ふらっと寄り道、三河の国宝金蓮寺弥陀堂



静かな寒村にひっそりと魅せながら質素とも云える桧皮葺き、奇跡的にも残されたという小さなお堂であった。

どこか懐かしい臭いさえ感じた!何か思い出せない…、でも何かを感じていた。西三河・幡豆郡吉良町萩原という地名に何かが記憶の片隅から離れない。

愛知県内には三ヶ所の国宝建築物があると聞いていた。犬山市の国宝犬山城(白帝城)とその城下にある庭園有楽苑のなか茶室国宝如庵、そして今回拝観した金蓮寺国宝弥陀堂である。
平安末期、時代は末法の世ともいわれ世情の不安はつのって、人々は来世での極楽往生をと阿弥陀如来にその救いを求めたのです。そんな浄土信仰がもてはやされていた頃に全国的に無数の阿弥陀堂が建築されていったというのです。

金蓮寺創建の詳細はどうも吝かではないという、江戸時代の地誌に拠れば・・ということなので経緯については不明となっている。ただ何処か優美な姿を見せるのには何かがあるはずだ。
正面には吹き放した孫庇(まごひさし)をしつらえて、舟肘木をつくって、垂木を内側より外側へと荒くしている。そしてその貴族的家風は正面の建具を蔀(しとみど)としていることである。これらは平安貴族の住宅や天皇の住まいである内裏によく用いられた特徴でもある。
鎌倉時代に建てられた弥陀堂は全国に20棟余あるのだというが、金蓮寺弥陀堂が国宝に選ばれた最大の要因は住宅風の仏堂が醸しだす優しい美しさが高く評価されたという。

お堂内拝観料が200円!であった…、況してや国宝である!そして驚きは待っていた。お堂裏手に回って副住職が開扉するのだが、その鍵がなんと簡単なこと?で、失笑してしまうほどである。
お堂正面を開けていただき内陣?かお堂の中に入ったのだが、そこは阿弥陀仏が静かに座していた。脇士に勢至菩薩、観音菩薩の所謂阿弥陀三尊仏であった。

先ずは阿弥陀仏に手を合わせるのだがなかなか落ち着いていていい!何ほどもけれん味がないというか、蓮華座にゆったりと構えているその距離感のようなものがいい!
副住職は二言三言説明して後、「ご自由にゆっくり拝観してください、写真を撮ってもいいですよ!」と言われたのには本当に吃驚した。おかげで三像の接写ができ満足である。

どうも年に数度この蔀をあげるというのだが…、正面から光が射した阿弥陀仏はいかようであるか想像だにしない。ただ本来阿弥陀浄土の世界、所謂西方浄土という考え下での西向きではなくこの弥陀堂は南を向いていた。これは創建当時が真言宗であったからであろう。
兎も角も、静かに三尊仏を眺めているには、丁度いいという空間でもあるようで、ゆっくり拝観できたのにはこの寺のお気持ちに感謝せねばならぬ。




そうだ!

私の兄弟子でもあり、師でもある方の生家が確かこの近くであったはず。数度であるがその方の家に来たことがあった。もう四十数年前にもなるであろうか何時かこの道を通っている!遥か昔の縁(えにし)である。
往来のある道路から少し入った脇道には昔の匂いが漂っていて、弥陀堂あたりの風景は残された農村原風景とでもいうようなところでもあった。


長閑な村にたどり着くと…・そこに国宝があった




柿葺きの屋根に優雅さはないが、どこか凛として見える、




庇(ひさし)の木組みが美しい。蔀(しとみど)を上げれば優雅さも出ようかというもの。




副住職の開扉には少々笑ってしまった。




勢至菩薩・観音菩薩の姿には年代を感じる














国宝前の境内?の広さ!何処か昔懐かしいものを感じませんか?





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