秋の雲水に紅葉葉

正法眼蔵へのいざない
真理の体現者・道元

道元の特徴
背景と生涯
道元の思想
日本仏教のなかの道元
道元思想の現代的課題
希玄道元略年譜

正法眼蔵の主張
正法眼蔵の特色
所収卷解説
正法現蔵の現代意訳




『正法眼蔵』の題字は釈尊が霊山会上で百万の大衆の前で青蓮華を拈じた時、摩掛訶迦葉尊者が一人だけ破顔微笑してこれに答えたので、釈尊が「吾に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相・微妙の法門あり、不立文字、教外別伝、迦葉尊者に付属す」と言われた故事によるものであろう。
『正法』とは、仏法のことであり、『眼蔵』はこの方は眼のごとく明かであり、蔵のごとく一切をおさめて、余すところないということで正法の徳をあらわすものである。つまり、「正法眼蔵」とは、仏法そのものをさすのである。

只管打座・威儀即仏法を自ら問う日本曹洞宗祖・道元の正法眼蔵をわかり易く解説、仏法とはなにかを追求します。

日本曹洞宗の開祖、永平道元禅師の著、正法眼蔵は鎌倉時代の中期1231年から約23年間に亘って興聖寺・永平寺などの僧団や在俗の信徒たちに禅の本義を伝える為に書かれたものである。


正法眼蔵の主張


正法眼蔵の中心課題は真理とは何かと言うことである。そして人間がどのようにして真理を発見し、行い現わしていくことができないかということである。では真理とは何であろうか。それは人間が生老病死の問題を解決するために不可欠な普遍的原理のことである。
人間はどうすれば生の悩みから、死の悩みから自由になるのであろうか、そして最も意義のあ生き方をすることができるのであろうか。その為には、人生を世界をどのように見ていったらよいであろうか、それがすべての人間にとって最も緊要の問題であり、第一義の問題である。
仏教ではこうした根本真理、及びそれを説く教えのことを法(ダルマ)と呼んでいる。したがって仏教者である道元禅師にとて心理の問題は、正しい法とは何かという形で提起させている。
釈尊によって説かれた根本真理とは、要するに人間が自分自身に対して持っている妄想を去って、正しい行いによって心を静めれば、叡智ある完全な人格者である仏になって、全ての悩みから開放されるということである。そいsて、あらゆる人間がもともと仏になる可能性を具えているのであるから、修行を完成して仏になって人々を救う事が出来ると考えるのが大乗仏教の立場である。正法眼蔵はこのような立場に立って解脱の問題を解くのである。


それでは解脱とは何かというと、全ての執着を離れ、解脱しようとする意図さえも捨てて、ただひたすら座禅修行することが解脱なのである。
このような修行の時期には、すでに悟りも迷いも問題にならないのであって、そうした境地そのものが、実は悟りの境地である。つまり悟りとは神秘的でもなく、瞬間的でもなく悟りと迷いを区別する常識的な見解から自由になって、ひたすら正しい行いを現わしてゆくことである。

全ての人々がもともと仏としての完全な人格を具有しているのであるから、それを修行によて行い現わして行けばよいのである。修行とは自分のうちにかくれている真の自分を生かしてゆくことである。そしてつまり、悟りとは修行の目的ではなく、修行の出発点である。さとりへの修行ではなく、悟りから修行が始まるのである。

いま仮に釈尊の宗教活動を、悟りのための修行と、救いの為の教化の両面に分けて考えるならば、禅宗はまさに前者を基調とするものである。経典に記された文字を越えて、釈尊と同一の手段によって、人間本来の叡智にめざめようとするのが禅宗の立場である。

得に中国禅においては禅者たちの日常生活の清算活動がそのまま心理の体験であるとされ、一般的な論理では全く理解できない突飛ともいえる臨機応変の言行によって心理の直接体験が開示されるのである。

例えば、主観客観というとき、主観をはなれた客観はありえず、客観を離れた主観はありえないのであるから、主観客観を対立するものと捉えるのは誤りである。逆に、主観客観を同一のものとして捉えるのも誤りである。何故ならば、主観客観の対立は依然として現前しているからである。主観と客観が同一のものでもなく、別個のものでもないという矛盾の相においてとらえられたとき、はじめて真理が理解されるのである。それが仏教でいわれる二辺のいずれにも偏しないということであり、中道というkとである。矛盾は論理によって分析することのできないもにであって、ただ行によってのみ超越されるのである

