちまんよんせんのげ       他日如何人挙似  たじつ いかにぞ ひとに こじせん

絶え間なく響く谷川の音は仏の瑞相(広長舌)でもある。山の青々した風光、緑深き森、森羅万象全てが将に清浄なる仏の姿・説法である。
朝から晩まで絶えることなく如来の無限の説法を聴くことが出来るではないか。この説法の感激を誰にどう伝えようか!言葉に言い尽くせない筆舌しがたいことである。


そして道元禅師は

山の色 谷の響も みなながら わが釈迦牟尼仏の 声と姿ぞ
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり

そして正法眼蔵の中に
花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり、と残されています。『法』とはさんずい(水)が留まらず去ることと知る。


先般、寄り道のカフェには玄関わきにさりげない感じでお雛様が飾られておりました。

もう彼此四十年も前になろうか、狭い我が家もこの時期には一層狭さを感じさせるように立派なお雛様が飾られていたし、幼い娘が楽しそうに生き生きとしてその前で遊んでいた。何やら女の子の節句は華やかさを見せていたもので、今更ながら懐かしく想い起こされる。


そして、奈良東大寺二月堂では十一面観音悔過法要(通称お水取り)が酷寒の中連行衆によって修奉されている。又12日には過去帳が連綿と読上げられ、例の『青衣の女人(しょうえのにょにん)』も名を告げられることだろう。

昨年来、松明見物も制限されて寂しいものであるが、それでも唯一1300年来守り続けられてきた行修は今年も無事終わるだろう。

通勤の帰り道、夜10時過ぎとなる市内の橋上に設置された温度計はこの日11℃となって真冬の寒さから脱していた。
季節は感染禍にも関係なく確実に春を迎えようとしている。
友人から土起こしを始めるとメールが入ってきていたし、梅の開花を知らせる友からのメールも来ていた。二三日前二十四節季の啓蟄が過ぎていた。自然(じねん)天然とはこうした事と先人は知っていた。

新型ウイルス感染禍も一年を過ぎて…、都市部では感染警戒宣言解除も二週間延期されて、依然と窮屈で心もとない生活が続く。私の生活圏でも解除はされたもののまだまだ様子を見ながらという手探り状態!予て私は考えているのだが?どこかがおかしい?何かが違う?新型ウイルスコロナ感染禍である。


2021年 3 月  1
 日

聖林寺 十一面観音像


ひと月ほど前購入した古書、昭和57年発行・町田甲一著『古寺辿歴・こじてんれき』から聖林寺十一面観音像についてかく記してある。

「私は聖林寺の十一面観音の像に関して、次のように感じている。顔はいかにも腫れぽったく、酷評すれば張りぼてのような感じで、法華堂の不空羂索観音の顔に見るような引き緊った感じやデリケートな造形が全く見られないのである。その点は両眼のあたり、口元の表現によく示されている。
鼻の造形にいたっては、昔正月に門ごとに訪れて来た獅子舞の出来の悪い獅子頭の鼻を連想させるような、無神経なつくりである。

腕はまるで丸太棒のうように感じられ、手は霜やけしたような感じで、その点児島喜久雄先生のいわれた「すぐれた手には表情がある」という言葉が思い出されて来るのである。この聖林寺の観音の手には全く表情がない。

不空羂索観音の胸前に力強く合掌する手とは大変な違いである。頭と胴との連絡もまこと不自然であり、腹もいたずらに便々とした単調な造形になっており、両腕と体側の間の空間も、まこと間の抜けた感じのもので、両腕から肩へかけての外郭をかたどる輪郭の線も、不自然で無神経な線を呈している。」

東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音と聖林寺十一面観音のどちらが素晴らしいのかと云う論戦でのことだ。予て私は聖林寺十一面観音に心酔して幾度となく拝観し、和辻哲郎や亀井勝一郎の同観音像についての慧眼にも折に触れ目にしてきたものの。

和辻や亀井という文学者、思想家という鑑賞や啓蒙として美術と、町田の古美術の観照として美術はかくも乖離があるのだ。それは法華堂の不空羂索観音を町田は(意思的な顔)と言い、亀井は(受難と相貌の表現)と見ていることからも知れる。

元来ただ見るために作られた「美術品」などというものは人類史上有りはしない。古くは神や死者へ祭儀のため、近くは祈りや生活高揚のためにあった。いうまでもなく、人はただ仏像を拝するためでなく、謂わば遠くから日夜救いを心の内に想い描き、その想いを果たすために聖地を訪れ、自らの歩みと祈りという行のうちに御仏を全身で体験したのである。

そこへ人は「モノ」を求めて行ったのではなく、一つの聖なる空間での、ある稀有の出会いを求めて行ったのである。この体験を忘れて如何なる『信』も『美』も有りはしないということでもあろう。


感染者の減少がみられるこの頃、直ぐにでも出かけて観音像拝観したいのだが…、電車に乗るのも?他県に跨ることにも?他者を慮ると行動も制限されます。今は古書でも読みながら古都散策の資料といたしますかな?



2021年 2 月  22
 日

言葉の持つ責任


自己の存在は他者との関係の中でしか人間として存在できないという縁起の思考は、そのまま言語にもそのスキームの中に入る。そのスキームが責任であり倫理でもあろう。、

何物かを言語化するということは、即ち同一性を設定することでしょう。例えば個々別々の物体を「茶碗」と命名する行為はそれらを同一の意味で規定することであるからです。換言すれば概念化し、同一の認識をするということでもある。
しかし、往々にして言葉の概念化は多面的、多重的でもある以上其々の自己理解度の格差を回避できない。併せて、言葉の持つ強度に責任という問題が関連化する。

週刊誌の記事を起源とした政治家や行政者への国会等の質問はそうした点で本来何ら責任を持ち得ない言葉である。行為や行動から得た知識や情報は当人の咀嚼から出て言葉となって倫理的責任を保持しながら相手の精神へと伝わる。言葉としての同一性はその責任を担保しなけねばいけないと思うのです。

国政を司る政治家から有名人と言われるだけのコメンテイターまで言葉の乱発や、揚げ足取りな記事が踊ってマスコミは切り取った情報を言語化するという無責任極まりない。


        
                   樽見鉄道 車窓から夕陽                      ホテル最上階から伊吹山を見る



この季節、寒暖の差は殊のほか老体に堪えるもの、調整弁が
上手く機能していないのだろう。それでも暖かさへの願望や期
待が得られるだけで身体は耐えられることだろう。三寒四温など
と昔人は呑気に浸っておられたことだろうが、いやはや現在の
温度差は言葉を越えている。

水曜日急遽友人O君Nさんと野間へ海鮮料理を戴きに行った時
は風も強く寒さ厳しいものだったが、一転して日曜日は車に乗っ
ていてもひっそりと汗ばむほどの陽気でもあった。

岐阜県大垣市に私用で出かけるも、こんな陽気に誘われるよう
に樽見鉄道に乗って山懐まで出かけてしまいすっかり陽が暮れて
市内に宿泊することとなってしまったのだ。お蔭で美しい夕陽が見
られて楽しい旅となってしまう。
                                           帰路 木曽川祖父江砂丘公園より伊吹山

天気予報は今週半ばには又しても寒さはぶり返し寒い日が来るということだ。いやあ~体が心配です。



2021年 2 月  15
 日

熱田神宮


古代日本の仏教は、宗教であると共に思想・文学・芸術であり、そして七堂伽藍に装われた寺院は地域の文化や情報の交流の場でもあった。仏教伝来の奈良時代から仏教は人文科学であったのです。

仏教が国家鎮護を始めとする生産の為のものであった奈良時代の声明は、浄土思想の影響によって死者の為のものへと変っていった平安時代末期以降と違って抹香臭ささの微塵も無い明るく逞しく力強い音楽でもあったようです。そんな声明も江戸初期には浄瑠璃や講談へと枝葉を広げ庶民の文化へと昇華して来たのです。

而して、我が国の神信仰は国民の心の底辺にへばり付くように連綿と伝えられ、農耕中心にして現在も信仰されています。「なにものかの おわします」という心は新年参賀や田植え神事、祭などに現われるよう広く執り行われてますね。

今年の新年参賀は密になるということもあってこの月に入ってとなり、節分を過ぎ熱田神宮に行って来ました。熱田神宮は三種の神器の天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)通名草薙の剣がご神体として納められている神社としても知られます。

日本神話においてスサノオが出雲の国でヤマタノオロチを退治した折に体内(尾)から見つかった神剣であり、神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとも言われています。詳細は!