人間はもともと一時テ的、個別的な存在でありながら、普遍的永遠性を得たいという強い願望を持っている。宗教はそのような人間の願望に根ざしているものである。滅びゆくべき人間が、どうしたら永遠に生きることができるか。この問題に対して道元禅師は次のように答えている。

時間というものは一瞬一瞬にたえまなく流動するものであるが、流動の中にも不流動の相がある。一瞬のうちに永遠の相がある。現在この一瞬が無ければ、過去もありえず、未来もあり得ない。つまり永遠をあらしめているのが、現在のこの一瞬なのである。したがって今の一瞬が、この我々の全生命である。そのことに気が付いてあらゆる相対的差別観を打破して、現在の一瞬を最高に生きてゆくことが永遠を生きる事である。それを可能にするのが無礙なる自己であり、無礙なる自己は現在の一瞬をおろそかにしないことによってのみ産まれるのである。

こうして正法眼蔵は日常の修行生活を実践るための具体的な徳目や方法を述べるのである。




正法眼蔵の特色


正法眼蔵の成立時13世紀前半は、古代律令国家が崩壊し、中世封建国家が形成されつつあった一大変革の時代でもある。この中世文化は古代文化とどのような点で違っていたのか。その最も根本的な違いは中世においては人間の主要な関心が、外面から内面に移ってきたことである。自分とは何か、自分の真に求めているのは何か、自分を最高に生かすとはどういうことかという自己の問題を明瞭に意識して、そこから出発していることである。そしてその問題に理知的に、意識的に立ち向かってゆこうとしたところである。

それはとりもなおさず、国家のための仏教、学問のための仏教、芸術のための仏教、呪術のための仏教が後退して、それを継承しつつも否定してゆく、純粋な信仰の仏教、行の仏教が生まれたことにほかならない。 現実の世は末法の世であり、そこで人間は罪悪深重の存在である。したがって末法相応の念仏行に依らなければならないと主張する法然が現れる。その著書「選択本願念仏集」の題名からも窺えるように彼にとって真理とは人間が現実に即して選ぶべきでものだったのである。中国から様々な経典を持ちかえって受け入れてきた前代の仏教者たちには思いも及ばない新しい批評精神の誕生を示すものである。そして親鸞もまた法然の立場をさらに純化してゆくのである。

ところが道元は現実の人間のあり方にかかわりのない本物の真理とは何か。あらゆる時代や人間をこえた普遍的なものは何かを問うのである。自分にふさわしい真理を選ぶのではなく、真理を得るのにふさわしい自分になろうとするのである。それはいわば、真理中心の理想主義の立場である。
人間の弱さを自覚して、そこから出発した人が法然だとすれば、人間の弱さを徹底して生きぬき、貫いていった人が親鸞であるといえよう。弱い人間としての苦しみと克己のうちに親鸞の宗教家としての偉大さや魅力があるのである。

道元は、親鸞とは対照的である。そこには、一刻の修行もおろそかにしない緊張した気迫と、首尾一貫した強靭な思索力があるのみである。二人の手書きを見ても、親鸞聖人のそれは、奔放な行書体であたたかみがるが、道元禅師のそれは峻厳な張り詰めた楷書体で少しの隙もない。道元禅師の周りには常に、わたくしたち凡俗のものには近寄りがたい雰囲気が漂っている。

それは無論、脱俗超世を理想とする禅の特殊性にもよろう。多数の救済を目指して、民衆の中には入って行った法然上人や親鸞聖人と、多数の救済のためにこそ少数の指導者の育成に心を打ちこんだ道元禅師の立場の違いでもあろう。しかしそれをせんじ詰めてゆけば、人間の弱さに徹していった人と、人間はもともと救われているといういう信念に徹した人との、人間観の違いということになろう。

しかし両者に共通なのは、絶対的な自己放棄の体験である。法然・親鸞においてはおのれを空しくして阿弥陀如来に帰依し奉ることである。道元においてはおのれを空しくして、おのれに対面することである。一方が他者のうちにある自己の発見であるとすれば、一方は自己のうちにある他者の発見である。

道元のこの文体を生んだ内的要因といったものは何であろうか。
その一つは、日本仏教における伝統的教学の成果である。仏教者道元を育てた比叡山は、円教(法華経の説く完全な教理)、禅、円戎、密教を包容した総合仏教の中心道場であり、いくたの仏教者たちによる教学的発展のあとをうけていた。従って道元の求道遍歴の契機となったともいわれる「本来本法性(ほんらいほんほっしょう)、天然自性身(てんねんじしょうしん)という疑問にしても少年修行僧の心に突然浮かんだ疑問ではなかったのである。