朝からの生憎の雨模様が少しばかり快復気味に雨脚もあがろうという午後になり出かけてみた。

境内はそぞろ歩きの参詣者が目立つというのんびりとした風景で、正門から玉砂利を踏みしめて歩き進む、数年ぶりというか、午後という時間の参詣は久方ぶりですっかり変貌した境内と各社に驚きつつ本殿までの風景が楽しいものとなりました。


昨年から全ての行事、慣習が変更を強いられ私達の日常が奪われた
感がいたします。来週にもワクチン供与がされ、国民の我慢の結果が
感染者減少という報告を聞きながら安堵しているところ。

気を緩めることなく暫らくの不自由をあえて受け入れ、自由な時を待つ
ことが最善かと考えます。                           
                                                      熱田神宮  神殿



2021年 2 月   9
 日

差別という感覚 続


オリンピック組織委員会の森氏やそれに続く自民党幹事長二階氏の発言などにみる差別発言、その釈明会見、そして擁護とも思われる国会議員等の発言は現代における老害とさえ思えるのだ。

この後期高齢者と思しき世代は元来が成長とか発展をしなくてもよく、改革とか先見の明など必要なくても、ほぼ前例だけで運営可能な旧態依然的組織の中で良かった世代であったのだ。確かに高齢になっても柔軟な発想をされる例外的な方々も居るにはいるが、72歳の私などからみても往々にして難しき問題ではある。

森氏の発言はJOCの委員会会議上でなされたことで、その席上に居られた方々の反応をみるに、如何に差別感覚に蝕まれているかも分かるのだ。オリンピック開催の根幹に関わる発言というのに…。
世界の反応という相対的な感情より、今や我が国の自浄能力感覚の問題と捉えない限り改善の余地は無いと考えるべきだ。

事は「時代は変った!」では済まない。この差別や偏見という発言は無智蒙昧から来るもので、高齢者の持つ従来の豊かな経験や豊かな知識が「更新されない」という行為的結果故からくるもので、それらが往々にして高い地位や年寄りからズレが生じた発言となって出てきたのだろう。

この知識の更新こそが時代を観ることであり、教養というものだろう。それが例え概念であっても無常であり得るのだ。
予てから書いている言葉のもつ意味や根拠は常に変化し続けるから有るようで無いともいう。経験や体験だけに基づく思想や発言は危ういと考えてよく、絶えず敏感に反応する社会性を必要と考えます。


追!(10日)
アップした昨日、経団連中西会長(日立会長)が「日本社会にはこうした本音が有るように思う、これをワッと取り上げるSNSなど恐ろしい」と森氏容認発言、政財界とも老害以外の何物でもないというか、余りにも教養が無さ過ぎる。 

追!(12日)
言語が存在する意味や根拠を無視した発言から差別的感触を受けるのは至極当然で、また言語操作によって報動するメディアの策略は卑怯でもある。言語の正当性は何を以って担保するかといえば他者に対しての畏敬や尊敬ではないだろうか。
世の中に差別化や区別化は必要で、要は相対する立場に立脚できうるか?発言の底辺に尊敬する心があるかだろう。言葉のもつ自在性はそこに発揮する。





2021年 2 月   8 
 日

差別という感覚


夜の街、飲食店の営業時間短縮要請は私の生活をすっかり変化させ、時間の使い方にも困る有様。結局だらだらと読書することになるのだが、結果的にこのブログにを見ると理屈っぽい文章と化していくのが少々辛い。

先程からテレビのニュースでは、未だ来もしないワクチンの可否やら是非、挙句は混合、変種対応やらと騒いでいるが
、ワクチンこそ集団免疫確保の初手と国家の決めたことを混ぜっ返して、報道するテレビ局は視聴者を混乱させて意気がっているガキのように見えるのは私だけか?そんな事はくだらぬ番組を止めて番組として報動するのが仕事。
ニュースソースとは、現在の進捗状態、対処方法など我々に示し、それまでは粛々と規制に従い行動することを教示することが先決では?それが而今(にこん)。

此処に来て、とんでもない性差別発言が!挙句その謝罪に事の本質が見え隠れする始末、いやはや老害です。
差別、偏見という発言は個人的性格から来る問題という訳にはいかず、それらは所謂無智蒙昧に因ることからと予てから考えています。

それらは豊富な経験そして知識の更新の無視から来る場合が多い。従って往々にして高い地位、年寄りという立場からズレてしまった差別という発言に辿るのである。この知識の更新こそが時代を観ることとなり教養の基となるのだろう。
組織のトップと云う場合はことは重大で、それがワールドワイドにリンクしてるとなれば国家的信用問題となろうか。


予報とは裏腹に天気は芳しくないのだが、海岸寄りの高台に建つホテルの窓からは三河湾が一望であった。地球儀を俯瞰でもするように知多半島から渥美半島へと遠望できる。手前には梶島、奥に佐久島を見下ろして左手には有名な西浦温泉の旅館街が見ることができる。


少し風はあるが海原は春の海と化し陽の光を浴びてキラキラと輝きを見せてくれる。眼下の浜辺には散歩を楽しむ人達が陽気を楽しんでいるのが見える。

何も求めていない、只管のんびりと過ごす、人混みを避けることに留意しながら旅を楽しんでみた。立派なホテルだが兎に角客が少ない!接客に清掃に料理の出し方から館内中に感染の新規対策に必死での営業は少なからず同業として労しいほどであった。
                                          
                                                      ホテル展望  三河湾


2021年 1 月   31 
 日

万事を休息す


「自己が他者から課せられたもの」である以上、最初から一方的なものである。そこでは居心地が悪いのは当然のことで、「本当の自分」などという、所謂無いものねだりをしたくなるというものも無理からぬ話である。

更に、課せられた「自己」はその後も「他者」によって「自己として認められ、自己にされ続けなければならない」という事になる。ことは「他者」から欲望続けなければならないことでもある。

そこでの欲望されるものとは、金、職業、地位、名声、更に容姿、才能、学歴、家柄なども入るし、優しさ、器量、人徳までに及ぶ。自己を存続させるための絶望的な闘争のようなものになりかねない。

そこでは「自己が欲望される」ように振る舞い続けることは苦しいことであり、疲れることでもある。つまり疲労は「自己」の実存様態なのでもある。そうしなければ「自己」は維持できないのですから。

ならば、それを一時的に解除して休む時が必要です。その有力な方法が道元禅師のいう座禅ということになる。師は座禅を「万事を休息する」といっている。



近江、琵琶湖の風景が好きな私も彼此半年以上見ていない!過日比叡山飯室谷長寿院の藤波阿闍梨様から頂戴いたした手紙には比叡の里山を散歩する長閑なお気持ちが見てとれるようで羨ましく拝読した次第。

大津に住むK君からはラインから湖畔の葦が波しぶきに凍る写真を送ってくれました、さぞやこの季節湖北へかかけて厳しい寒さを見せてくれていることであろう。

私のような夜型人間にとりこうした景色は新しい発見とでもいうのであろう、新鮮な気持にさせてくれる。予てK君にはこの様な写真をお願いしているのですが…。

                                                          琵琶湖  葦に氷が

暮れから新年にかけての感染者増に極力外出を控えていましたが、心の栄養素は日々の暮らしで補填を促がし、のんびりとした時間を求めて知多の海へと車を走らせた。友人Nさんが先日いいカフェを見付けたとの連絡もあって。