これは、人間はもともと悟りを具えているのだからという本覚思想に由来する問題である。それをどう受けとめるかということが天台教団における中心課題だったのである。是に対する解答は結局比叡山では得られなかったが、ともあれこういった教学的な問題に真正面から立ち向かってゆこうとする学究的な態度や方法といったものは、道元禅師の一生に亘って貫かれている。

正法眼蔵の文体を生んだもう一つの、そして最大の要因は、道元の師、天童如浄禅師の宗風である。如浄禅師は、ややともすれば機智を弄して形式的な非合理主義に陥った当時の公案禅に対抗して、衰滅しつつある曹洞禅の正統を独り守っていた人である。曹洞の禅風は」綿密丁寧であって、一挙手一投足をおろそかにしない。道元禅師の文体の綿密さ、息の長さということも、そういうところから来ているのである。




所収卷解説


「正法眼蔵95卷は只管打坐の注脚である」といわれるように、正法眼蔵はあくまでも、座禅の書であり、実践の書である。文学書でも哲学書でも宗教思想書でもない。

しかしこの書を文学的感動なしに読むことは難しいし、思想的深さに打たれることなしに学ぶことはできないであろう。というよりは寧ろ、我々現代人には文学的、思想的な触れ合いを通じて、内面的、宗教的に入ってゆこうとする傾向が強いのではなかろうか。
そのような考え方から仮に四つのグループに分けてみた。
その第一部には思想的、哲学的方面から比較的入りやすいと考えられる(現成公案・全機・生死・有時)。
第二部には文学的、芸術的方面から比較的入りやすいと考えられる(山水経・梅華・画餅)。
第三部には宗教的思想に重要だと考えられる(弁道話・仏性・行持)。
第四部には具体的な実践問題を取り扱った(座禅儀・他)というように配列してみた。

このような分け方は、ひとえに、難解とされている正法眼蔵に近づく為の一便法に過ぎないということはいうまでもない。以下各巻について、簡単な説明をいたします。



現成公案の卷

道元禅師自身の奥書によれば、1233年8月に書かれて、九州の俗弟子、楊光秀に与えられたものである。

成立年代順にいえばこれは、弁道話、魔訶般波羅密についで三番目についで書かれた巻である。弁道話が禅の修行の概論書で、磨訶般若波羅密が仏教理論書の要約書であるとすれば、現成公案は真理の体験とは何かという一層具体的な問題を深く掘り下げた巻である。したがって、もし弁道話を「座禅の巻」、磨訶般若を「智慧の巻」とよぶならば、これは「さとりの巻」とでも呼ぶべき巻である。

古来、現成公案が解れば正法眼蔵が解るとまでいわれるよに、この間は現成公案を学ぶものにとって絶好の参究課題であるとともに、くんでもつきない味わいの深い巻である。おそらく道元禅師にとっても特別に愛着のあった巻であろう。

一字一句もゆるがせにせず、いささかの虚飾も用いず、禅師の中心思想を要約しているのであり、日本古典における最高の散文といってもよいであろう。


全機の巻

1242年京都六波羅密寺の近くにあった波多野義重の陣内で講述されたものである。

現成公案と同じく、在家を相手に書かれたものだけに、専門語を多く用いず、舟の譬えなどによって、禅の死生観を平易明快にのべたものである。いざという時、いつでも起きて闘わねばならない武士達に対して、一刻一刻の生命の絶対性を説いて、座禅をするにも武士としての生活をするにも、その心がけには何の変わりもないという気持ちで書かれたものであろう。
栄西禅師が興禅護国論を幕府に上申して禅宗の興隆を図ったことは別な意味で、禅者と武士の内面的な関わり合いがここに始まったという点からも、大いに注目すべき巻である。


生死の卷

奥書がないため年代ははっきりせず、対在家的傾向から推して、かなり初期に書かれたものであろうと考えられる。

内容が浄土門の主張に似ているところから、親鸞聖人に与えられたものだという伝説や、偽作だという疑いまででたりしたが、おそらく法然か親鸞に学んだことのある誰かに対して、相手にわかるように述べられたというのが真相ではないか。

一般に浄土門は易行道、禅門は難行道という見方がなされているが、それは表面的な見かたに過ぎず、易行道をつきつめたところに難行道があり、難行道をつきつめたところに易行道があるのであるから、この巻で説かれている「ほとけとなるにやすき道」という言葉は本質的にには道元禅師の立場と矛盾しないものである。


有時の卷

この巻の書かれた当時は、興聖寺においての修道生活も安定して、正法眼蔵の述作も規則的に行われていたらしく1240年代の前半は、40代にさしかかった道元禅師にとって、精神的にも肉体的にも最も脂ののりかかった時期でもあったようだ。
正法眼蔵に共通な事は、過去の禅籍、、仏典からの引用文を先に呈示して、それについて独自の解釈を加えながら論理を展開していくという形式である。ここに構築された時間論は、大乗仏教の伝統的な時間論の上に、中国の禅宗が発達させた直観的、即物的、逆説的発想が加わり、それがさらに道元禅師の総合的叙述的個性によって体系づけされたものであって、現代哲学の立場からみても価値多き、深遠な思想が述べられている。


山水教の巻

1240年有持、袈裟功徳、伝衣に続いて成立し、講述されたものである。この年の春、谿声山色の巻を著して、「山水が一夜に八万四千句の教えを説く」という蘇東坡の詩を道元禅師がさらに「青山運歩」「東山水上行」などという禅語を発送の手がかりとして、仏道の立場から天地自然をどうみるかということを明らかにしているのである。
禅でいう非論理、不立文字とは、論理のないことや論理を無視することではなく、論理を徹底的につきつめていったことである。論理を超えた論理だともいえる。

ここでいう「山水」とは無碍なる自己をいうのである。それは、真理にめざめ、真理を体現している自己である。真理は普遍的なものであり、それ自身完結したものである。その限りにおいて不動なるものであるが、同時に真理は現実において個々に生かされ実現される。真理のそのような動的な面を、「山が歩く」という語によって表現しているのである。


梅華の卷

京都郊外の興聖寺を去り、越前志比庄、吉峰の古寺に落ち着いて、恐らくは大仏寺「のちの永平寺」の建設の構想を計画していたであろう。
道元の師である故天童如浄禅師の語録が宗から届けられてきた。そこに収められている梅華の詩数編に接した道元禅師は、先師に対する追慕の念やみがたく、一年三ヶ月をかけてこの巻を書き上げるのである。

「楊梅桃李をゑがかず、春そのものをゑがくことができたのは、わが先師のみである」というくだりなど、自らが選び取った生涯の師に対する誇りと傾倒が現れていて、私達後学のものを感動させてやまない。


画餅の卷

この巻は得に難解で熟読を要するが、その発想のしかたが実に奇想天外で、あっといわせるような論理的展開がなされている。

かりに「絵画などというものは絵空事にすぎない」というのが日常的論理だとすれば、「絵空事によってこそ自己の真実が表現できるのであって、その他に真実はない」というのが絵画の論理、芸術の論理であろう。それを道元禅師は「画餅でなければ餅ではない」というように、表現するのである。それは詭弁的ともきこえる表現でありながら、その背後には一貫した論理的主張がなされているのである。
膳でいうリアリティーと芸術でいうリアリティーの共通性を端的に示すものがこの巻であるtぴえる。「空」「無」を媒介とした禅と中世芸術の関わり合い知るためにも、格好の手がかりとなる。


弁道話の卷

宗から帰国して、広く座禅を進めようとした道元禅師をまっていたものは、旧仏教側からの強い反感であった。禅師は布教を断念し修行三昧の日々を送る事になる。 しかしその間にも、禅師の名声を伝え聞いて求道の念にもえて参集する人々も少なくなかった。
その人々に対して座禅の意義を伝える事を目的として書かれたものがこの巻である。当時の仏教者の間には、何故禅師が座禅を強調するのかということに疑問を持つ人も少なくなかったであろう。

この巻は対在家的傾向が強く、その為、対出家的傾向をつよめていったそれ以後の正法眼蔵の先述方針と合致しなかった。従ってこの巻は正法眼蔵の一部としてよりは、むしろ道元禅の入門書、概念論としての独立した地位を与えられるべきものである。


仏性の卷

道元禅師の「万物は仏性である」という思想は、大乗仏教が興起してから数百年も経た後に始めてできた思想であって、大乗仏教の一つの頂点をなすものである。kの巻が弁道話・現成公安と並んで、宗門内で最も尊重される所以である。