冬の季節としてはめずらしく風も穏やかな先走った春を感じさせるような午後であったし、お昼も過ぎて客足も止まった頃には静かな店内でゆったりとした時間の中で美味しい紅茶を楽しむことができた。

広~い浜辺には人影も無く、さざなみを見せるその沖合いに時間を止めるように船がゆっくりと行き交う。所々の雲間から光のシャワーのような陽が射し込んでくるのが季節のうつろいと感じながら…。

今週には立春をむかえるもののこの寒さも暫らくの我慢かなあ~。                内海カフェから見る伊勢湾




2021年 1 月  25 
 日

雑文ですが


大寒も過ぎ、すっかり陽の長さを感じるこの頃ですが、時に寒さ厳しき折々美濃加茂伊深の地、正眼僧堂の蠟月接心(ろうげつせっしん)は松の内小正月が過ぎた頃には終了し、日頃の修行へと戻ったことであろう。それでも開淨(かいじょう・起床)は未だ明かりも無い底冷えの時、洗面から朝課諷経(ちょうかふきん)をされる頃は床板が氷上のような冷たさをもって雲水を励ましていることでしょう。

新型ウイルス感染禍という緊張の日々の中で時間は確実に刻み、も~うひと月は去ろうとしています。何でもない日が何事も無いように過ぎている中、何処かでご苦労されている方々がいるのだなあ~等と憶測しながらの日々でもある。

政治の最大の役割は負担の配分をどの様に行なうか、如何に公平に様々な利害関係を調整し、我々に負担を納得させるのかという至極面倒な仕事を請け負うことである。
負担配分を真正面から堂々と国民に要求すれば良いと思うのです。それこそが前進と責任と謂うものです。

そうした提案が国民から拒否されるなら、それはそれで我が国の選択です。しかしこの提案すらないものなら政治家の怠慢で無能であるのです。

凡そ「理想」や「真理」等というものは、人々の現実生活を構成する社会的条件と牽制したり、相対化したり、批判したりと調整のマニュアルとして使う程度のことが関の山であろう。それを通じて実生活の多少の向上が実現すればことは十分でもある。

にも拘らず、「理想を実現しなければならない」と言い張るのは唯の標識をゴールだと錯覚するような愚行としか言いようがありません。
昨今の与野党に関わらず国会議員の先生方や、先日からの国会論戦を聞きながら斯様に思うことしきり。



2021年 1 月  18  日

知識と情報


我々は「自己決定」で生まれては来ない、身体も名前も他人の作物であり、言語も他人から植え込まれたといえる。「自己」は最初から、根底から社会的にも生物的にも他者に侵食されているのです。
「自己」とは他人の用意した「器」であり、他人から課された「形式」であろう、「内容」ではない。この器と形式に記憶を盛りこみながら、整序していく訳です。

つまり、ある人物が「Aである」こと、即ち自己同一性は自分が「Aである」ことの思い込みの持続と、他者による「彼はAである」という承認によって確定し、維持されるのであり、そのどちらか或いはその両方を失えば自己同一性を維持できないことになる。

自己が他者との関係から生起するとすればその関係を具体的に担うものが何であるかによって関係の仕方が変る。とすれば、他者との具体的なコミュニケーションは声(鳴き声)とjジェスチャー(指し指など)という身体そのものが担っていた。
この時知る「何者かが存在することのリアリティー」は五感(見る、聞く、触る、舐める、嗅ぐ)の身体感覚が直接保証していた。

これらコミニュケーションが可能な範囲は限られており、小規模な共同体そその周辺の集団までである。その後、言語の発生によりコミュニケーションの範囲と深度は一層拡大していった。そして文字が発明されるとコミュニケーションの様式や形式が「情報」として大量に蓄積、伝達出来るようになり、これまでの共同体が拘束する身体中心のコミュニケーションから解放されて共同体は大規模化し、複雑化し文明の時代が来た。

文字情報の使用には教育が必要である、文字を記す物は石や紙など物理的な量の確保に限度はあった。この情報の激変は15世紀のヨーロッパにおける活版印刷技術の登場であろう。そして現代の文字情報インターネットという技術で量産、拡散して多種多量な情報は手軽にアクセスして共有出来るようになった。