原卷では、仏教および禅宗史上有名な二十近くの仏性論が呈示批判されている。



行持の卷

1242年、興聖寺において書かれたもので、示衆の記録はない。弟子の義雲が上下二巻に採録している。仏教的、禅的実践を釈尊を始め三十三人の先人達の実践のさまを叙述してその意義を伝えたものである。


坐禅儀の卷

1243年11月に書かれ、越前の吉峰寺で講述されたものである。
座禅の具体的な方法を述べたもので、禅の奥義書である正法現蔵にとって不可欠なものである。





正法現蔵・仏性より
ほとけの本質

正法現蔵・現生公按より
人が舟に乗って岸をみれば

正法眼蔵・現成公案より
生は生、死は死、前後裁断せり

正法眼蔵・現成公案より
華は愛惜にちり草は棄嫌におふる

正法眼蔵・現成公案より
仏道をならふは自己をならふなり

正法眼蔵・生死より
仏は生死のなかにいない

正法眼蔵・生死より
仏となるにやすきみちあり

正法眼蔵・有時より
普遍的時間

正法眼蔵・山水経より
山水が仏の教えを説くこと









『現成公按』

『現成公按』卷は「仏法」という生命実物(いのち)地盤において、「仏法の為に仏法を修する」という「仏道」の話が書いてあります。


公案は誤解されやすい言葉です。
普通は公府の案牘(あんとく)の意味から言い、政府では公にした法則・条文です。転じて、禅の修業の際、師家が修行者に与えさせて工夫させる問題を公案といいます。碧巖録・無門関・従容録・臨済録などは知られた公案集です。しかしながら、道元禅師は、習禅を否定されているおります。座禅は修証一等なのです。初心の座禅が本証そのものであるとすると、公案を工夫してより高い境地を目指そうとめざそうとすることは、およそ道元の宗風にはなじみません。

『正法現蔵』の現成公按の卷について意味を探れば、公と按を別々にしてその字義を説いています。まず、公については「不平を平ぐる」こと、つまり、世の中を巧く治め、いい政治を行うことが世間一般にいう公の意味であります。
按とは、「分を守ってみだれない」ことが世間的な意味です。こういう「公」と「按」について世間一般の意味を押さえた上で、仏法上の「公按」とは何かと考がうるに 、仏法では人間の勝手な欲望を否定して事を考えますから、どこまでが平でどこまでが不平と線引きすることは難しいことです。分を守るといっても「分際」を思惑で云々したのでは、仏法とかけはなれてしまいます。

仏法でいう、「公按」を、「全機の不平守分なるべし」というからには、機は働きのことでから全機は、融通無礙のあらゆる働きを言います。
このように見てまいりますと、「現成公按」は、この世界のあらゆるものが自然の摂理ののままにあることの意味だということが解ります。







【生死(しょうじ)】

ジャーチィーマラナの訳で「涅槃」に対する語。仏教の理想は生死の苦を離れて、永遠の平安である涅槃に到達することである。涅槃は「ニルバーナ」の音写で吹き消すこと、また火を消した状態をいい、煩悩の火を無くして智慧が完成する悟りの境地の事。
上座部仏教では、心身ともに無に帰した状態をいう。それに対して大乗仏教では「生死即涅槃」といい、常に生滅を繰り返す人間の生を離れては永遠の平和はあり得ないとする。大集経(だいじつきょう)卷九に「常に生死即涅槃を行じて、諸欲の中において実に染なし」とある。





【有時(うじ)】

「あるとき」という意味の副詞をここでは文の主語となる名詞と考えて時間論の発想の手がかりとするのである。
「有」はサンスクリット語で「生存するもの」の意であり、ここでは広く「空間的存在」に用いられる。「時」はいわゆる時間的なことであり、一般的な仏教では時は実在するものではなく、仮にあるものとされている。このことは既に上座部のある実在論者によって「時は独立の実体ではなく、存在に依って立つものである」と論じられている。

仏教ではこのように時間と存在の関係が論じられているが、そこに「存在時間」を意味する「有時」の概念を始めて導入したのが、この有時の卷である。

『現成公按』の卷より



人間は如何に生きるか


『人舟に乗りてゆくに、めをめぐらして岸を見れば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を叛肯(はんけん)するには、自心自性(じしんじしょう)は常住なるかとあやまる。もし行李(あんり)をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。』

【解説】

人が舟に乗ってゆくのに、目を向こうに向けて岸を見ると、岸が動いていくように見間違えます。目を近く自分の乗っている舟につけると、舟が進むのがわかります。そのように、身心の正体を正しく知らないで、万法を見分けようとすると、自己の正体は不変のものであるかと思い違いをします。。もし自己の日常生活を深く反省して、箇裏(このところ)に帰して見ると、万法が我(じぶん)というものでない道理がはっきりします。

“要約”

形あるものは必ず滅し、生あるものは必ず死す。この真実を直視することによって、始めて『人間如何に生きるか』という問題に真剣に取り組むことが出来る。



仏道をならふというは自己をならうなり


『仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるといふは、自己の身心、および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる語迹を長長出ならしむ。』

『人はじめて法を求むるとき、はるかに法の辺際を離却せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本文人なり』

【解説】

自己をならふというは自己をわするるなり〜〜われわれ人間が、われわれ自身の真実態うを徹底的に究明して、その真実態に生きるその修行はさらにいえば、「自己をわするる」ことである。「自己をはこびて万法を修証する」という放漫不遜の言動をすっぱりやめて、無我な人になればいのである。

無我な人になる修行、それはいろいろであろうが、道元禅師からいえば、また釈尊をはじめ、あらゆる仏菩薩、あらゆる祖師達の正伝いたされているところからいえば、それは端座である。座禅である。人間は座禅をいたしておりさえすれば、座禅の真実態から離れさえしなければ、いつでも人間は無我である。

脱落ーという文字は、繁縛から脱出し繁縛を振り落としてしまったということを意味している。世の中にはいろいろな繁縛があって人間をくくりあげている。
その繁縛を振り落としてしまうのが仏教である。仏教には自力宗と他力宗のふたつがあると、一応いうことができるが、自力宗では自分の修行の力で、壱歳の繁縛を脱出し、振り落としてしまうというので、これを脱落という。
他力宗では自分の修行によってではなく、仏の御手にすがって、繁縛から救っていただくというので、脱落とはいわないで、救済という。

ともかく仏教の身証のない人間はいろいろ様々の繁縛のためにくくりあげられて、身の自由も心の自由も、全く奪われているのである。くくりあげられ、自由を奪い去られているから、苦しみあがく、苦しみあがくから、相剋をする、摩擦をする、闘争をする、殺傷をする、凄い阿修羅の相を現じ、餓鬼畜生となり、悪鬼羅刹となりは照るのである。




真理を実現すること


『諸法の仏法なる時節、すなはち迷語あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり、万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく、衆生なし滅なし。仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷語あり、生仏あり、しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり』

『自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり』

【解説】

すべてのものごとを仏道の立場から見るとき、迷いと悟り、修行のあるなし、生と死、解脱した人とそうでない人との違いが明らかになる。全てのものごとを無我の立場から見るとき、迷いもなく悟りもなく、解脱した人もなく解脱しない人もなく、生も死もない。
もともと仏道は、有るという立場にも、無いという立場にもとらわれないものであるから、生死を解脱したところに生死があり、解脱のあるなしを問題としないところに解脱がある。しかしなお、そのことがわかっていながら、解脱を愛し求めれば解脱は遠ざかり、迷いを離れようとすれば、迷いは拡がるばかりである。

自己の立場から、あれこれと思案して、ものごとの真実を明かにしようとするのが迷いである。ものごとの真実が自然に明かになるのが悟りである。

【要約】

人間は現実のものごとに執着して縛られているが、そのような状態から自由になって、ありのままの真実を知ることが「解脱」である。一度この境地に至れば、あらゆる差別観から自由になって、解脱することそのものにもとらわれなくなる。それは理論によってできることではなく、あくまで実践によって達成されることである。

自己をむなしくして客観を生かすことよって、真実が明らかになる。


とにかく我々の人生においては色々な風景に出会うわけですが、その風景たる「あり、あり、あり」は決していわゆるの客観的実在ではなく、却ってこちら側との関係において現れてくるのです。「狭いな狭いなといって運動場で遊んでいる。広いな広いなといって運動場の草取りをしている」という子供の詩がありますが、これも自分自身のアタマとのカネアイで外側に色々な風景が現れるということです。

世の中には「この自分の思惑を満足させる為に、世の中はあるのだ」と決めこんでいる人が多すぎます。本当は決して世の中は自分の思惑を満足させる為に存在するのではないから、思い通りに行かないのが当然なわけですが、どうしてもそう思えない。こんな自分を自ら反省して、これは確かに自分が至らないからだと思い至り、それで何とか修行でもして次分を向上させ悟りでも開きたいと思う。
ところがこの何とか向上させたい、悟りを開きたいという、まさにそのことにおいて自分というものを「自分の思い通りにしたい」と思っているのだから、又問題です。