それでも、社会では文字や言葉は実体も本質も確保してはいない、共同体でのコミュニケーションのツールとして利用されてはいることから錯覚を生むものである。先週の本質的という言葉からそのプロセスを記してみた。

壁に掛けてあるカレンダーでは大寒が近づきこれからが寒さの本番とも云われる。新年も半月過ぎれば陽の長さを感じるもので、夕方五時を過ぎても明かりを保っているのが嬉しい。

例年になく梅の花が咲いたとのことだが、こんなに寒くても温暖化は進んでいるらしい温室効果ガス削減に向け炭素排出削減や再生可能エネルギーへと変換していく世界のエネルギー政策は少し速度を速める必要がある。

新ウイルス感染者の数に一喜一憂しながら緊張の日々であるし、行政や医療関係者など大変厳しい状況の下で頑張っておられるのを目にして感謝する毎日でもある。毎月診察をお願いしてる私の主治医からいろいろと話を聞き、一層の注意をはらわなけねばならないと考えている。




2021年 1 月  11 
 日

本質的


新ウイルス感染禍にWHO(世界保健機構)は、人と人との非接触としてその距離をとるべきと言い、所謂「ソーシャル・ディスタンス」なる言葉で対処を始めている。しかし今その言葉からは社会的な孤立を生じさせている様に思える。
自己が他者との関係から生起すると考えれば、その関係を具体的に担うものが何であるかに拠っては自ずから関係の仕方が変ってくるというもの。
生きる上で他者を信じることを止めればそれこそソーシャル・ディスタンスとなり社会的崩壊へと道は続くであろう。

ソーシャル・ディスタンスからは社会的距離と捉えられ社会的な繋がりを断たなければならないという、その恐怖感さえ抱きかねないものとなっている。それは余りにも現象的な言葉使用に他ならない。
現在求められているのは身体的距離、或いは物理的距離であって「フィジカル・ディスタンス」では無かろうか?

ことは進んで、「エッセンシャル・ワーカー」なる言葉まで普通に流れている。エッセンシャル(本質的)とあるならば、非本質的(ノンエッセンシャル)もあるはずで、それは何であろう?
職業に「本質的」「非本質的」が存在するという事で、本質的な仕事とは日常必須的な生活基盤の支えと成るような仕事と謂う意味らしい。

警察、消防、役所や市県自治関係者など、生活物流、生活物資生産者、社会生活の維持や保全、ごみ収集から教育関係者、そして医療関係者等を思い出しますが、言うならば身体を張っている方々という事でもあります。それは概して労働量において又その強度に比して相対的に賃金が低いと見えるものでもある。裏返して言えば「生産性が低い」とも捉えられ、そもそも効率という尺度で測ることが不適切な職種でもあるのです。

反対にノンエッセンシャル(非本質的)ワークとは何か?現代では株式売買などで、株式上場しなくても企業存続は可能なはずで株の売買などは本質的ではないだろう。しかし現実的にはこの売買でPCのクリック一つで巨額の金銭を手にしている人が居る訳です。
リモートとはけだしもテレビのチャンネルを変えるリモートコントローラーの如く、リモートワークは人材や機材を移し変え管理するという本来出来もしない管理をPC上で管理してると錯覚させる何物でもない。
元来、仕事も含めて生活は五感(見る、触る、嗅ぐ、舐める、聞く)によってのみ生産的と言えるのだが、実は無味無臭な機器によって我々は生活の一端を垣間見ながら満足しているだけだろう。

大雑把に言うと現在リモートワーク可能な職種などはこのノンエッセンシャルワークにあたる訳で、実は少々滞っても世間は余り困りもしないのです。
考えてもみれば、「非本質的」で「不要不急」な経済的行為こそが「生産的?」な主役を担っているし、経済成長には必要とされていることです。
何処か倒錯的とは思わないでしょうか?新ウイルス感染禍は市場経済の暴走を露呈していると思いませんか?