生は生、死は死、前後裁断せり


『たき木ははひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後裁断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり、かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生(しょう)とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは仏法のさだまれるならひなり、このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり』


たき木が燃えて灰となってしまった。 もし燃えてしまった灰がたき木に戻るなら、前はたき木だたけれど今は灰となっている、けれどまた灰もたき木に戻るんだといういい方もできるだろう。 ところが、燃えた灰がたき木に戻ることはあり得ないのだから、たき木と灰との間には関係は無い。切れてしまっているということである。だから、灰が後であって、たき木は先にあったんだという前後の時間的関係とみなしてはいけない。

たき木はたき木の世界であって、たとえば、去年取ったたき木とおととし取ったたき木とを比べて、おととしのたき木の古いたき木だとか、さらにきのう取ったたききの方が新しいということは出来る。たき木はたき木の世界として完結しているのだから、その中では、古いたききとか新しいたき木ということを言ってもいい。

それ以上に、もともとたき木は木だったとか、木の前は苗だった、さらに燃えて灰になってしまったなどということは出来ない。それはもはや、たき木の世界ではないからです。
だから「前後裁断せり」、灰となった時から、スパッと切れてしまっている。では羽灰は何だ。たき木が灰になったのか。そうではない。灰は灰の世界として完結している。

それと同様に、人も死んでしまえば又生き返るということはないのだから、生きている人が死になるとは言わない。人が死んだ後も、もはや生まれるということはあり得ない。そういう現実を見て、生きている生が死になるとはいわない。これが仏法である。それを不生という。
この不生というのは、生まれないという、生は生として絶対的だという意味だとされています。だから、この不というのは否定ではなくて絶対的「前後裁断」と同様のニュアンスだといえるます。だから不生は絶対的な生です。

同じ論理を用いるならば、死が生に戻ることもあり得ないことです。だから、生と死とは全く関係がない。死は生にならないという意味で完璧な死。だから不滅、全き滅です。生へ戻りっこない、滅以外の何物でもないという意味で不滅というのです。

生に対して死というのではない、死に対して生というのでもない。生は生で比べるものがないから不生。死は死で比べるものがないから不滅。
「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」、文字通り読むと、生というのはひとときの姿であって、死もひとときの姿である。これで話が元へもどってしまう。つまり相対的になるように見えます。しかしそうではなくて、この「一時」というのは「絶対の今」であって「全時」に同じです。つまり、一は部分ではなく、全体という意味なのである。

仏性・ほとけの本質

一切衆生は普く仏性を有す、如来は常住にして変易あることなし

『釈迦牟尼仏言く。〔一切の衆生は悉く仏性を有す、如来は常住にして変易あることなし〕。これわれわれが大釈尊の師子孔吼の転法輪なりといへども、一切諸仏・一切祖師の頂寧眼晴(ちょうねいがんせい)なり、参学しきたること、すでに二千百九十年、正嫡わずかに五十代、西展二八代、代代住持しきたり、東地三十三世、世世住持しきたる。十方の仏祖ともに住持せり、世尊道の一切衆生悉有仏性は、その宗旨いかん。是什模物恁模来(これなにものかいんもらい)の道転法輪なり、あるひは衆生といひ、有情といひ、群生といひ、群類といふは、衆生なり。すなわち悉有は仏性なり、悉有の一悉を衆生といふ。正当恁模時(しょうとういんもじ)は衆生の内外すなわち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、汝得吾皮肉骨髄にょとくごひにくこつずいなるがゆゑに。


【解説】

釈尊がいわれている。
『一切衆生には悉く仏性がある。仏の本質は常住で、変わることがない』
これは偉大な師、釈尊の力強い教えであると共に、凡ての覚者たち、及び歴代の先覚者たいの根本精神である。この教えを学んで既に二千百九十年、正しい後継ぎは僅かに五十代、インドに二十八代、中国には二十三代の先覚者たちがが、代々にかかってこれを伝えてきたのである。諸方の先覚者たちも、共にこれを伝えてきたのである。

釈尊の言われる『一切衆生には悉く仏性がる』という言葉の真意は何であろうか。それは、「何ものかが明かに現前している」ということである。あるときは「衆生」といい、あるときには「有情」といい、あるときには「もろもろの生物」、あるときには「もろもろの生類」というのは、みな衆生のことであり、一切存在のことである。そのとき衆生の内も外も、悉くが仏性である。なぜならば、仏性は師から弟子に伝えられるばかりでなく、凡てのものに同時に伝えられるからである。

“要約”

仏性とは、人間が本質的に具えている自由、叡智、愛、創造力、偉大な宗教性といったものである。
それが凡ての人間に共通に具わっているというのが大乗仏教の主張であるが、それをさらに一歩すすめて、仏性は万物に通ずる本質的普遍性であるということができるのである。






生死 しょうじ  卷

仏は生死のなかにいない(生死にこだわらない)

生死のなかに仏あれば、生死なし。またいはく、生死のなかに仏なければ、生死にまどわず。こころは夾山(かつざん)・定山(じょうざん)といわれし、ふたりの禅師のことばなり。得道の人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。生死をはなれんとおもはむ人、まさにこのむねをあきらむべし。


【解説】

「生死の中に仏があるから、生死に惑わない」という。また、「生死の中に仏が無いから、生死に惑わない」という。 この意味の事を夾山・定山という二人の禅師が言っている。道を得た人の言葉であるから、おろそかにしてはいけない。生死の悩みを離れようとするものは、まずこのことばの意味を明らかにしなさい。

“要約”

仏(目覚めた人)とは、生死を離れることなく生死を解脱した人のことをいうのである。それをここでは、「仏は生死の中にある」とも、「仏は生死の中に無い(生死にこだわらない)」ともいうのである。





他力易行道・自力難行道

清心あれば自己の得法やすきなり、難しいか易いかはその人の志のいかんがに依るという


仏となるにいとやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみをふかくして、かみをうやまふ、しもをあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふこころなくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを仏となづく。またほかにたづぬることなかれ。

【解説】


仏となるにやさしい方法がある。さまざまな悪をなさず、生死に執着することなく、生きとし生けるものにいつくしみ深く、し、修行の進んだ人を敬い、衆生をいつくしみ、なにごとも厭うことなく、願うこともない。心に悩みもなく憂いもない。そのような人を仏と名づけるのである、さらにこのほかに、仏を求めてはならない。

“要約”

仏としての行いをなすことによってすべての人が仏となることが出きるのである。



有時(うじ) 卷

実在論では、時は独立の実体ではなく、存在に依って立つものである。


いわゆる有時(うじ)は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。


【解説】

この「あるとき」(有時)という語は、「時間はそのまま存在であり、存在はみな時間である」という意味を含んでいる。

“要約”

「有時」という語は、一般には「あるときに」という意味に用いられてきたが、ここでは全く違った意味に用いる。

すなわち、時間を離れて空間はありえず、空間を離れて時間はないのであるから、時間と空間を総合して「存在時間」或いは「時間的存在」というものを考える。それを「有時」と呼ぶのである。




山も時なり、海も時なり、時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壊すれば山海も壊す。時もし不壊なれば、山海も不壊なり。この道理に明星出現す、如来出現す、眼睛出現す、拈華出現す、これ時なり。時にあらざれば不恁模なり。


【解説】

山も時であり、海も時である。時でなければ山海のあるはずがないのであるから、山海が今の時でないとは思ってはならない。もし時が壊れるならば山海も壊れるであろう。時が壊れないならば山海も壊れないであろう。
このような道理によって明星(釈尊の成道のときの現れたと伝えられる星)が現れ、仏が現れ、悟りの智慧が現れ、以心伝心が現れたのである。これがみな時である。時でなければ、そのようなことは起こらなかったであろう。

“要約”

世界が時間によって成り立っているからこそ、我々が真実を悟る時も来るのである。




山水経

山水がほとけの教えを説くこと〔谿声山色是清浄心〕


而今(にこん)の山水は、古仏の道現成なり。ともに法位に住して、究尽の功徳を成ぜり。空劫自己前の消息なるがゆゑに、而今の活計なり。朕兆未萌の自己なるがゆゑに、現成の透脱なり。


【解説】


今ここにみられる山水は、先覚者たちの悟った境地をあらわしている。山は山になりきっており、水は水になりきっていて、その他のなにものでもない。
それはあらゆる時を越えた山水であるから、今ここに実現しているあらゆる時を越えた自己であるから、自己であることを解脱している。

“要約”

自然は真理が実現されるところであり、自己が自己を発見するところである。

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