海近くの宿、部屋から海を眺めのんびりと過ごしながらこんなことを考えていた。





2021年 1 月  4 
 日

禅の風


叢林は静寂を保ち凛として孤高の姿をみせていた。数日前の残り雪の上辺を微かな風で撫でながら通り過ぎてゆく。これほどの風ならば厳寒での修行僧には、それこそ爽やかな春の風でもあろうが、我々凡夫には丹田に一つの力を入れていないと身体を冷やしてしまうことにならない。

暮れに友人と約束したこの日、岐阜県美濃加茂伊深の里は背後にこんもりとした山々を抱き、その麓に小さな集落をもち隠れて里山を思わせる鄙な地ではあるが、臨済宗妙心寺派の奥の院とも呼ばれる禅の修行道場「正眼僧堂」へと車を走らせていた。
私が知って通うようになってもう何十年となるのだろう…、多くの若い修行僧が寡黙な態度で作務に精出しておられたのが懐かしい。聞けば現在は数名の修行僧が掛塔だそうで時折外国人の方も座っているとのこと淋しいことである。

僧堂へは結構な石段を上がって行くのだが、頭上から木々に溜まった雪解けの水がどさっ~どさっ~と落ち濡れている。
老輩には少々足元が覚束ない、新年早々転ぶことなく友人とゆっくりとした足取りで山門まで時間をつかった。

こじんまりとした山門には『禅關策進・ぜんかんさくしん』提唱の聯(れん・額)が架かっている。数日間に限って全員が集中し座禅するという接心と謂われるもので中でも旧暦12月の酷寒の中で行なわれる蝋月接心(ろうげつせっしん)は日頃と違い特に厳峻であると聴く。


        
               正眼僧堂  石階段                                   山門 


『禅關策進』とは、臨済宗中興の祖白隠禅師が僧として道を決めたと云われる禅の書である。『禅關策進』の中でも有名な(慈明引錐・じみょういんすい)がある。座禅の途中睡魔に襲われた慈明禅師は自ずから太腿に錐を刺して睡魔を追い払い座禅三昧としたという記実を残している。

この蝋月接心で山川宗玄師家は『禅關策進』を解読しながら修行僧に新たな発心を促がし、修行の道を照らし示されていることだろう。

正月と謂えば、“正月や 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし”と言いながら京の町を歩き回った一休宗純を思い出すが、私の勉強する曹洞禅(道元禅)とは少々趣を異とする宗風である。正眼僧堂では現在に至るまで鎌倉時代の看話禅は息吹を今に繋いでいる。

気掛かりな新型ウイルス感染で人混みを避けるにはこんな寺が新年の参詣には相応しい?とでもいいながら静かな一時を過ごしてみた。




2021年 1 月  1 
 日


新年を寿ぐ


謹んで新年を寿ぎお祝い申し上げます。明けましておめでとうございます。


古今和歌集 巻第七 三四三

【 わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで 】

わが君とは親愛の情を持つ人へのお示し、そして文字通り数え切れない長い年月を云うことでしょう。中国の『西陽雑俎』に拠れば、ある寺に置かれた拳ほどの大きさの石が巨石になったという伝説があります。いはほとは巌と書き、小石が巌への成長を喜ぶものです。
わが君は千代に八千代にも小石が巌となって苔がむすようになるまで、長寿であって頂きたいものよ、という意味でしょうか。

古今和歌集(仮名序)の中で紀貫之は「歌の様を知り、ことの心得たらむ人は大空の月を見るが如くに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と記してもいる。
現代語約すれば、歌のあり方をよく知り、ものごとの真意をわきまえた人々は大空の月を見るように、この歌集が生まれた古を尊び、延喜の御世の今を懐かしく想うに違いない。と。

諸行は無常と謂いますが、人の世は常がありません!モノは常住でもないから大切に!モノの実体は無く、行為という関係性によって生じる、即ち諸法無我と教えています。

新型ウイルス感染禍は資本と自然と人間の関係を浮き彫りにした問題提起となりました。ともすれば人類の叡智は全てに優先し社会を凌駕すると思うのでしょうが、どこかでほころびが出ているようでもあります。




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